『なんぞころびやおき』
(35)
峠杣一日・著
おっと、宇宙空間で討(う)ち漏(も)らした贋宝船(にせたからぶね)を追って来た、二枚(にまい)の漆黒の羽団扇(しっこくのはうちは)。
操(あやつ)るのは快刀坊(くわいたうばう)と氷刃丸(ひょうじんまる)、神山(かみやま)の烏天狗(からすてんぐ)だ。
やあ、操縦席からごめんゝゝゝと頭を掻(か)き、ありがちょっぷ~と手を振って飛び去って行く。
「全くふざけた父子(おやこ)だよ、あんな調子ぢゃあ地球が幾(いく)つも要(い)るぢゃないか」
扇子で首筋を叩きながら、お鈴(すゞ)が半(なか)ば呆れて言ふのだった。
さて、私達の命は常の親子(とはのおやこ)の三つ子の魂であった。
即ち、今を生きてゐる私達は宇宙の開闢(かいびゃく)から一度も途切れる事無く続いてゐる命といふ事になる。
私達が生き死にゝ就(つ)いてかにかくに思ひを巡(めぐ)らせるのも、大宇宙としてひとつであり且(か)つ小宇宙としてひとりだからであらう。
人生(生命)の意味は、三つ子の魂の味はひに他ならない。
迷ひの大蛇(まよひのをろち)も、同じ命の出自(しゅつじ)。
和(やは)らぎを産み出すには常の理(とはのことわり)を心身共に育む事が大切なのだと、消えて行く虹を眺めつゝ熟(つくゞゝ)思ふ蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)であった。
つゞく。