『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』
⑥
峠杣一日・著
日常とは文字通り、常の命(とはのいのち)(永遠の日(命))を生きる事である。
一(いち)の現し世(うつしよ)を育む働きこそが、生命であり日常であり人世(人生)である。
其れはまた、一(いち)を育む働きを「仕(す)る事」なので「仕事(しごと)」とも呼んでゐる。
さて、三途の川(さんづのかは)は賽の河原(さいのかはら)。
迴門號(くわいもんがう)の面々(めんゝゝ)と起き上がり小法師(おきあがりこぼし)の乗り物の小蛇娘お嶺(ころちむすめおみね)と一三娘姉妹(ひみこしまい)、其れを追ってゐたもう一機の起き上がり小法師の乗り物からはお嶺(おみね)の教育係で蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)の姉のお風(おふう・転風子コロビフウコ)が出て来て河原に降り立った。
さてゝゝ、迴門號(くわいもんがう)を綱(つな)で引っ張ってゐたのは沢山の子供達、其れに一人の爺(ぢい)さん。
爺さんの名は骨肉眼鏡(こつにくがんきゃう)、小舟の老婆お錦(おかね・骨肉錦コツニクカネ)の夫であった。
此処に賽の河原(さいのかはら)の番人(ばんにん)、骨肉一家(こつにくいっか)の勢揃(せいぞろ)ひ。
因みに老夫婦も子供達も、首からそれゞゝ眼鏡(めがね)や万華鏡(まんげきゃう)、虫眼鏡(むしめがね)や遠眼鏡(とほめがね)などを下げてゐる。
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つゞく。