優しさとは強さ | 裏庭のないしょ話

裏庭のないしょ話

心の中のこと

果てしなくどうでもいいことだけれど、「そういう」を「そうゆう」と書いてあるのを見ただけで、もうそれ以上読む氣が失せるリーディングカウンセラーの雫石雪乃です。

満月の浄化なんでしょうかね。
嫌な感情、とくにあれも嫌い、これも嫌いという感情がドロドロ、ドロドロと出続けています。

人のことをベラベラしゃべる人は嫌い、とか。

今日、実家の母から電話が来たのですが、母とは極力会話をしないようにしている自分に気がつきました。

「なぜこんなに?」

と、母との会話を避ける理由を考えてみたら、おしゃべりな母がいつも私のことをベラベラと人に話すのが子供の頃すごく嫌だったことを思い出しました。

「この子はああいう子で、こういうことをして。あっはっは〜」

と他人に話されるのがすごく嫌だった。
笑い話にされるのもすごく不愉快だった。

だから、私は極力、母には自分のことを話さないようにしていました。
あれこれおしゃべりのネタにならないように。

今でも、他人のことをベラベラと話す人は嫌い。
話すなら自分のことだけ話せば良いのに・・・ってすごく思います。

その人のフィルターを通した他人像を無造作に植え付けるその感じがすごく無責任に感じて嫌だったんですよね。

「あなたは私のことをそういう風にみているかもしれないけれど、本当はそうじゃない」

という反発がものすごかった。
本当のことを知らない人が、他人のことを勝手に憶測して話すなんて無神経にも程があるという想いが強かったのです。
それは今でも変わっていないけれど。

そうそう。そうして私は無口になっていったんだよな・・・。
話すのは、自分の本当の、本当の気持ちだけで良い。
余計なことなど言いたくはないし、聞きたくもない。
そういう頑さが私の中にもまだまだたくさんあります。



さて。
今日のクライアントのKさんとのセッションで気になったのが、「嫌いと言ってはいけない」と思っていたというひと言。

これ、怒れない人がよく言う台詞。

私みたいに、怒りん坊であれもこれも嫌い嫌い言っている人にとっては、全くもって理解不能なのですが、セッションに来る方の半数ぐらいはこの台詞を吐きます。

怒らない、人の悪口を言わない、好き嫌いしないというのは、生きる姿勢としては美しいと思います。

けれども、重要なのは本当に怒っていないかどうか、本当に悪く思っていないかどうか、本当に嫌いじゃないかどうか、です。

Kさんは、本当に良い両親に育てられて「尊敬している」と素直に言っていました。
だから、きっとご両親のような夫婦、親になりたいのだと思います。

でも、Kさんは今、自分の思い通りにならないと威圧的になり暴言を吐くご主人に対して怒っています。

にも関わらず、「嫌いと言ってはいけない」が邪魔をして、嫌う態度、嫌われるような行為を極力さけるように生活してきました。

その結果が、ご主人の傍若無人です。

セッションが終わって電話を切ったあと、ふと

「あ・・・Kさんは今こそ親切をする時だ」

ということに気がつきました。

親切。

つまり、親を切る。

親を切ると言っても、関係を絶つということではありません。

親と自分とは違う生き物だということを理解して、親から植え付けられた価値観を断ち切るということ。

Kさんのご両親はKさんが言う通り、怒らず、人当たりの良いとてもいいご両親なのかも知れません。
けれども、はたしてその両親の人柄というのは最初からそうだったのでしょうか?

Kさんの見ているご両親というのは、いろんな経験を経た上での完成形(もしくは発展途上)のご両親の姿です。

そうなるまでの何十年もの間に、めちゃくちゃ怒ったり、ドロドロと人を憎んだりしたこともあったかもしれません。

そういう経験をすべてした上で、

「ああ、怒るのはもう嫌だな。なんでも許せる人になりたいな」

と思って努力しながら改善して行った姿が今の姿なのではないのかな?と思います。

自分のことも、他人のことも完全に嫌いきったからこそ許せるということを知っている人は、中途半端に優しいフリなどしません。

優しさとは、怒りを抱えたままに誰かを許すフリをすることではなく、
どれほどのことをされても心から相手を許すことの出来る強さです。

優しいフリは誰でも出来る。
けれども、本当の優しさを示すことが出来る人はどれぐらいいるでしょう?
怒りを抑えた優しさなど本当の優しさではありません。
本当に優しい人は、そもそも怒りなど感じないのです。
怒りなど感じない程に、人も自分も許しているのです。

優しさとは愛であり、愛とは信頼であると私は思います。

その境地までいくことは、簡単なことでしょうか?

許しているフリ、怒っていないフリをするのはとても簡単です。

でも、「怒っていない」と言いつつ、心の中でその人への不満がくすぶり続けているのであれば、それは許していないし、怒っていないということにもなりません。

では、そういう自分を認めてしまっていいのでは?

そうやって怒って、見下して、嫌って。
ドロドロとそういうことを続けてみて、

「もうこんなに醜い自分は嫌だ!!」

と思った時に、本当に許せる人になろうと決意してみても良いのでは?

どんなに素晴らしい両親に育てられたとしても、別に両親のようにならなくていいのです。
あなたは、本当のあなたになれば良い。
それこそが素晴らしい。

だって、あなたがどんなに両親にそっくりでもあなたという人は1人しかいないのだから。
たった1人の自分を大切に。


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