『あれかし大明神』(扨抑物語 第二幕 39) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


あれかし大明神
~扨抑物語 第二幕
峠杣一日・著


三十九、

転何(ころびなんぞ)は、薬師堂に住み着いて居た。

展望台からの見晴らしに、大地に、星空に、一向(ひたすら)に心を鎮め続けて居た。

壺舟和尚(こしうをしゃう)の導きで、常(とは)の理(ことわり)を学んだ。

ずっと、種の儘(まゝ)で苦しんで居た命が、感涙に芽吹く。

朧(おぼろ)げにも、常の理に縁遠かった父母の悲しみや、何時(いつ)も差し延べられてゐた一(いち)の見えざる手に、氣付きつゝあった。

さて、寺を訪れる人は次々あった。

だが、壺舟和尚は無論、何(なんぞ)の姿を見る者はなかった。

いづれ、山中(さんちゅう)で彼の白骨が見付かるかも知れない。

或(ある)いは、お兆(とき)達が何処(いづこ)かへ運んだかも知れないが、ともあれ、転何は既(すで)に此(こ)の世の者ではなかった。

つゞく