『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』
⑪
峠杣一日・著
日本古来の人世観(人生観)幸ひ世一(さいはひよいち)、世は常の親子(とはのおやこ)なり。
人も金も其の本質は常の親子(とはのおやこ)、即ち常の理(とはのことわり)三つ子の魂たる一(いち)の働きであった。
一は壱(壹・壺×吉)、吉(常の理を育む働き)で満ちる壺。
一はいのち(命・令×口)(斎の霊・意の霊)、常の理(とはのことわり)そのもの、また其の働き。
一(いち)とは即ち生命そのものであり宇宙そのものであり言ふなれば神であり、其の八百万(やほよろづ・無数)の現れのひとつに私達がある。
人世(人生)とはそんな常の命(とはのいのち)を愛(いと)ほしむもの、以千代安礼賀志(いちよあれかし)の祈りなのである。
おっとゞうした、向かふ岸の見えない大海原の如き三途の川(さんづのかは)に、此れまた何処迄も広がるどす黒い迷ひの衣(まよひのころも)の群れが押し寄せる様に流れて来たぞ。
つゞく。