『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』⑩ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』



峠杣一日・著

お金(かね)とは何か。

常の理(とはのことわり)を漢字一文字で現すと、平であった。

人が常の理(とはのことわり)を育むと余力を生み出せる様になり、やがて一(いち)に結ぶ理(ことわり)と其の働きを金と呼ぶのであった。

其れは、
父×母=子
精神×肉体=生命
数金×物金=銭金(金銭(銭は金の子))
と現される。

物金(ものかね)は、純金や土地、自然の恵みや営(いとな)みといった親の働き。

数金(かずかね)は、現金=公債(こうさい)や融通(ゆうづう)などといった親の働き。
此の数金(かずかね)は必要な労力を数値化したものだから、数字がどう変動しても実体は無である。(一イチ=八百万ヤホヨロヅ)
また、単純に人口が減れば労力が減り此の数金(かずかね)の価値も減る。

ともあれ、物金(ものかね)も数金(かずかね)も常の理(とはのことわり)を共に育むものである。

私達は三つ子の魂たる一(いち)の現し世(うつしよ)、幸ひ世一(さいはひよいち)を現す常の親子(とはのおやこ)といふ働きに他ならない。

此の本質を離れると、金に迷ふ事ともなり兼(か)ねない。

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つゞく。