『あれかし大明神』(扨抑物語 第二幕 42)(終) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


あれかし大明神
~扨抑物語 第二幕
峠杣一日・著


四十二、(42/118)

『此の時期は幽霊船が多いが、それにしても些(ち)と多過ぎぢゃ。
天狗達も忙しいの』

『うむ。
迷ひに振り回される者が増えて居(を)る。
理(ことわり)を知りもせんでは、ころっと参って了(しま)ふぞ。
此の頃は、社(やしろ)に来る者でさへ、さうなのだ』

『斎角(ゆづぬ)殿、うちもぢゃ。
至(いた)って真剣に逆行を願ふもんぢゃから、滑稽(こっけい)を通り越して、もう気の毒での』

『どうにも、何をどうして良いのやらで、右往左往(うわうさわう)して居(を)る』

『ぢゃといふて、説教したとて上(うは)の空(そら)ぢゃしの』

然(しか)り。

理(ことわり)に目覚める切っ掛けは、ふと訪れる。

常の理(とはのことわり)自体は、文字通り常(つね)にあり続けてゐる。

其れを掴(つか)むのは、自(みづか)らの心の順行が、理(ことわり)と一つに重なった瞬間である。

(※此処でひとまづ終了します。お読みいたゞきありがたうございました。あしからず。)