『あれかし大明神 (扨抑物語 第二幕 98)』 | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。

あれかし大明神
~扨抑物語 第二幕 98
峠杣一日・著

九十八、

原因は、親の働きの不作(ふさく)であった。

人が常の理(とはのことわり)を見失ふと、天の川の鏡が曇り、導(しるべ)の灯火が消えて、贋宝船(にせたからぶね)や大蛇(だいじゃ)等が迷ひ出るのだ。

(復習)

親⇔子
稔⇔種
国⇔家

例へば、金を得る方法は親の働きをする事である。

親の働きは、自他に恵みを育む稔りである。

何かに縋(すが)るだけでは(縁起物持つだけ、念仏するだけ…)、親の働きではないので、金にはなるまい。

金が存在しない世を考へて見れば、解(わか)りが早い。

稔る事と助け合ふ事とが、生きる事である。

「此度(こたび)は、先人(せんじん)達の真心の備蓄で救はれた」

と、一つ目法師(ひとつめほふし)。

此(こ)れから先の天の川の輝きは、今を生きる一人ひとりの肩に掛かって居るのだ。

つゞく