5/27(月)

 

今日は両親と宇都宮の『石の蔵』という和食レストランでランチ。

 

宇都宮でとれる石材の大谷石(おおやいし)の蔵を利用した人気のおしゃれレストランとの前情報で、昼間にも関わらず中に入った私と母の第一声は「暗っ!」だった(蔵だけに?)。

 
前菜とスイーツはビュッフェ形式でメインだけ選ぶというスタイルだったので、メインは鯛茶漬けに。ビュッフェは品数はそこまで多くないが、一品一品丁寧に作ってある感じがして、なにより野菜がとてもおいしくて大満足だった。

 

 

夕方からは高校時代の恩師と友人とでプチ同窓会。

先生とは去年久しぶりに会ったのだけど、文学や日本酒や旅行の話など知識が豊富で話題が尽きずとても楽しい時間を過ごした。今回先生が宇都宮で働いている私の同級生二人に声をかけてくれて、友人とも10年以上ぶりの再会となった。

 

友人の仕事での奮闘ぶりや、新婚の友人の旦那がボルシチなど変わった料理を作るので困惑している話や、先生の娘さんが実は私の妹と高校の同級生で「クラスが違ったので直接は知らないが陸上を頑張っているヤンキーという印象」と言っていたという話など、笑っているうちに数時間あっという間に過ぎた。

 

終電1本前の新幹線に飛び乗って遠き都へ帰らばや。

 

酔っぱらってるので気が大きくなり2時頃まで漫画『ハコヅメ』を読む。

 

 

5/28(火)

 

アルコール感とともに8:30起床。

一緒に飲んだ先生や友人たちは今頃ちゃんと仕事に行っているのだろうなぁと思うと、とほほ、あたしゃ情けないよ、とちびまる子ちゃん出てきた。

 

ランチは二日酔いでも食べられるひきあげうどん。

これ、実家ではずっとひきあげうどんって呼んでいるけど、一般的には釜揚げうどんのようなものだと思う。

 

うどんをゆでて、ネギと鰹節と醤油と味の素をかけて食べるシンプルなうどん。

子供の頃から大好きなんだけど、なぜか自分で作っても母が作るほどおいしくはできないんだよなぁ。

 

 

『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志、伊藤亜衣)読了。

 

「行旅(こうりょ)死亡人」とは、身元不明で引き取り手のいない遺体を指す法律用語だそうだ。

 

行旅死亡人としてデータベースに記載されていた、兵庫県尼崎市のあるアパートで孤独死した高齢女性の身元を、共同通信の記者2人が調査した過程を書いたルポルタージュなのだが、ミステリーを読んでいるみたいにおもしろくて一気読みした。

 

データとして記録されていたのは、本籍・住所・氏名不明、推定年齢75歳、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金約3400万円、というもので、これだけですごく気になるのだが、さらに残された所持品を調べると以下のものが挙げられていた(個人的に特に気になった物を抜粋)。

 

・星型マークのついたロケットペンダント(内部に謎の手書きの数字「141319 13487」と書かれたメモ)

・「田中」の印鑑一つと「沖宗」の印鑑二つ

・「たなか たんくん」と書かれたキーホルダー

・ビニール袋に包まれた韓国1000ウォン札

・米1セント硬貨

・茶色い装丁のアルバム

・アルバムに入っていない写真約30枚

 

本の中には実際に遺体が見つかったアパートの部屋の写真や残された写真等の視覚情報もある。写真に写っている女性は若く美しい。「たんくん」と名付けられていたらしい犬のぬいぐるみに洋服を着せてベビーベッドに寝せている写真や、女性が抱っこして持っている写真もある。

 

調べるほど謎は深まっていき、一体どういうこと?!と思う。

 

でも本書はノンフィクションなので、ミステリーのような謎解きを期待すると肩透かしをくらう。けれど、記者が数少ない手がかりをたよりに痕跡をたどり、ある文書にその女性の名前が書かれているのを発見し、たしかにこの人がこの世に存在していたと突き止めて「雷に打たれたような気がした」と書かれているところでは感動を覚えた。ちょこっと示唆されていた北朝鮮工作員説も興味深い。

 

ドロップの缶の中の骨から始まる『火垂るの墓』のように、フィクションの世界で、これらの所持品から女性の一生を一つの線として描いたらどうなるだろうか、と、想像は膨らむ。

 


5/29(水)

6:00起床。アルコールがやっと抜けた感。


米津玄師の新曲『毎日』のMVが公開されたので朝から米津ワールドへ。

 

 

ラストびっくりして「ファッ!」と声出た。

米津の歌詞の文学的引用が好きだ。今回はすぐにわかる石川啄木の「ぢっと手を見る」に加え、調べてわかったことだが「日々共に生き尽くすにはまた永遠も半ばを過ぎるのに」の歌詞は、中島らもの小説『永遠も半ばを過ぎて』からとっているらしい。

そういえば2017年のブログで中島らもが好きだと書いていたのを思い出した。

 

同じく米津ファンの母と妹とMV公開の感動を共有したくて動画を送ると、妹から「あの生クリームになりたい」ときたので、「私は吐き出されたポップコーンでもいい」と返した。

 

 

ランチを食べながら朝ドラ『虎に翼』を見て、お父さんの懺悔に泣いて笑った。

世間がどれほど地獄だろうと、いつでもどんな時でも応援してくれて味方になってくれて「宝物だ」と言って愛してくれる人がいたならば、春を見れるのだと思った。

 

 

ちなみに主題歌はこれまた米津。

 

 

このピースが尊み秀吉(by『舟を編む』)過ぎて、我が家では「尊みピース」と名付け、写真を撮るとき父親にも強制するほど流行っている。

 

 

5/31(金)

 

『だからあれほど言ったのに』(内田樹)読了。

 

 

村上春樹は『雨月物語』で有名な上田秋成の直系の文学的系譜に連なり(村上春樹本人がそう言っている)、村上春樹登場前に、江藤淳が、日本近代文学の頂点を画すのは上田秋成で、もし日本から世界文学が出るとしたらそれは上田秋成の系譜からしか出てこないだろうと言っていたという話がおもしろかった。上田秋成をもう一度ちゃんと読もうと思った。