あれかし大明神
~扨抑物語 第二幕
峠杣一日・著
四十一、
『人は、自然と一体である事、自然其の物の現れである事を忘れて居(を)るんぢゃらうの』
斎角(ゆづぬ)の笛に誘はれ、酒壺(さかつぼ)提(さ)げてやって来たのは、伊我山(いがやま)の日根居士(ひのねこじ)。
日出居士(ひのでこじ)に似た山伏(やまぶし)であるが、其の長い髪と髭(ひげ)は、黒々(くろゞゝ)と蓄(たくは)へられてゐた。
然(しか)り。
自然とは、文字通り自(はじめ)の然(とほり)、常の理(とはのことわり)の現れである。
また、自分とは、自(はじめ)の分かれ(子)なので、人も当然、常の理(とはのことわり)を現して行く存在である。
人としての其れは、精神に芽生える文化なり。
地上の楽園、神の国等と呼ぶものも、種と稔(みの)りの親子の姿、常の理(とはのことわり)に根差す現し世(うつしよ)を示してゐる。
人は未(いま)だ、成長の途上にあるのだ。
つゞく