『なんぞころびやおき 天球旅情篇』(26) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 天球旅情篇』

(26)

峠杣一日・著

梟鏡灰燼砲(けうきゃうくわいじんはう)は、兇闇藁人形皇帝(きょうあんわらにんぎゃうくわうてい)の必殺兵器だ。

常の理(とはのことわり・三つ子の魂)を育む月虹(げっこう)の水とは逆様(さかさま)に、人間の悪たれ心(あくたれごころ)を刺戟(しげき)する呪ひの妄誕砲(ばうたんはう)だ。

悪と云(い)ふのは、常の理に幼い事に他ならない。

その最たるものが利己主義であり、やがて社会主義、民主主義などと展開してゐるが、ともあれ未(いま)だ幼い人間世界、梟鏡灰燼砲の餌食(ゑじき)となれば一溜(ひとた)まりもない。

こんな事なら云々(うんうん)と歎(なげ)いてみても、最早手後れ後の祭。

せめて思ほゆ常(とは)なる命、名残の袂(たもと)溢(あふ)る温もり。

全ては、宇宙なる一瑤の三魂(ひとたまのみたま)に包まれてゐる。

仍(よ)ってそんな三つ子の魂の大和(たいわ)の意(おもひ)を味はふ事が、人世(じんせい・人生)の
意味であり本質であり存在理由でもあるのだ。

まさしく日本古来の人世観、ともにうるはしきやまとごころであらう。

ああ、いちよあれかし、さいはひよいち。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

いちよあれかし、さいはひよいち。

まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!

つづく。