『なんぞころびやおき 地球慕情篇』(31) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 地球慕情篇』

(31)

峠杣一日・著

世の中をよくしたい。

方法は二つに一つ。

①人世観(じんせいくわん)を育む。(生かす)

②邪魔者を消す。(殺す)

無論、命は水のやうに巡(めぐ)る全てでひとつの働きだから①が人世の本質である。

①を大雑把(おほざっぱ)に言へば全部自分、全ては同じ自(はじめ)の分身といふことになる。

②は、迷妄念々(めいまうねんねん)に巻かれて死に戯け(しにたはけ)となってゐる。

因果(いんぐわ)といふのも全てでひとつの働きのことで、自分の別名なのである。

因(おこり)や自(はじめ)は一(いち)(常の理トハノコトワリ・三つ子の魂ミツゴノタマシヒ)で果(はて)や分(わかれ)は八百萬(やほよろづ)と呼ばれてゐるが、両者はひとつの働きである。

すなはち自他を生かす、生かし合ふことが人世の本質にして唯一(ゆいいつ)の働きといふことになる。

他に生かされなければ生きられない。
 
外の命を「さ」、内の命を「い」と呼ぶ。

さいの栄(さか)えることを常の親子(とはのおやこ・三つ子の魂)、さいの神、さいはひよいち(幸栄世一)と尊(たっと)んでゐる。

混濁(こんだく)する意識の中、兇興翁(きょうきょうをう)と兇薬(きょうやく)は目を醒(さ)ましつつあった。

「そんなことは……そんなことは百も承知ぢゃ」

「だからこそ……だからこそ!」


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま

南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神

つづく。