我慢は美徳ではない | 裏庭のないしょ話

裏庭のないしょ話

心の中のこと

月曜日から子どもたちが交代で熱を出し続けています。
37度から39度ぐらいをずっとウロウロウロウロ。

日曜日にみかんことナオコさんとそのご主人のジェフで深大寺に行って来たのですが、その時、みかんことは違う存在が見えるナオコさんに

「雪乃さんの右側におじいさんがいるんですよ。そのおじいさんが ”ばっけ、け。ばっけでも喰って、わらすどよごんなってろ”って言ってるんです。

どうも雪乃さんの耳が聞こえなくなったのも、休養を必要としてるっぽいからですねー。
おじいさんがそんなことを言ってます。
それも2、3日の休養じゃなくて、もうちょっと長くって感じ」

というようなことを言われました。

で、まさにその日の夜から子どもたちが熱を出して寝たきり生活。
ナオコさんに視えていたのは私が4歳ぐらいの時に亡くなった父方の祖父で、



ここのところ、ずーーーっと震災の時に亡くなった母方の祖母のことばかりだったので、ここに来て初めて祖父が登場したことに何か意味があるのだろうと思い、じいちゃんの言う通りに隙あらば子どもと一緒に布団に横になっています。

ちなみに「わらす」は、子ども。
「ばっけ」はフキノトウ。
「け」は食べなさい、です(笑)

東京生まれの東京育ち、人生の半分は海外生活のナオコさんがこれだけネイティブな東北弁を話せるというのは、本当に聞こえているからなんですよね〜。

ナオコさんといい、メイコさんといい、みかんこといい、みんな見えるものは違うけど、みんなスゴい✨

ていうか、こんだけ視える人ばかりが集まると、

「世の中、みんな視えてる人だらけなんじゃないの!?」

みたいな気分になりますね。

視える人、聞こえる人、感じる人、いろんな人がいていいじゃないの〜✨
自分の出来ることを最大限に生かしていれば、自分の出来ないことが出来る人を羨む必要なんてないよね☆と思うリーディングカウンセラーの雫石雪乃です。

さてさて。
このじーちゃん。

私の中で完全にノーマークだったので、突然の出現に驚いています。

私にとって初めて直面した人の死が、この祖父でした。

祖父の思い出で一番強烈に記憶に焼き付いているのが、臨終のシーン。
奥座敷のベッドに寝かされた祖父はたくさんの管に繋がれていて、その傍らにはお医者さんと看護婦さんが一人ずつ。

その部屋には祖父の妹達、埼玉の叔母、当時1歳ぐらいだった従姉妹のリエちゃんがいて、私は誰かの膝の上に乗っていました。

お医者さんが祖父の胸元に聴診器を当て、何かを言った瞬間にみんながウワッと泣き出したのを見て、最初はとても驚き、徐々に

「これはすごく悲しいことなんだ」

と思ったのをとてもリアルに覚えています。
それから3ヵ月ぐらいか、はたまた3年ぐらいだったのか、私は

「この人はもういなくなったけど、忘れちゃいけない人なんだ」

と思い、遺影の前を通るたびに忘れないようにその写真を見つめながら、話し方や声、動く姿を再現し続けることを日課にしていました。

小学校の3年生ぐらいになった時に

「そういえば、あれをやらなくなったな」

と気がついたから、もしかしたら相当長い期間そうして祖父を忘れないように注意深く生きていたのかもしれません。

そうして、そのまま私の中で存在が薄くなっていた祖父。
再度、その存在が私の中で濃くなって行くことで、また様々なことを思い出し始めました。

母が

「おじいちゃんはいつも優しくて、おばあちゃんから守ってくれた」

と言っていたこと。

そのおばあちゃんの嫁いびりが強烈だったこと。
毎晩、毎晩、母の作るみそ汁が濃すぎてマズいと言っては、母の前でジャージャーとお湯を足していたのを見て、とても不愉快に思っていたことなど。

そんなことを思い出していたら、今度はふつふつと母親に対する怒りがこみ上げてきました。

え?なんで怒り??

と思い、自分の感情をじっくりと感じて観察してみると、祖母に何をされても、何を言われても、じっと耐えて何も言い返さず、いつも明るく振る舞おうとしていた母に対して

「人としての尊厳を大切にしていないこと」

に腹を立てていたのだと気がつきました。

人格を否定されるようなことや、親切を踏みにじられるようなことをされても、じっと耐えていた母に、

「そんなことをさせっぱなしにするな!!もっと自分を大切にしないとダメじゃん!!」

と子供の頃の私がすごくすごく怒っているのです。
怒りと悲しみが交じったようなすごく強い感情。

母に会うとなんか腹が立つんだよな〜と密かに思っていたのですが、まさか自分の中にこんな感情があったとは!!

いや、もしかしたら私の見ていないところで祖母に歯向かったりもしていたのかもしれないけれど、少なくとも私の前ではただひたすら、心を凍らせたかのように無反応になっていた母しか思い出せません。

それを見て私は、祖母に怒りを感じていたのと同時に母にも怒っていたのだとこの歳になってようやく気がつきました。
そして、その怒りが母との正体不明のわだかまりになっていたなんて。

私は、自分を大切にしない、
他人から粗末に扱われることを自分に対して許していた母を、
ものすごく怒っていた。

いやはや、ビックリ。

さっき気がついたばかりなので、これから解放、許し、癒しの作業に入ります。
ものすごくたくさんドロドロが出てきそうです。
出し切ったら、私の中でなにかが大きく変わるかもしれません。
そのために祖父が手助けに来てくれたのかな?なんて思っています。

こちらの記事も読んでいただけたら、私の怒りがもっと深く理解出来るかもしれません。

『怒らないって本当に良いこと?』

というか、私の中にこの母への怒りがくすぶっていたからこそ、こういう人を見ると腹立たしかったのでしょうね。



尊厳と言えば。
富山のリアルスピ散歩に子どもを連れて家を飛び出して来たKさんという方がいたことは先日書きましたが(リアルスピ散歩@富山)、彼女が家を飛び出した原因はご主人にひどいモラハラを受けていたから。

その翌週に、Skypeでセッションをすることになっていたので、ご主人に何も言わずに出て来たのでなんて言えば良いんだろう・・・と怯えていた彼女に、その時は

「とにかく遠慮せずに言いたいことは全部言って!!」

と言うことだけ伝えておきました。

人格を否定され、些細なことに怒り狂っては全てのことにダメ出しをされ続けていた結婚生活から逃れたい一心だった彼女。

お前なんか最低な人間だと言われ続けていた彼女が、
それまでずっと言えずにいた言葉を勇気を振り絞って彼にぶつけました。

「あんたなんか最低や!!」


すると、そのモラハラ夫君

「そうやな・・・・オレは最低やった」

そう言って、彼女の話によく耳を傾けてくれたのだそうです。

それから数日後、久しぶりに荷物を取りにこっそりと自宅に戻ってみると、テーブルの上には怒らない方法の本などが数冊のっていたのだとか。

だから許せという話ではありません。

そうではなくて、自分がそれをされていかにイヤか、止めて欲しいか、それは伝えなければ伝わらないということ。

我慢していては、ただただ人としての尊厳が傷つけられて行くだけです。
そして、相手のその「傷つける」という行為を許しているのは自分だということに気がついて欲しいのです。

相手に「そういうことをしたら(言ったら)人は傷つくんだ」ということを相手に響く表現で教えてあげなければ、相手は自分が傷つけているということすら気がつきません。

それを怠って、自分ばかりが被害者ヅラをしていても誰も本当の意味では助けてはくれないのです。

自分の、人としての尊厳を守る姿をきちんと子どもたちに見せてあげて下さい。
そうして、子どもたちも自分の尊厳を守れる人にしてあげて下さい。

そうしないと、子どもたちもあなたと同じように尊厳を守ることなく、ただただ我慢して耐えるだけの人間になってしまうかもしれません。

本当に子どもの幸せを願うのであれば、他人に自分を傷つけることを許すような、そんな人間にしないこと。

自分を大切にする方法を教えてあげること。

でも、まずは自分から。
ですよ。



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