6歳の誕生日 | 裏庭のないしょ話

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心の中のこと

先日、無事に長男君の6歳の誕生日を迎えました。

家の中を飾り付けて、床に膨らんだ色とりどりの風船を転がして、家族みんなでゲームをしたりケーキを食べたり。

プレゼントは本人希望の仮面ライダーウィザードのおもちゃ。

去年までいろいろ連れて行ってみたけれど、結局一番喜んでくれたのはお家の中で家族みんなで料理を囲んで楽しむホームパーティーでした。

長男君の6歳の誕生日をどのように過ごそうかと考えていた時、ふと自分の6歳の誕生日のことを思い出しました。

母に連れて行かれた川沿いの小さな本屋さん。

どの本でもいいよ、と言われて選んだ「ひめちゃん」という漫画本。

「何巻がいいの?」

と聞かれて、

「6歳だから6巻!」

と答えたら母がなにか言いかけて、ぐっと飲み込み、そのままひめちゃんの6巻を買ってくれたこと。

たぶん、「本は1巻から読まないと分からないよ」とかそんなことを言いたかったんだろうけれど、どうせ何巻から読んだって分からないだろうと思ったのか、今日はお誕生日だから何を言われても怒らない様にしようと決めていたのか。

今だったら、そのどちらかだったんだろうなぁと思うけれど、当時は

「ん?」

と思ったのを覚えています。

6歳というと、まだ子供!と何かとあなどりがちですが、自分の6歳の頃を振り返ってみると、いろいろと本当のよく覚えていて自分でもびっくり。

同級生の女の子が腎臓病で入院した時、

「Sちゃんは毎日ストーブの前でゴロゴロしていたから病気になって病院に入院することになりました。みんなはSちゃんみたいにならない様に、ゴロゴロしないでちゃんとお外に出て体を動かしましょう」

と幼稚園の先生が言ったのを聞いて、Sちゃんは具合が悪かったからストーブの前でゴロゴロしていたのであって、ゴロゴロしていたから病気になったわけではない、なんてひどい嘘をつく先生だと思ったこと。


大きくなったらなりたいものの絵を描きましょう、と言われて、本当は看護婦さんになりたいと思いつつ、周りを見たらみんながバレリーナの絵を描いていたので、自分もバレリーナの絵を描き、家に帰ってから

「なんで看護婦さんの絵を描かないで、みんなと同じバレリーナの絵を描いてしまったんだろう?」

と自分で自分の取った行動が不思議でたまらなかったこと。


折り紙で作った長靴を幼稚園に持っていったら、先生たくさん褒めてくれて、

「今日はユキエちゃんが先生になって、みんなでこの長靴をつくりましょう!」

と言って、引っ込み思案だった私を一日折り紙の先生にしてくれたことがとても嬉しかったこと。


そういう記憶の一つ一つが、その時の景色、匂い、先生が発した波動とともに、いまでも私の心に鮮明に残っているので、私は子供が生まれたときから、「赤ちゃん(子供)だから、どうせ分からないだろう」という態度をとらない。
赤ちゃんの前でも、聞かれて困るような話は絶対にしない。
と心に決めています。

子供はその時には言語を介した理解はしていないけれど、波動や映像記憶として、しっかりとその時々のことを記憶に焼き付けています。

いくら表面上ニコニコしていても、心の中がドロドロだったら子供はちゃんとそのドロドロの波動を嗅ぎ分けて決して近寄らないし、あらゆる手段を使って、そのドロドロの波動が入ってこない様に必死の抵抗を試みます。

6歳も0歳もあなどるなかれ。
言葉に出来ないだけで、ちゃんとなんでも分かってる。
そのことを忘れずにこれからも子供に接していかないとね。

波動のお話はまた今度^^