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峠杣一日・著
室原山頂(むろはらやまいただき)の、八岐泉(やまたのいづみ)上空。
死人(しびと)の兇興翁(きょうきょうをう)と兇薬(きょうやく)達が乗るをろぽっぽ御然らば號(大蛇汽車おほんしからばがう)を格納(かくなふ)した月影財船(つきかげのたからぶね)が、天の海(あめのみ)星の林(ほしのはやし)へと上昇してゆく。
室原高原駅(むろはらかうげんえき)からは、木次線(きすきせん)と芸備線(げいびせん)へそれぞれ臨時列車(りんじれっしゃ)が発車してゆく。
やあ、木次線を走るのは豆鼕大明神(とうとうだいみゃうじん)のでんでんぽっぽ、お冥(おみゃう)達を乗せてゐる。
それに、兇興大明神(きょうきょうだいみゃうじん)のちくちくぽっぽが兇薬達を乗せて続く。
乗客は皆、月影財船を見上げて「ありがたう」「さやうなら」などと口々に云(い)っては泪(なみだ)を流してゐる。
ううん、不思議と云へば摩訶不思議(まかふしぎ)なのだが、死人の当人(たうにん)達は恬澹(てんたん)として旅立って(死んで)ゆく。
彼らにとっては、もはや何の不思議も矛楯(むじゅん)の欠片(かけら)すらも無いやうである。
古来(こらい)、私達にとって肉体(五感の領域)(ごかんのりゃうゐき)がこの世、精神(思考)(しかう)があの世、この世とあの世が合はさったのを、うつし世(現し世)(心)と呼んでゐる。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
つづく。