⑤
峠杣一日・著
室原山(むろはらやま)から意宇の社(おうのもり)へと列(つら)なる、瑤大蛇(たまをろち)の大御柱(おほむばしら)。
それは天地(あめつち)を結ぶ生命の大黒柱(だいこくばしら)であり、いふやのおほむばしら、言御柱(いふのみはしら)、結御柱(ゆふのみはしら)などと伝へられてゐる。
天地を結ぶとは例へば内の命たる意(い・おもひ)と外の命たる眞(さ・まこと)とが、いざ一体と化すことだ。
いやさてもそもそも一体なのであるから、勘違ひ(迷妄利己念々めいまうりこねんねん)から醒(さ)めるばかりなのだ。
私達の行動(判断)は、普段の心持ち(人世観)に基(もと)づいてゐる。
心には意(おもひ・心に昇る太陽)、即(すなは)ち日本古来(にっぽんこらい)の人世観(人生観)たる常の理(とはのことわり・永久の理・三つ子の魂)が鎮(しづ)まるのが好(よ)い。
言の葉(ことのは)も、命の音色(ねいろ)を寿(ことほ)ぐのが好い。
「言×一(常の理)=音」
命は、言の葉(顕在心あらはれたるこころ・精神)が潜在心(幽在心かくれたるこころ・肉体)に作り上げた天地を結ぶ志(こころざし・心の向き)即ち言霊(ことだま)の器(うつは)に鎮まるものだからである。
「令(みことのり・常の理の意おもひ)×口(ありか・現れ)=命」
はて、意宇の社の川縁(かはべり)、髪を玉結び(たまむすび)に垂(た)らした女がひとり。
石に腰掛けて、着物の裾(すそ)から覗(のぞ)く両足をぶらぶら振り乍(なが)ら、
「あ~あ、なーんか好(い)いことないかなあ~」。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
いちよあれかし、さいはひよいち。
まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!
いのちいやちこ、いやさかえさいはひよいち。
つづく。