(23)
峠杣一日・著
【父×母=子】
「宇宙は三つ子の魂、一(いち)なる瑤(たま)だよ。
だから世の中を「一瑤の三魂(ひとたまのみたま)」(御霊みたま)と呼ぶんだ。
印象(いんしゃう・イメージ)として宇宙の瑤はその内側、中心の一点に向かって展開するよ。
それは生みの御業(みわざ)だから、宇宙の瑤を母なる宇宙、また宝珠(ほうじゅ)、宝船(たからぶね)などと呼ぶんだ。
七福神(しちふくじん)が全て弁財天(べんざいてん)の化身(けしん)と云(い)はれるのも、普遍(ふへん)なる母の働きから特殊(とくしゅ)なる父の働き(たとへば国家)が生み出されることを伝へてゐるんだね。
また古来(こらい)、「包まれて生まれる吾(われ)」と云ふね。
たとへば生まれた時からと云っても、そこが私の始まりぢゃあないよってことだ。
ずっとずうっと、御先祖があるんだからね。
でもってずっとずうっと遡(さかのぼ)れば、渾然(こんぜん)としてひとつだよ。
これが国家だよ。
だから、私達は国家に包まれて生きてゐるんだね。
国家がなければ、私もないわけだ。
私から公共(こうきょう)を取り去ると、何にもなくなるからね。
水道電氣道路とかだけぢゃあなくて、言葉文字お金なんかも皆公共だ。
それどころか私と云ふ心身生命そのものが、渾然の御先祖たる公共の賜物(たまもの)なんだね。
そんな訳で宇宙の瑤を、常の親子(とはのおやこ)とも呼ぶんだ」
あれから一週間。
梟鏡一味(けうきゃういちみ)は姿を見せない。
白鷲天狗(しろわしてんぐ)頭目(とうもく)の経法印(きゃうほふいん)は、村々を巡(めぐ)る講釈行脚(かうしゃくあんぎゃ)に戻ってゐた。
はて、村人に混(ま)じって居(ゐ)るのはお冥(おみゃう・兇冥きよみ)だ。
何やら、辺りの様子を窺(うかが)ってゐるやうだ。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
いちよあれかし、さいはひよいち。
まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!
つづく。