『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』(22) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』

(22)

峠杣一日・著

斯(か)く斯く云々(しかじか)、そげかね合点(がってん)。

後ろに束(たば)ねた翠(みどり)の黒髪を蛇の鎌首(かまくび)の様に上下させ、ふむふむと事(こと)の次第(しだい)を呑み込んだおたね。

「それなら、暫(しばら)く家(うち)に居たら好(い)いでせう」

と謂(い)ふ事で、一行(いっかう)は沖柱力研究所(ちゅうちゅうりょくけんきうじょ)への逗留(とうりう)を決めて草鞋(わらぢ)を脱いだ。

「え?ああ、仁王門(にわうもん)ね。
何(なあん)だ、潜ったのは蓮(はちす)の旦那(だんな)なの。
大丈夫よ、門の向かふは私の故郷(ふるさと)なんだから」

斯(か)くして其(そ)の頃(ころ)、と或(あ)る山寺(やまでら)。

金堂(こんだう・本堂)の建つ山上(さんじゃう)へと、梯子(はしご)を立て懸(か)けたる如(ごと)くに石段が続いてゐる。

其の中程(なかほど)に、はや、見覚(みおぼ)えのある仁王門、大山(おほやま・焼火山タクヒヤマ)の仁王門とそっくり其の儘(まま)である。

はて、門の奥、何も無い空間からごろごろと音が聞こえる。

ふっと唐突(たうとつ)に姿を現したのは矢張(やは)り蓮権現(はちすごんげん)の雪の玉、勢(いきほ)ひ能(よ)く石段を転(ころ)げ下(くだ)って行く。

おっと、雪の玉通過(つうくわ)の振動(しんどう)で石段を包む杉木立(すぎこだち)からぽんぽんと落ちる雪の子が、ころころと玉になり転がり跳(は)ねて蓮権現の雪の玉に続く。

石段を下(くだ)り切り茶屋(ちゃや)の立ち並ぶ参道(さんだう)を転げ抜けた処で漸(やうや)く止まった雪の権現玉(ごんげんだま)、追って来た無数の雪の小玉(こだま)がひとつの玉に纏(まと)まると、ぽおんと其の上へ飛び乗って雪達磨(ゆきだるま)が出来上がった。

「まあまあ、大きな雪達磨さんだこと。
有り難や、ありがたや」

「わあい、ゆきだまるさん、ゆきだまるさん」

「ゆきだるまさんよ」

参詣(さんけい)の人々が往(ゆ)き交(か)ふ帝釈天(たいしゃくてん)の霊地(れいち・霊場)、此所は因幡国(いなばのくに)は摩尼(まに)の御山(おやま)である。

蓮大権現転何(はちすだいごんげんころびなんぞ)は雪達磨大師(だいし)の胎内仏(たいないぶつ)と鎮(しづ)まり、雪融(ゆきど)けに芽吹(めぶ)く春を待つ事と相成(あひな)りましたとさ。

190704_190943.jpg

【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

「いちよあれかし、さいはひよいち」

「まほらよいちそはか!」

「南無、あれかし大明神!」

つづく。