『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』(30) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』

(30)

峠杣一日・著

三途の川(さんづのかは)の川面(かはも)。

小蛇(ころち)と子供達がぎっこんばったん、迷妄念々(めいまうねんゝゝ)を乗せた蓮台(れんだい)を威勢(ゐせい)良く揺(ゆ)らし始めた。

ざぶゝゝわっしょい!
ざぶゝゝわっしょい!

おゝ、蓮台(れんだい)が再び月虹(げっこう)の光を放つと、迷妄念々(めいまうねんゝゝ)の心奥(しんあう)から常の命(とはのいのち)の奔流(ほんりう)が堰(せき)を切った様に迸(ほとばし)り、迷妄念々(めいまうねんゝゝ)の存在そのものを包み込んで還元(くわんげん)して行く。

ざぶゝゝわっしょい!
ざぶゝゝわっしょい!

「噫(あゝ)、此れで漸(やうや)く」

「噫(あゝ)、お母さん、お父さん」

やがて僅(わづ)かに鼓動(こどう)の様な明滅(めいめつ)…迷妄念々(めいまうねんゝゝ)の最期(さいご)だ。

「噫(あゝ)、有り難う(ありがたう)、小さき命の親(いのちのおや)達よ…」

遂(つひ)に此処に、悪逆無道(あくぎゃくむだう)の限りを尽くした迷妄念々(めいまうねんゝゝ)は消滅(せうめつ)、常の命(とはのいのち(常の故郷トハノフルサト))へと還(かへ)ったのである。

言はずもがな、世の中から迷妄念々(めいまうねんゝゝ)を根絶(こんぜつ)したくば、対症療法(たいしゃうれうはふ)(刑罰ケイバツ等)だけでは鼬(いたち)ごっこで埒(らち)が明(あ)かない。

可惜(あたら)命を徒死(とし)とさせない為にも、自他共に常の理(とはのことわり)を丁寧(ていねい)に育むの他は無いのだ。

私達の本質が常の理(とはのことわり)の現し世(うつしよ)を育む働きである限り、此れ以外の方途(はうと)は未来永劫(みらいえいごふ)見出だせないだらう。

さて、迷妄念々(めいまうねんゝゝ)が消えた蓮台(れんだい)の上に、小さな包みがひとつ。

開いて見ると、やあ此れはまた美しい山吹色(やまぶきいろ・小判)が一枚。

迷妄(めいまう)を去った命達からの、謝儀(しゃぎ)の贈り物であった。

や、何時(いつ)の間(ま)にか、空一面(そらいちめん)が緋色(ひいろ)に染(そ)まってゐる。

無数の彼岸花(ひがんばな)の花片(はなびら)が、同じ方向を指して浮かんでゐるのだ。

然(さ)うだ、あれは極楽浄土(ごくらくじゃうど)へ渡る浄土舟(じゃうどぶね)。

やゝ何と、次々と浄土舟(じゃうどぶね)に変はってゐるのは、屍(しかばね)と横たはったかと思はれた業火の烏天狗(ごふくわのからすてんぐ)、三途の川子(さんづのかはこ)、賽塊の鬼(さいころのおに)、骨肉一家(こつにくいっか)、それに骨肉六地蔵(こつにくろくぢざう)の面々(めんゝゝ)である。

やゝゝ、そんな彼等の浄土舟(じゃうどぶね)が宙(ちう)の一点にぐるゝゝと渦(うづ)を巻くと、すうっと巨大な仏(ほとけ)の姿を現した。

此れぞ阿弥陀仏(あみだぶつ)の化身(けしん)のひとつ、骨肉大明神(こつにくだいみゃうじん)である。

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つゞく。