『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』
(25)
峠杣一日・著
「これこれ、氣息(きそく)を散(ち)らすから腕に力(ちから)が入ってしまふのだ。
呼吸も力も、丹田(たんでん)に鎮(しづ)めよ。
然(さ)すれば、矢は自(おの)づから弦(つる)を離れる。
的を射中(いあ)てるは、必定(ひつぢゃう)である」
然(さ)う語る弥五郎(やごらう)とお弓(おゆみ)、弦を引いて居(ゐ)ても腕は柔(やは)らかく、丸で力(りき)みが無いのである。
「お幽(おいう)、丹田が的を捉(とら)へる迄(まで)聢(しっか)り待つのよ」
どうも氣に入ったらしくあの日已来(いらい)お幽の姿に化(ば)けた儘(まま)のお錚(おかね)が、ローソク島(じま)名物(めいぶつ)鬼火饅頭(おにびまんぢゅう)に舌鼓(したつづみ)を打ち乍(なが)らお幽を励(はげ)まして居る。
そんな打出の小槌(うちでのこづち)の神様たる錚槌大明神(かねつちだいみゃうじん)の変化(へんげ)から判(はん)ずるなれば、臍下丹田(せいかたんでん)は人間の動力(どうりょく・エンジン)なり運転席(コックピット)なりとも思はるる。
此(こ)の事は、神仏と呼ぶ祈りの的に心を取らるるべからずの鉄則(てっそく)と同(おな)じい。
自(おの)づからと自(みづか)ら(神仏と個我)の時空を越えて一致(いっち)したる生命を鏡で象徴(しゃうちょう)する如く、其(そ)の的を射(い)るのは信(まこと)の一心(いっしん)のみである。
よお~し、動力点火(てんくわ)!スイッチ・オン!!
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
いちよあれかし、さいはひよいち。
まほらよいちそはか!
南無、あれかし大明神!
つづく。