『なんぞころびやおき』
(27)
峠杣一日・著
迷ひといふのは常の理(とはのことわり)の欠乏、三つ子の魂を見失ふ所に生ずる。
一口で言へば、自分が何故生きてゐるのか分からないといふのが迷ひである。
世にある迷ひの粗方(あらかた)、所謂(いはゆる)諸悪の根源といふものゝ正体も此れであらう。
家の命を生きるといふ常の親子(とはのおやこ)の人生観が育まれなければ、生涯が砂上の楼閣(さじゃうのろうかく)ともなりかねない。
仍(よ)って、迷ひを脱却(だっきゃく)する手立てとしては家興(いへおこ)しが望ましい。
心有(こゝろあ)る者は、家を興し、世を助けてお呉(く)れと願ふ蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)であった。
やゝ、見晴(みは)るかす花の雲海(うんかい)の一角(いっかく)に、突如(とつじょ)ぽっかりと影が射(さ)した。
すは、上空から鍍金(めっき)を剥(は)げちょろかしながら墜(お)ちて来るあれは、贋宝船(にせたからぶね)だ。
【お弓】(おゆみ)
隠岐国は五箇の里に住まふ矢五郎の妻。鬼火のお鈴の母。
つゞく。