(24)
峠杣一日・著
「全く、人間共は阿呆(あはう)ばかり。
脳味噌つるつる、くるっくるのぱあで御座(ほざ)る。
あの忌(い)ま忌ましい正義の味方共の邪魔さへ搔(か)い潜(くぐ)れば、人間共の洗脳(せんなう)は赤児(あかご)の手を捻(ひね)るやうに簡単で御座候(ほざさうら)ふ」
梟鏡教(けうきゃうけう)のアジト、祭壇(さいだん)に畏(かしこ)まって語る兇然法師(きょうねんほふし)。
すると祭壇が左右にするすると開き、奥から邪悪帝国(じゃあくていこく)の首領(しゅりゃう)兇闇(きょうあん)が現れた。
肉体は完全に再生してゐるが、何だかしょんぼりして見える。
「兇闇どん、さう氣(き)を落とすでないよ」
法師の肩に坐(ざ)した兇興翁(きょうきょうをう)が、頭の棘々(とげとげ)を指先で弾きながら云(い)ふ。
「何の、次こそこの儂(わし)が彼奴(きゃつ)めの首を取って御覧(ごらん)に入れませう」
兇蔵(きょうざう)も豪語(がうご)するが、兇闇皇帝(きょうあんくわうてい)の顔色は優れない。
因(ちな)みに、生滅(しゃうめつ)を繰り返して姿が変はっても、彼等邪悪原人(じゃあくげんじん)の序列(じょれつ)は不易(ふえき)である。
お冥(おみゃう・兇冥きよみ)が邪悪原人の始原(しげん・全ての母)であり、兇闇はその分身とも長子(ちゃうし)とも云はるる。
ともあれ兇冥と兇闇とで冥闇(めいあん)の権化(ごんげ)(中核)となってをり、その下に邪悪魂(じゃあくだましひ)が姿を具(そな)へた兇蔵や兇然達が従ってゐるのだ。
また豆鼕翁(とうとうをう)と因縁(いんえん)のある兇興翁は邪悪原人ではないらしいが、梟(ふくろふ)に変化(へんげ)するのは何故だらうか。
さて、そんな彼等の目下(もくか)の問題はお冥であった。
有(あ)らう事か心の臓(しんのざう)が爆発する勢(いきほ)ひで、白鷲天狗(しろわしてんぐ)の圓彦(まどひこ)に恋をしてしまっちゃってゐたのである。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
いちよあれかし、さいはひよいち。
まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!
つづく。