氣づかないのは、今も昔も同じ | 裏庭のないしょ話

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心の中のこと

NHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』が終わってテレビ生活も終わりと思いきや、しっかり『マッサン』も見始めている雫石雪乃です。

昨日は、親に決められた人とお見合いをして結婚することが当たり前だと思っていたゆうこさんが、本当は自分にもやりたいことがあるんだということに気づいて戸惑うシーンがありました。

その時、葛藤しながらゆう子さんが呟いた台詞がこちら

「自分の本当の気持ちになんて気づかん方が楽やったわ」

これね、カウンセリングを受けてくださる方もよく口にする台詞です。

本当はしたいことがある、でも我慢している、
もしくは諦めてしまっている自分に気づいてしまった。
これ、苦しいですよね。

だって、気づいてしまったらどうにかしたくなるもの。
それでどうすればいいのか分からないから苦しくなる。
うん、しんどいと思います。

だって、傍目にみてどんなにしんどそうに見える人でも必死になって 「自分は幸せだ」 と思い込もうとしていたんだもの。

別に幸せだと思いこむことが悪いことなのではありません。
問題は幸せだと感じていないことなのです。

なぜ自分は幸せだと思い込もうとしていたのか?

それは

他人と比べて大変じゃないから

なんじゃないかなと思います。

あの人は親の介護があって大変そうだけど、私にはそれがないから幸せ。
あの人は病気だけど、私には病気がないから幸せ。
あの人は旦那さんに浮気されたけど、私は口はきかないけど浮気はされてないから幸せ。 あの人は・・・・

これって、全然自分の心と向き合ってないですよね。
誰かが言う幸せに自分を無理に当てはめたって、幸せになる訳がないんです。
消去法では幸せにはなれないんです。

『花子とアン』でもそうでしたが、

女は早く結婚するのが当たり前。
親が決めた人と結婚して家族と家のことをするのが幸せ。

昔の日本ではこれが常識でした。 今の私たちから見れば、これは常識ではなく

もっと自由に恋愛していいんだよ。
結婚だけが幸せじゃないんだよ。

ということは簡単です。
でも、当時の女性が これだけが幸せではない ということに気づくのは、とても大変だったと思います。

今、私たちはとても自由で、なんでも出来ると思っていますが、それだって実は勘違いなのではないでしょうか?

目には見えない常識や思い込みにたくさん、たくさん縛られています。
だからこそ、今カウンセリングを受けようとしている人たちだって、100年も前の女性と同じ

「自分の気持ちになんて気づかない方が楽だった」

という台詞を吐くのです。

苦しい、生きているのがしんどい、というのは、何かに縛られている証拠。

親といるのが苦しいという人は
「親は大切にするもの」という常識に縛られていませんか?

子育てがしんどいという人は
「子供の気持ちを第一優先に」という常識に縛られていませんか?

友達付き合いがしんどいという人は
「友達とは仲良く、たくさんいた方が良い」という常識に縛られていませんか?

料理が面倒くさいという人は、
「料理はバランスよく、心を込めて」という思い込みに縛られていませんか?

人間というのは、自分の信じたいものしか信じません。

だからこそ、「医者に殺されないための本」みたいなのが出たかと思えば、

「医療否定本」に殺されないため本、なんていうのも出てくるんです。

こんなのどっちでも良いんです(笑)
今、自分が本当だと思えるのはどちらなのか、そこを自分で考えることが大切なんです。

自分の病気は病院に行かないと治らないと思っている人は、病院に行かないと治らないだろうし、寝てりゃ治ると思う人は、寝てれば治るんです。
それだけの話。


こういう時は我慢しなくちゃいけないんだとか、そんな常識に縛られるんじゃなくて、自分は我慢したいのか、したくないのか。

多くのクライアントさんは過去の感情を未消化のままにしたせいで、今、病気になったり、物事が上手くいかなかったりして苦しんでいる人がほとんどです。

だからね。 苦しくなったら、ちゃんと自分の心と向き合いましょう。

向き合うことを始めたら、楽になった人がたくさんいます。

この人とか→「旦那さんを怒らずに済んだ!」
この人とか→「旦那さんへの怒りが消えてなくなっちゃった!?」
この人とか→「神様の知恵袋だっったのか・・・な!?」
怒りっぱなしの人生だって、もうやめにしましょう
「怒りん坊を治す方法」

あなたは、苦しい自分をごまかしていませんか?
もしくは、「どうせどうにもならないし、我慢するしかない」なんて思っていませんか?

ごまかしている自分に気づけば、解決する方法はちゃんと見つかるんです。
楽になりましょう。
そして、楽に生きましょう(*^ー^)ノ