『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』(29) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』


(29)


峠杣一日・著


人間は、環境と記憶とによって作られてゐる。


人間の活動は、記憶を源流としてゐる。


記憶は環境・モノの中に、また肉体の中にある。


先人先祖の記憶も、魂(ひとつ)となって宿ってゐるのだ。


私達が産土神(うぶすながみ)を祭り、祖先を祀(まつ)るのも理(り)の当然。


それらは、私達自身に他ならないからだ。


さいはひの記憶と、わざはひの記憶がある。


命(さい)の記憶と禍(わざ)(まがった・勘違ひ・せつない・迷妄・煩悩……)の記憶だ。


私達は、他から生かされない限り生きてゐることは出来ない。


煩悩即菩提(ぼんなうそくぼだい)。


人生なる命の花は、禍を喰(く)らひ合ふて咲いてゐる。


鎮(しづ)まり給(たま)へ。


煩悩(わざ・まが)を呑(の)み、鎮め合ふところに菩提(さい・さち)はあるのだ。


八岐泉(やまたのいづみ)と檍石境(あはぎのいはさか)が光度(くわうど)を増し、金色(こんじき)に輝く。


眩(まばゆ)い光線となって羽ばたくのは、梟(ふくろふ)の羽根。


梟鏡女王お冥(けうきゃうぢょわうおみゃう)の命が、常(とは・永久)の魂となって駆けめぐる。



【好い子の皆の合言葉を唱へよう♪】


〽️

いやさかえ

いのちいやちこ

さいはひよいち

まほらとこいは

みつのたま


南無あれかし大明神

南無あれかし大明神

南無あれかし大明神


つづく。