『豆鼕講座』(お豆さんの豆講座)
第五十八回:令和(れいわ)
峠杣一日・著
来(きた)る五月一日からの元号が、令和と決まった。
新元号を定めるのは、新たに日本肇国(てうこく)の氣吹(いぶき)に立ち返る意味もあると思ふ。
令は詔(みことのり・御言宣)なので常の理(とはのことわり)、即ち好(よ)い。
⇒令(常の理)の口(あり所)が私達の命(いのち・みこと)である。
⇒命令といふのも、常の理(とはのことわり)を現して行く事が趣意(しゅい)となる。
和(龠禾)は、
禾:千(沢山)の人が
龠:笛を
吹く如くにハーモニー、和声を奏でる和(やは)らぎのあり所。
令が一(いち・常の理)で、和が八百万(やほよろづ・私達)。
言はゞ令和は大和心(やまとごころ)、常の理(とはのことわり)に睦(むつ)む常の親子(とはのおやこ)の姿を現してゐる様にも見える。
和(やは)らぎは、常の命(とはのいのち・永遠の命)に生かされてゐる私達が、常の命(とはのいのち・永遠の命)を生きる順行の精神に結ぶ所に育まれる。
和心々々(にこゝゝ)の世を拓(ひら)く事こそが、人間のあるべき姿なのだらう。
【矢五郎】(やごらう)
隠岐国は五箇の里に住まふ樵。鬼火のお鈴の父。