『なんぞころびやおき 天球旅情篇』(23) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 天球旅情篇』

(23)

峠杣一日・著

【父×母=子】

「宇宙は三つ子の魂、一(いち)なる瑤(たま)だよ。

だから世の中を「一瑤の三魂(ひとたまのみたま)」(御霊みたま)と呼ぶんだ。

印象(いんしゃう・イメージ)として宇宙の瑤はその内側、中心の一点に向かって展開するよ。

それは生みの御業(みわざ)だから、宇宙の瑤を母なる宇宙、また宝珠(ほうじゅ)、宝船(たからぶね)などと呼ぶんだ。

七福神(しちふくじん)が全て弁財天(べんざいてん)の化身(けしん)と云(い)はれるのも、普遍(ふへん)なる母の働きから特殊(とくしゅ)なる父の働き(たとへば国家)が生み出されることを伝へてゐるんだね。

また古来(こらい)、「包まれて生まれる吾(われ)」と云ふね。

たとへば生まれた時からと云っても、そこが私の始まりぢゃあないよってことだ。

ずっとずうっと、御先祖があるんだからね。

でもってずっとずうっと遡(さかのぼ)れば、渾然(こんぜん)としてひとつだよ。

これが国家だよ。

だから、私達は国家に包まれて生きてゐるんだね。

国家がなければ、私もないわけだ。

私から公共(こうきょう)を取り去ると、何にもなくなるからね。

水道電氣道路とかだけぢゃあなくて、言葉文字お金なんかも皆公共だ。

それどころか私と云ふ心身生命そのものが、渾然の御先祖たる公共の賜物(たまもの)なんだね。

そんな訳で宇宙の瑤を、常の親子(とはのおやこ)とも呼ぶんだ」

あれから一週間。

梟鏡一味(けうきゃういちみ)は姿を見せない。

白鷲天狗(しろわしてんぐ)頭目(とうもく)の経法印(きゃうほふいん)は、村々を巡(めぐ)る講釈行脚(かうしゃくあんぎゃ)に戻ってゐた。

はて、村人に混(ま)じって居(ゐ)るのはお冥(おみゃう・兇冥きよみ)だ。

何やら、辺りの様子を窺(うかが)ってゐるやうだ。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

いちよあれかし、さいはひよいち。

まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!

つづく。