『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』
(24)
峠杣一日・著
節分(せつぶん)の夜、豆打(まめう)ちに興(きょう)ずる沖柱力研究所(ちゅうちゅうりょくけんきうじょ)の面々(めんめん)。
豆とは、宇宙の化身(けしん)たる豆鼕大明神(とうとうだいみゃうじん)からも判(はん)ぜらるる如(ごと)く真実(まめ・しんじつ)の意(い)である。
豆撒(まめま)きは、内外に信(まこと・真事)を育む誓(ちか)ひの儀式(ぎしき)なのだ。
「それでは」
「またね~」
朝焼けの空を、燻し銀(いぶしぎん)の金棒(かなぼう)と紅(くれなゐ)の円盤(ゑんばん)に乗って鬼の拳骨(げんこつ)と河童の魔凜(まりん)夫妻(ふさい)が帰って行(ゆ)く。
拳骨の眸(ひとみ)に湛(たた)へられた陽光(やうくわう)が金色(こんじき)を放(はな)つと、ぽっと波紋(はもん)を描(ゑが)いた。
御美事(おみごと)。
此処(ここ)は島後(だうご)五箇(ごか)の里、お弓(おゆみ)の放った矢は霞的(かすみまと)の中心を射(い)てゐた。
的とは目当て(めあて)、日(ひ・生命)を勺(く)む(的は俗字)で、真実(まめ)を明(あき)らめるの意である。
次(つ)いで弥五郎(やごらう)も矢を放つと、お弓の矢の筈(はず)を二つに裂(さ)いて射通(いとほ)して止まった。
やんや、御美事。
一方(いっぱう)お幽(おいう)は、あられもない方向へと飛び出す矢に呻吟(しんぎん)難儀(なんぎ)して居た。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
いちよあれかし、さいはひよいち。
まほらよいちそはか!
南無、あれかし大明神!
つづく。