『なんぞころびやおき 天球旅情篇』(31) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 天球旅情篇』

(31)

峠杣一日・著

人間とは、常の理(とはのことわり)の現し世(うつしよ)すなはち和(やは)らぎの世の中を育む存在である。

生きる為(ため)だけに生きるのだとするならば、動物と変はらない。

そこには、利己心(りこしん)と猛獣性(まうじうせい)の暴走とが起こりかねない。

さうなってしまっては已(や)む無し、こちらは猛獣猛禽(まうじうまうきん)の力を馭(ぎょ)する健(たける・梟帥)となって立つばかりだ。

詰まるところ、巡り巡って(歴史も先祖も含めて)善いも悪いも皆(みんな)の所為(せゐ)なのだ。

常の理(とはのことわり)を等閑(とうかん)に付(ふ)した平和運動等は、空念仏(からねんぶつ)にすぎないのである。

さて、夕焼けに赫(かがや)く金色(こんじき)の巨砲(きょはう)。

ふっと姿を変へると、三体の機関摩天楼(からくりまてんろう)となって宙に浮いてゐる。

まづは因幡国(いなばのくに)氷ノ山(ひょうのせん)の白鷲天狗(しろわしてんぐ)圓彦(まどひこ)が操(あやつ)る、機関摩天楼「白鷲天狗」。

その鉤爪(かぎづめ)に摑(つか)まれてぶら下がってゐる大きなタコは出雲国(いづものくに)大根島(だいこんじま)の機関摩天楼「八手(タコ)」、操縦者(さうじゅうしゃ)は黄金大黒天(わうごんだいこくてん)の息子、八手彦(やつでひこ)である。

そしてまた機関摩天楼八手の手に掴まれてぶら下がってゐる大きなムカデは大根島の隣、江島(えしま)の機関摩天楼「百足(ムカデ)」、操縦者は黄金毘沙門天(わうごんびしゃもんてん)の箱入り娘、千両姫(せんりゃうひめ)である。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

いちよあれかし、さいはひよいち。

まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!

つづく。