『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』⑥ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』



峠杣一日・著

日常とは文字通り、常の命(とはのいのち)(永遠の日(命))を生きる事である。

一(いち)の現し世(うつしよ)を育む働きこそが、生命であり日常であり人世(人生)である。

其れはまた、一(いち)を育む働きを「仕(す)る事」なので「仕事(しごと)」とも呼んでゐる。

さて、三途の川(さんづのかは)は賽の河原(さいのかはら)。

迴門號(くわいもんがう)の面々(めんゝゝ)と起き上がり小法師(おきあがりこぼし)の乗り物の小蛇娘お嶺(ころちむすめおみね)と一三娘姉妹(ひみこしまい)、其れを追ってゐたもう一機の起き上がり小法師の乗り物からはお嶺(おみね)の教育係で蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)の姉のお風(おふう・転風子コロビフウコ)が出て来て河原に降り立った。

さてゝゝ、迴門號(くわいもんがう)を綱(つな)で引っ張ってゐたのは沢山の子供達、其れに一人の爺(ぢい)さん。

爺さんの名は骨肉眼鏡(こつにくがんきゃう)、小舟の老婆お錦(おかね・骨肉錦コツニクカネ)の夫であった。

此処に賽の河原(さいのかはら)の番人(ばんにん)、骨肉一家(こつにくいっか)の勢揃(せいぞろ)ひ。

因みに老夫婦も子供達も、首からそれゞゝ眼鏡(めがね)や万華鏡(まんげきゃう)、虫眼鏡(むしめがね)や遠眼鏡(とほめがね)などを下げてゐる。

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つゞく。