『なんぞころびやおき』(35) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき』

(35)

峠杣一日・著

おっと、宇宙空間で討(う)ち漏(も)らした贋宝船(にせたからぶね)を追って来た、二枚(にまい)の漆黒の羽団扇(しっこくのはうちは)。

操(あやつ)るのは快刀坊(くわいたうばう)と氷刃丸(ひょうじんまる)、神山(かみやま)の烏天狗(からすてんぐ)だ。

やあ、操縦席からごめんゝゝゝと頭を掻(か)き、ありがちょっぷ~と手を振って飛び去って行く。

「全くふざけた父子(おやこ)だよ、あんな調子ぢゃあ地球が幾(いく)つも要(い)るぢゃないか」

扇子で首筋を叩きながら、お鈴(すゞ)が半(なか)ば呆れて言ふのだった。

さて、私達の命は常の親子(とはのおやこ)の三つ子の魂であった。

即ち、今を生きてゐる私達は宇宙の開闢(かいびゃく)から一度も途切れる事無く続いてゐる命といふ事になる。

私達が生き死にゝ就(つ)いてかにかくに思ひを巡(めぐ)らせるのも、大宇宙としてひとつであり且(か)つ小宇宙としてひとりだからであらう。

人生(生命)の意味は、三つ子の魂の味はひに他ならない。

迷ひの大蛇(まよひのをろち)も、同じ命の出自(しゅつじ)。

和(やは)らぎを産み出すには常の理(とはのことわり)を心身共に育む事が大切なのだと、消えて行く虹を眺めつゝ熟(つくゞゝ)思ふ蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)であった。

つゞく。