『なんぞころびやおき 地球慕情篇』(27) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 地球慕情篇』

(27)

峠杣一日・著

三つ子の魂が解体され、命そのものが消えてゆく兇興翁(きょうきょうをう)と兇薬(きょうやく)。

「兇興翁(わるおこしのぢいさん)、俺を呑(の)むのだ。
えい、梟鏡変化(けうきゃうへんげ)!」

兇薬が、最期の力を使って小さな丸薬(ぐわんやく)に変化した。

「どれ」

ごくりと呑み込んだ兇興翁だったが、そのままぐしゃりと崩壊(ほいくわい)、無数の腐眼弾丸(くされめだま)となって消滅(せうめつ)した。

「はて」

どうも腑(ふ)に落ちず訝(いぶか)しむ、女閻王(をんなえんわう)お光(おみつ)。

兇興翁と兇薬の姿は滅したものの、魂を写した写真の微(かす)かな燃え止(さ)しが灰(はひ)となって残り、舞ひ上がったやうな氣がしたからである。

さて、程(ほど)なくしてここは火神岳(ほのかみだけ)の金門(きんもん)。

その巨岩の門の先は滝になってをり、そこへ向かって清冽(せいれつ)な霊水(れいすい)が満天の星の瞬(またた)きに揺蕩(たゆた)ひながら流れてゐる。

その辺(ほとり)、賽の河原(さいのかはら)とも呼ばれるところへぱらぱらと降り集まる灰。

やがて二つのまとまりになると、小さな方は葈耳(をなもみ)の実、もう片方は梟(ふくろふ)の姿へと変(へん)じた。

兇薬師(わるくすし)としての奥の手を使った兇薬と、灰の姿を保(たも)ったま飛行し続けた兇興翁であった。

辛(から)くも死を免(まぬが)れた二人だったが、消耗(せうもう)著(いちじる)しく微動(びどう)だにしない。



【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま

南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神

つづく。