『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』(24) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』

(24)

峠杣一日・著

節分(せつぶん)の夜、豆打(まめう)ちに興(きょう)ずる沖柱力研究所(ちゅうちゅうりょくけんきうじょ)の面々(めんめん)。

豆とは、宇宙の化身(けしん)たる豆鼕大明神(とうとうだいみゃうじん)からも判(はん)ぜらるる如(ごと)く真実(まめ・しんじつ)の意(い)である。

豆撒(まめま)きは、内外に信(まこと・真事)を育む誓(ちか)ひの儀式(ぎしき)なのだ。

「それでは」
「またね~」

朝焼けの空を、燻し銀(いぶしぎん)の金棒(かなぼう)と紅(くれなゐ)の円盤(ゑんばん)に乗って鬼の拳骨(げんこつ)と河童の魔凜(まりん)夫妻(ふさい)が帰って行(ゆ)く。

拳骨の眸(ひとみ)に湛(たた)へられた陽光(やうくわう)が金色(こんじき)を放(はな)つと、ぽっと波紋(はもん)を描(ゑが)いた。

御美事(おみごと)。

此処(ここ)は島後(だうご)五箇(ごか)の里、お弓(おゆみ)の放った矢は霞的(かすみまと)の中心を射(い)てゐた。

的とは目当て(めあて)、日(ひ・生命)を勺(く)む(的は俗字)で、真実(まめ)を明(あき)らめるの意である。

次(つ)いで弥五郎(やごらう)も矢を放つと、お弓の矢の筈(はず)を二つに裂(さ)いて射通(いとほ)して止まった。

やんや、御美事。

一方(いっぱう)お幽(おいう)は、あられもない方向へと飛び出す矢に呻吟(しんぎん)難儀(なんぎ)して居た。

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【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

いちよあれかし、さいはひよいち。

まほらよいちそはか!

南無、あれかし大明神!

つづく。