『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』(21) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』

(21)

峠杣一日・著

さても驚き、お幽(おいう)瓜二つ(うりふたつ)に化(ば)けた瑠璃色(るりいろ)の謎の生物。

古来(こらい)より槌の子(つちのこ)、俵蛇(たはらへび)、土転び(つちころび)、また野槌(のづち:野の霊ノノチ)等と呼び馴(な)らはされる神代(かみよ)の存在であり、大蛇(をろち:峰の霊ヲノチ)の仲間でもある。

因みに、七福神の大黒様が手に持つ打出の小槌(うちでのこづち)は野槌であるとも伝ふ。

そんな、お幽の姿のまま瑤大蛇の児瑤大蛇の小蛇のころちゃんこと小蛇八郎(たまをろちのこのたまをろちのころちのころちゃんこところちはちらう)の頭を撫(な)でてゐる彼女は瑤野槌(たまのづち)のお錚(おかね)と言ひ、豆鼕翁(とうとうをう)とは旧知(きうち)の間柄(あひだがら)であった。

お幽の健氣(けなげ)さに打たれて協力を決めたのだと言ふお錚は、錚槌大明神(かねつちだいみゃうじん)とも称(しょう)される打出の小槌の神様なのだ。

然(さ)うとあっては、白鷲天狗(しろわしてんぐ)の圓彦(まどひこ)に分(ぶ)は無い。

がっくり肩を落とし、羽を散らせる圓彦。

「やれやれ、此(こ)れは一体何の騒(さわ)ぎかしら」

然(さ)う言って石段の上に姿を現したのは、仁王門(にわうもん)が作動したのを不審(ふしん)に思って下(お)りて来た、沖柱博士(ちゅうちゅうはかせ)の妻おたねであった。

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【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

「いちよあれかし、さいはひよいち」

「まほらよいちそはか!」

「南無、あれかし大明神!」

つづく。