『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』⑦ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』



峠杣一日・著

「自分」と言ふのも文字通り「はじめのわかれ」(始めにして結びの現れ)、「一(いち)と八百万(やほよろづ)」で常の親子(とはのおやこ)を示してゐる。

父×母=子
未来×過去=現在
故郷×故郷=不二

私達の命には父なる故郷(ふるさと)と母なる故郷とが宿って共に生きてをり、此の事を不二(ふに(ふじ・富士))と呼ぶ。

三つ子の魂たる一(いち)は、相対(二)ではなく絶対(三)なのである。

朝(あした)に夕べ(ゆふべ)に故郷に思ひを馳(は)せる事は、神仏に手を合はせる事にも等しい。

言ひ換へれば、
『三つ子の魂の一(いち)の感覚や感情に思ひを致(いた)す』
事が大切なのである。

手短(てみじか)な例として、日和(ひより)、青空、月明かり、星空、そよ風、雲海、木洩れ日、春雨ぢゃ…風光明媚(ふうくわうめいび)な心地好い自然を思ひ浮かべて浸(ひた)る等の一時(ひとゝき)も、三つ子の魂の一(いち)を育む働きとなるだらう。

さて、三途の川(さんづのかは)は賽の河原(さいのかはら)の骨肉一家(こつにくいっか)。

彼等の持つ様々な眼鏡(めがね)で以(もっ)て覗(のぞ)けば、人間にこびり付いた迷ひの衣(ころも)を忽(たちま)ちの内に取り除(のぞ)くのである。

三途の川に流された迷ひの衣は、何時(いつ)しか迷ひごと消え去って行く。

何となれば、三途の川とは月虹の水(げっこうのみづ)の大河なのである。

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つゞく。