『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』
(29)
峠杣一日・著
人間は、環境と記憶とによって作られてゐる。
人間の活動は、記憶を源流としてゐる。
記憶は環境・モノの中に、また肉体の中にある。
先人先祖の記憶も、魂(ひとつ)となって宿ってゐるのだ。
私達が産土神(うぶすながみ)を祭り、祖先を祀(まつ)るのも理(り)の当然。
それらは、私達自身に他ならないからだ。
さいはひの記憶と、わざはひの記憶がある。
命(さい)の記憶と禍(わざ)(まがった・勘違ひ・せつない・迷妄・煩悩……)の記憶だ。
私達は、他から生かされない限り生きてゐることは出来ない。
煩悩即菩提(ぼんなうそくぼだい)。
人生なる命の花は、禍を喰(く)らひ合ふて咲いてゐる。
鎮(しづ)まり給(たま)へ。
煩悩(わざ・まが)を呑(の)み、鎮め合ふところに菩提(さい・さち)はあるのだ。
八岐泉(やまたのいづみ)と檍石境(あはぎのいはさか)が光度(くわうど)を増し、金色(こんじき)に輝く。
眩(まばゆ)い光線となって羽ばたくのは、梟(ふくろふ)の羽根。
梟鏡女王お冥(けうきゃうぢょわうおみゃう)の命が、常(とは・永久)の魂となって駆けめぐる。
【好い子の皆の合言葉を唱へよう♪】
〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
つづく。