『なんぞころびやおき』
③
峠杣一日・著
本当の倖(しあは)せとは、人間の本質がよしとするところにある。
生きてゐる内に常の理(とはのことわり)を得たい、其の味はひに睦(むつ)みたい。
といふのが人間の願ひであり、本当の倖(しあは)せであらう。
何故ならば、人間とは常の理(とはのことわり)の現れであり、常の理(とはのことわり)そのものゝ命であるからだ。
さて、遂に何も掴(つか)む事なく其の生涯を終へた転何(ころびなんぞ)。
今や阿弥陀仏とひとつになった蓮権現(はちすごんげん)ではあるが、壺舟和尚(こしうをしゃう)の許(もと)で常の理(とはのことわり)を学んだ日々は忘れられぬ思ひ出である。
あの頃と変はらず、二人の持つ月の杯に桜の花片(はなびら)が舞ってゐる。
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<本の紹介>
甦れ日本古来の人生観。
常の理・三つ子の魂。
世は常の親子なり。
『扨抑双紙 以千代安礼賀志』(峠杣一日・著)
送料込1,980円
(詳細は1/6の記事を見て下さい)
![190224_220257.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190224/22/cocochiyosa/52/c1/j/t02200165_4128309614361875745.jpg?caw=800)
【転何】(ころびなんぞ)
(死後、阿弥陀仏の化身・蓮童子と甦り浄土舟を導く船頭となった白装束姿)
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