『なんぞころびやおき 地球慕情篇』(40) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 地球慕情篇』

(40)

峠杣一日・著

木次線(きすきせん)臨時列車(りんじれっしゃ)ぽっぽをろち御然らば號(おほんしからばがう)が、室原高原駅(むろはらかうげんえき)に停車した。

兇興翁(きょうきょうをう)と兇薬(きょうやく)は座席から動かず、ただ車窓(しゃさう)からプラットホームを眺(なが)めてゐる。

元(もと)い、座席を立たうといふ氣持ちすら起こらず、じっとしたままが当然といふ風(ふう)でゐるのだ。

はて、ホームに見える人々の中に見知った顔。

「おい兇薬、あれはお冥(おみゃう)ではないか」

成る程、お冥だ。

それにお妖(おえう)、お卅美(おみみ)、お咲(おさき)が並んで車中の誰かに向かって、心做(こころな)しか泪(なみだ)ぐんでゐるやうに見える。

列車が、ゆっくりと動き出した。

「!!」

兇興翁と兇薬は確かに、確かに見たのだ。

一刹那(いちせつな)であったが、ホームの人群(ひとむ)れの中に立ち、合掌(がっしゃう)して二人を見詰(みつ)める兇興翁と兇薬自身の姿を。

ふいと溢(あふ)れ出した滂沱(ばうだ)は已(や)まないが、二人の心の池は澄(す)み切って鏡花水月(きゃうくわすいげつ)、菩提心(ぼだいしん)さへ涌(わ)き出(い)づるのであった。

列車は螺旋状(らせんじゃう)のループ線を走り、室原山(むろはらやま)の上空へと高く高く登ってゆく。

やがて軌道(きだう)が跡切(とぎ)れるかと見るや、前方の虚空(こくう)に忽然(こつぜん)と現れた巨大な弁財船(べざいせん)。

艫矢倉(ともやぐら)開口部(かいこうぶ)の線路に接続、連絡船(れんらくせん)のやうに列車を呑(の)み込んだ。

弁財船は、これまた巨大な龍神(りゅうじん)の背に乗ってゐる。

やあ、あれは……かつて三途の川(さんづのかは)で出会った月影の財船(つきかげのたからぶね)。

静かに、お空の彼方(かなた)へと上昇(じゃうしょう)して参(まゐ)ります。

然(しか)らば然(さ)らば、御機嫌(ごきげん)よう。

室原山の頂(いただき)八岐の泉(やまたのいづみ)に、満天の星の氣吹(いぶき)が広がってゆく。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま

南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神

つづく。