『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』
⑩
峠杣一日・著
お金(かね)とは何か。
常の理(とはのことわり)を漢字一文字で現すと、平であった。
人が常の理(とはのことわり)を育むと余力を生み出せる様になり、やがて一(いち)に結ぶ理(ことわり)と其の働きを金と呼ぶのであった。
其れは、
父×母=子
精神×肉体=生命
数金×物金=銭金(金銭(銭は金の子))
と現される。
物金(ものかね)は、純金や土地、自然の恵みや営(いとな)みといった親の働き。
数金(かずかね)は、現金=公債(こうさい)や融通(ゆうづう)などといった親の働き。
此の数金(かずかね)は必要な労力を数値化したものだから、数字がどう変動しても実体は無である。(一イチ=八百万ヤホヨロヅ)
また、単純に人口が減れば労力が減り此の数金(かずかね)の価値も減る。
ともあれ、物金(ものかね)も数金(かずかね)も常の理(とはのことわり)を共に育むものである。
私達は三つ子の魂たる一(いち)の現し世(うつしよ)、幸ひ世一(さいはひよいち)を現す常の親子(とはのおやこ)といふ働きに他ならない。
此の本質を離れると、金に迷ふ事ともなり兼(か)ねない。
つゞく。