時間が過ぎていく

いろんな人が訪れ 電話やメールも たくさん頂き 

母親さんは 頑張ったねと 褒めてもらった

昼間に 母親さんが 闘病生活に入る直前まで勤めていた 派遣先の会社に電話をした

あの時は もうホントに 「病気なんで明日やめます!!」 的な感じで 去った会社

社長を含め 5人?位の会社で 急に辞めなければならなくなったことを

申し訳ない気持ちで ずっと気にしていたこと

荷物も宅急便で送ってもらい 引継ぎ等も 何もできず あの当時の会社は大変だったろう

今の時代 母の年齢で 雇い入れてくれて ありがたかったと

社長がご馳走してくれた 今半のすき焼きの話を 嬉しそうにしていた事

しっかり伝えましたから!

電話の向こうの方も いきなりなことで 涙していた

葬儀にも 来てくれるってさ

後で葬儀屋から電話があり 社長さんからお花を頂いたみたいだよ

よかったねー 

良くしてもらってたんだろうなと すごく感じたよ

幸せ者だね 母親さん

夕方には 訪問看護ステーションの ナース全員(5人)で 母に会いに来てくれた

すごいVIP扱いだねー

毎週のように お風呂に入れてもらった 彼女たちが

全員で 目の前に並んでるよー

最後の最後は 違うステーションに お願いする事になってしまったけど

1年8ヶ月あまりの 長い闘病生活中には きっと いろんなお話を したことでしょう

お別れも言えないまま 旅立ってしまったけど

こうして会いに来てくれて よかったねー

すごいねー 母親さん

すごく 幸せ者だねー 

誰かが来るたび 母親さんの話になると 泣いてばかりだけど

夜二人で居ると こうして横に いつものように ただ眠ってるだけのような
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ふと目が覚めて 「○ちゃん」 と 所在確認されて 

「のどを潤すための トマトか麦茶を下さい」 とか言われそうな

「ヤッホー」 っていうと 「ヤッホー」 って返って来そうな

そんな不思議な感覚

でも 実際 毎日 何もしてないので 廃人になってしまいそうww

今日は 溜まった缶を ゴミだしして 

そろそろ 庶務の方を 行動を開始しまーす








午前11時8分 母親さんは 無事 旅立ちました

昨夜から あご呼吸を繰り返し 最後の力を振り絞って生きてきた母親さん

「明日になったら ○○さん達が 3人でお見舞いに来るってさー それまで頑張れる? 10時に駅に待ち合わせだから 10時過ぎには来るからねー」

うなずきはしなかったけど きっと分かってたんだと思う

だって ワシが 呼吸してないの気が付いたの 10時10分

お友達が 我が家最寄のバス停に 着いた頃だった

姿が見えて 気が抜けちゃったのかな? もうちょっと頑張ってあげたら良かったのに

でも 今まで ずっと頑張ってきたもんね

弱音を吐かず 闘病中一度も 「もうやだ」 とか 「死にたい」 とか

言ったことなかったね

すごく 前向きな母親さんだったもん

お疲れ様でした 母親さん

訪問看護さんに連絡を入れ 訪問先生が訪れた

諸手続きを終え 23年10月30日 午前11時8分 母親さんは帰らぬ人となりました

もう 痛い思いをせず 苦しいこともなく よかったね

看護師さんと 桃ざーさんと 3人で 丁寧に身体を拭いて メークして

着替えて かつらかぶったら マネキン人形みたいになっちゃった

若干 久本正美に 似てるような。。

一晩で すごくこけてしまったから 目がくぼんでかわいそう

そんな顔してると みんな悲しくなっちゃうよー

先生は 死亡診断書を書いてくれ 置いていった

訪問先生 訪問看護師さん 本当にお世話になりました

先生達が居てくれて 無事 自宅で母親さんを看取る事ができました

迷いに迷って 迷いながらも そうせざるを得ない時期に突入しちゃった 在宅緩和ケア

今は この最後を選んでよかったと 本当に思います

呼吸が止まる瞬間を ワシは見逃している

母親さんの 爪の間の黒いのを ブラシで 洗ってたんだよね

呼吸が止まったのに気が付いてからも 終わってなかったもう片方の手を洗った

最期は 呼吸間に 1分を費やすこともあると聞いたから また息をするんじゃないかと待ったけど

息が吹き返すことはなかった

でも 最期のその時まで 触れていられた事

隣で眠って 母親さんを感じられた事

ホスピスに入ってたら 無理なことだったかもしれないね

こんな狭いアパートで 二人暮らしの我が家が 自宅で看取れたなんて 夢のようです

それもこれも ケアマネさんを初め 看護相談の姉さんやら 携わった皆さんのお陰です

皆さんが居なかったら 我が家は ここまで頑張れなかった

皆さんの暖かい力を借りて 我が家はここまで頑張れました

他人の為に ここまでいろいろ手厚く 本気で想ってくれる 介護の方々に

深くお礼を申し上げます 本当に 本当に ありがとうございました

感謝してるそばから ケアマネさんがやってきて 泣けた

ホントに我が家の母のように 親身になってくれたケアマネさん

彼女に会えて 涙が止まらなかった

「よくやったよ」って言って 抱きしめてくれた

仕事とは言え こんなにも 優しく親身に 他人の家を 見守り続けることが

ワシにできるのだろうか?

母親さんが居なくなった今日から もうこの方たちとのお付き合いは 実質無くなってしまう訳だけど

本当に 良い出会いでした 暖かいあなたたちに たくさん救われました

いっぱい無理を聞いていただいて ありがとうございました



母親さんが 綺麗になってからは 電話と来客と めまぐるしい時間が訪れた

もっと 整理整頓しとくんだったよ

でも こーなったら開き直りだよ

ベット撤収 葬儀屋さんと打ち合わせ ~ 想定外の納棺式

だんだんリアルになっていく 葬儀の支度と

電話とメールに追われた 長い一日だった

今はゆっくり 母親さんと二人で ゴロゴロしています

母親さんにも 思う存分 一服していただいてます(いいのかな?ww)

葬儀は11月3日 14時~ 本当は焼きたくないけども

家族葬で 我が家レベルの 一日で済ませる 最低限の葬儀です

お土産? も 塩のみ 的な(笑)

高校ちゃんで もし 来てくれる娘が居たら 直メール下さいね



あのブログをUPしてから 間もなく 母親さんの意識レベルが低下してることに気が付いた

いつもの おはよう の 挨拶も 「お・・・ は・・・ ・・・」 終了

びびるしー

めまぐるしく 低下していく体調に  ドキドキして過ごしてたけど

だんだんその時が 近づいてきたようです

看護師さんの回診が11時 

その時は うなづきで 返事ができた(10回の内1.5回くらい)

タイミングによるのかな?

お腹の内出血の具合も だいぶ幅を占めてきた

「座薬を入れてもいいかもね?」

早速眠らせていい時期??

選択の余地が まだあった

できれば 睡眠薬は まだ使いたくなかった

だって そのまま眠ったきりになるなんて まだ 心の準備ができてないもの

渋るワシに 「とりあえず 痛み止めで様子を見ましょうか?」と 看護師さん

ワシは 即同意で 母親さんに 問いかける

「痛いー?」 さっきまでは 頷いていたのに 返答なし

本人痛くないなら 入れる必要なんてないし(座薬)

とりあえず 日曜日に備えて 痛み止め麻薬を たんと処方されてたので

看護師さん居る間に 取りに行った

とても悲しいけれど 近い将来起こりえる現実に備え

頼れる桃ざーさんに 予告℡

彼女は 「うん うん 分かったよー 大丈夫だから 早く母親さんの所に帰ってあげなー」って

すごく 穏やかに 言ってくれた

後で気が付いたら 母親さんに当てて ブログをUPしてた

http://ameblo.jp/hi-momother/entry-11062387664.html

今までずっと 我が家を見守ってくれた 大切なお友達の一人です

これからきっと リアルに庶務が増える我が家

今までずっと いろんなことを 母親さんと二人で決めてきたけど

もう 一緒に考えることも できないんだな 寂しすぎるよ

併せて ワシ用福祉送迎さんにも 予告しといた

帰ると 看護師さんは オイルマッサージをしてくれていた

母親さんは 眠っているけど 心地よかったに違いない

お昼のヘルパーさんもドタキャンして ぼーっと眠る母親さんを眺めてたら

ケアマネさんがやってきた

お菓子をね 少しでも何か食べるようにと 差し入れてくれた

気持ちがね ありがたいよね

何かあったら すぐに電話してねと 彼女は去っていった

その後 先日からご予約頂いていた 母親さんの かつての勤務先の友人が 3人で訪れた

ずっと さまよい中だった母親さんも 終盤やや取り戻し

言葉にならない声で 彼女達の名前を呼んでいた

「あの電話の時は 普通だったのにー」「ホントよく電話してくれたねー」と

みんなに 感謝されていたよ

「自分が最後に声を聞きたいからって 一方的にこんな電話しちゃって ごめんねー でも 声が聞けてうれしい 全然変わってないねー」ってみんなに言ってたよね

みんなだって 母親さんから電話もらって すごく嬉しかったと思うよ

夕方入る予定だった 訪問マッサージもあえなくキャン

電話に出たのは 担当先生でなく院長先生だったけど

現在危篤状態であること でも 話せた昨日までは こんな状態でも来てもらいたいと言ってた事

主治医に手の施しようがないと 再認識させられたつらい時期に 

唯一の自分ケアに感じていたこと 

良い担当先生に会うことができて 感謝していたことを 伝えた

「かならず 本人に伝えます!」 と言って頂き 電話を切った

その後は いよいよ 先生が回診にみえた

眠る母親さんを見て 

「こうやって あごを使って息をするでしょ? 聞いてるかな? お迎えが近いね」

存じております 頂いた本に 書いてあった

「聴力だけは 最後まで残ると言われてるらしいからね

だからいっぱい 話しかけて さすって 最後の時間を過ごしてください」 と 言われた

最高血圧40 数字が物語っている

先生が帰った後 早速桃ざーさんに電話した

すぐ行くからと ご依頼のビアと なんか食べなよと 食料持参で

スナック我が家が 我が家にやってきたー
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ありがたやです マジで

3日ぶりのシャワーもできて 心強くて 安心です

母親さんは今も 一生懸命 呼吸して 眠っています
 
ほぼオンタイムになったブログ

本日も 朝から 看護師さんがみえた

朝一の看護師さんが来る時間は 昨日もそうだけど 結構はっきりしてる

2名の看護師さんに ばーちゃんの闘病生活を 順を追って話していた

二人とも 「へー そうなのー」「あー 大変だったねー」と

親身に聞いてくれるもんだから かなり調子良く マシンガントークな時間となりました

お昼には ヘルパーさんが30分で みえた

身体を拭いてもらい 着替えをしてもらい ワシはその隙に お使いに

帰宅すると ヘルパー主任さんがみえていた

みんな 母親さんを気にかけてくれるんだよね

この時間も 比較的元気で 良く話していた

自分が旅立った後 ワシが心配だっていう 先日 先生にした話を 

懇々としていた やっぱり 「へー そうなのー」「それは心配ねー」と親身に聞いていただき

軽快に話していた

この先 ヘルパーさんが入ることが無くなっても みんなワシを心配してるからと

見守っていくからと 母親さんと約束して 安心させてくれた

その後 お友達2人と 電話で話したけれど 2人目の時は 電話途中で話せなくなっちゃった

寝てるわけではなく 問いかけに頷いたりしてるんだけど 声にならなく あえなく切り上げた

その後は 少し昼寝などをして(ワシも) あっという間に夕方になった

先生の回診があり 院長先生がやってきた

日々摂取量が増えていく痛み止めを 上手く使えるようご指導頂きました

結局 じゃんじゃん使ったほうがいいって事なんだけど

その方が 母親さんも 楽だからと

流れ的には そのまま こん睡状態に 陥るんだろうな

院長先生に 気を許したのか いきなり父親のことを語りだした

相変わらず先生は 「ふーん そうだったのー」「それは大変だったねー」って聞いてくれる

我が家の父親は かつて自殺を図った

不倫の末の 心中だけど その時若干21歳

ワシはと言うと あと1ヶ月で 2歳になろうと言う時だった

ワシはこの事実を 35年間知らずに生きてきた

この生活になって たまたま母親さんの物を片付けてるとき 

偶然見てしまった ボロボロに黄ばんだ新聞の切り抜き

見つけた当初は 知ってしまったことを言えなくて

悶々と過ごしたけど やっぱり こんな狭い我が家では 隠しきれず

知ってしまったことを母親さんに カミングアウトした(酔った勢いで)

母親さんは 落胆し 自分の浅はかさを悔いたけど

話していくうちに 吹っ切れたらしい

幸いにも 周りのすべての人が 事実を知りながら 誰一人ワシに伝えることがなかったと

ありがたかったと 感謝していた

ワシは正直 父親の面影すら覚えていないので

母親さんを苦しめた父親がむかついたし

その後の生活を振り返って 両じじばばは 墓まで秘密を持っていった事や

出会った全ての母親さんのお友達が 普通に接してくれていたことを思い出し泣けた

さらに 適当に生きてきたワシの今までを 

母親さんが どんな気持ちで見守ってきたのかと思うと

お詫びのしようもなかった

そんなあの日の夜のことを いきなり院長先生に話し出した母親さん(会うのは正味2回目)

ずーっと いつか言わなきゃって 思って生きて来たと

自分が伝える前に 他から知れることがなくて ありがたかったと

そして 知った時のワシが 自分をねぎらってくれた事が とても有難かったと

正直 知った時はショックで どうにかなっちゃうんじゃないかと心配してたらしい

あの夜はそんな話はしなかったから

ただワシは 本当の気持ちで 母親さんの苦労しか 思い浮かばなかったんだ

フワフワ ホワホワした 人柄の母親さん

実はとっても芯が強くて たくましい尊敬できる女性です

この闘病生活にも 一度も諦めたり もうやだ とか 死にたいとか 言ったことない

何の為に生きてるんだろう とか 思っても不思議じゃないのにね

ワシに怒られて じゃーもうやめる!! なんて 思っても不思議じゃないのにね

身体のいう事が効かなくなった今でさえ 前向きな心を持っている

本当に ポジティブな 周りに気を使う 母親さんが 誇らしいし大好きです

訪問スタートから 今までの薬

26日 デュロテップパッチ 18:30

27日 アンペック座薬(半分) 6:30
     オプソ 7:00

28日 パッチが ベットに落ちていて 慌てて張りなおす 6:00
     オプソ 7:00 15:00 18:45
     アンペック座薬(半分) 18:45

オプソは 母親さんの痛みの訴えで服用するチューって飲める液体なんだけど

確実に増えてきてる

これ書いてるのは 29日朝だけど

3:30 5:30 に オプソ

今は眠っている だんだん 寝ている時の 呼吸の間隔が 広くなって来た

そのうち 呼吸の間隔が 一分とかにもなるみたいだね

27日 胸に赤い毛細血管が 浮き出てきたのに気が付く

28日 それがお腹にも及んで来た

この皮下出血も カウントダウンの印らしい

いずれは 腕や足にも現れるらしい

体温のコントロールが難しくなってきた

手足は異常に冷えていて 頭は常に冷却しなきゃなほど 暑いらしい

身体は 暑かったり 寒かったり 変化が激しい

日ごとの意識レベルの低下 お話の感じが みるみるスローになってきた

話の内容で 訳のわからないことをたまに言うようになった

先日の冊子によると 無理に否定せず話を合わす必要があるらしい

混乱して錯乱することもあるみたい(まだないけど)

あらゆる症状が 冊子の通り 

順を追って 進行して行ってるんだなと 実感する

もう一個 処方されてる座薬がある

セニランという 座薬

これは かつて起こった痙攣

今は 痙攣止めの薬を 飲んでいない(口から錠剤を飲むのが難しい為)

だから 痙攣が出ないことを 祈るしかないんだけど

もし 出てしまった時 この座薬を入れて 先生に電話するようにと

まじ 無理なんですけどー

痙攣中に 座薬入れるなんて 無理ー

ってかここまで来て 最後に痙攣発作とか 有り得ないよ

と 思って冷蔵庫に保管してたんだけど

今日院長先生と話したら 実は ただの眠り薬

眠って落ち着かせるらしい

だが 母親さんの今の体力だと そのまま眠ったままになるみたい

きっと最後は これをお尻に入れる訳? ワシにはできないよ!

でもね 最近の母親さんを見てると 苦しいならじゃんじゃん痛み止め使って

楽になって欲しいと思うんだ

決してまだ その楽 が 

もう会えなくても楽にしたい には 結びついてないけれど

 
     

やはし ブログが追いつかない現象

さぞかし 気を揉んでいらっしゃることと思います ごめんなさい

さて 母親さんは 今日も穏やかに過ごしております

昨夜あれから 新しく入っていただく 訪問看護センターの 看護師さんから連絡があり

明日から 入っていただけるとの事でした

よって 今までの 訪問看護センターさんとは さよならになる訳なのですが

こちら(ワシ)の希望で そうなったことは 母親さんには 伝えてません

知った顔を 削ってしまったことに 申し訳なさを覚えるけど

その後の連携振りをみると これでよかったのかも っておもう

特に これから万が一 緊急電話で相談するような事態が起きた場合

効果はテキメンに現れる(はず)

早速朝一でみえて 始めましてのご挨拶

特に緊急事態で無い今は 検診と お話 んで 頭を洗ってもらったー

かなりすっきりしたようで ご機嫌に お話をしてました

その後 うとうと始まり お昼のヘルパーさんがみえても 半ボケで話してた

ワシはそのすきに 買い物に行かせていただいた

が 休みを取ってワシが常駐する今 特に固形物を食べられない今

正味1時間の枠を もてあます

ケアマネさんとも相談してて ヘルパーさんは卒業かなとも思ってた

ただ 皆さん決して短い付き合いで無いので 母親さんも急に 会えなくなったら寂しいかな?とか

いろいろ考えてて ケアマネさんは 我が家の都合でいいからね!って言ってくれるけど

特にここ数日の劇的ローテ変化に 皆さんやな顔ひとつせず 付き合って頂いて

今度は 急に職を失う 的な

まー我が家だけ見てる訳でもないし こんなの一方的なワシの感情移入ですが

実際、買い物出してもらっても もてあましたもんだから

やっぱり最後にしようと 今までのお礼やら何やらを 涙ながらに話してた

最後に母親さんに 「○さん今日で最後だから ちゃんと挨拶してね」って言った

○さんも「また元気になったら来ますから 頑張ってくださいね!」と去っていく

・・・ したら

「えー やだ!! ○さんに 会えなくなっちゃうの やだーー!!!」 

去っていく○さんを 慌てて追いかけ 

「涙のさよならをしたけど(ワシ) 母親さんがやだって!! ケアマネさんに連絡しときますので明日からもよろしくお願いします!!」

と いう感じになった

ちなみに今日の この方が 次に入るのは 月曜日

そこまでいけるのだろうか。。。

まあ 母親さんの思い通りにできたし ヘルパーさん達は 本当に振り回してしまい

申し訳ないけれど あと少し お付き合いお願いいたします

ヘルパーさんと ややかぶる時間で 母親さんのお友達が みえていた

先日の電話の相手 かつての同僚の方

いきなりの余命宣告に 居ても経っても居られなく 来てくれた

母親さんにブランケットと ワシに食料を持って

本当はずっと母親さん 友達に連絡したかった

だけど もう少し良くなってから 外でランチでもして集まりたいと言うコンセプトがあり

ずーっと 延ばしに延ばしてる内に 急変しちゃったと言う現状

昨夜も 最後に声だけ聞きたいと 電話で話して 疲れ果てて寝ちゃった

だが いきなり受け止める友人たちは 居ても経っても居られないよ

ワシに お礼だけ言ってきてって! 送り出されたけど

ワシだって それじゃ!! って帰るなんてできない

とりあえず 母親さんに聞こうと思い 帰ってみると

携帯が繋がらないと 怒っていた

やっぱり会いたいから 来て欲しいと 電話したのに

携帯は ワシのキラキラ号の かごの中

後で見たら 不在着信3回も入ってたしww

んで 程なくご対面 昔話に花を咲かせ

写真も撮りました

ガリガリに痩せてしまったけれど 

撮影時には 口紅を塗って欲しいと要求されました 

会えてよかったと

その後みえた 訪問先生に 楽しそうに話してました

軽快にお話しする母を見て 順調でしょう??って思ってたけど

「うーん 昨日より 意識レベルは 低くなってるわねー」

♥akn♥

そおして こんなものを頂いた
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みえないね?

ご家族のみなさまへ 安心して自宅で過ごす為に という冊子

なかには これから起こりえる症状 対処法 心の持ちよう などのアドバイスがあった

宝くじだったら その日から読む本 と言う 高額当選者に与えられる本だね

こんな紙切れが 読むだけで泣ける

母親さん現状
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盗撮
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もういっちょ

骨だね

現在は デュロップパッチ と言う 張るタイプの痛み止めに

補助痛み止めとして アンペックと言う 座薬が処方されております

ってか 人生初座薬投入したー どきどきでしたが 母親さんは

「全然痛く無かったよ ○チャンのおかげで 痛くなくなったよ」と

励ましてくれました

夜には夜で 話したいお友達がまだ居たのだけれど

昼間の忙しさもあり 一人で撃沈

まだ間に合うよね?? 明日だって あるもんね!!
面談の翌日

いよいよ 訪問先生がやってきた

我が家の為に 忙しい時間を割いて トリオでやってきた(当初2名の予定だった)

先生の話は 母親さんに向けてから始まった

「昨日ね お嬢さんに来ていただいて 僕らにここで診察して欲しいと言う気持ちをいろいろ聞きました。 お母さんはどう思う?」

いきなり どう思うなんて言われても・・・ って感じなんだろーと思ったけど

たどたどしく話し出した

「やっぱり 最後まで ここにいたいと 思います」

「それは何で?」

「・・・・・」

そりゃ何で? と言われても・・・ って感じだろう

「でもやっぱり どこでもいいかなって思います」

とか言い出す

「どこでもいいかなってのは 病院に入院してもいいかなってこと?」

「はい」

えーーーーー

「それは何で?」

「娘は仕事をしていて 養ってもらっていて 病院のお金(医療費)も たくさん助けてもらって 私が家に居て たくさん休まなきゃならなくなって 会社の人に迷惑かけて 居れなくなったり 首になったら この先も 娘は 仕事していかなきゃいけないし」

とかって 言い出した

「じゃあもし 娘さんが 仕事も首にならないように休めて この先も問題ないようだったら できれば家に居たいと言う事ね?」

「ハイ」

だいぶ端折ったけど この答えが出るまでに 20分くらいかかったかね

昨日のワシもそうだったけど 深層心理として 自ら、こうしたいんだ!と言う気持ちを

聞き出す為に いろいろ質問 するみたい

母娘 二人の意見が 合致した今夜 先生方は 全力でサポートすることを約束してくれた

ただ 彼らは 訪問緩和ケアチーム

決して 治療を行うわけではないこと これから起こりえる悲しい別れが そう遠くないことを

ダイレクトに伝えてくる

そして 理解しているのかを求めると言う 残酷な仕打ち

「正直ね 解ってはいるんです。 でも ずっと見ないようにしてきた と言うか・・・ ここ最近で急に体が思うように行かなくなって もうそろそろかなって。 でもそれでも現実逃避と言うか・・・」

打ち合わせもしないのに 昨日のワシと 全く同じ事を言った母親さん

やっぱりそうだよね すごく すごく 解ってる

「これから過ごしていく中で 状況はもっと 悪くなると思う 思うようにお話できなくなってくる 最後にやりたいことはあるの? 誰かに会っておきたいとか」

「いっぱいあります! でも 間に合わないかなって いずれ 元気になったらやろうって思ってたから。 それが こんなに急に 悪くなってしまったもんだから・・・」

と 繰り返す

考えれば 2週間前までは 歩いていた母親さん

10日前までは ベットサイドに用意した食事を 自ら取ってた母親さん

そんな数日で 現実を受け止められるわけは無いんだよね

「それじゃあね 娘さんに言っておきたいことはあるの?お話できるうちに 言っておいたら?」

「娘はね 私が死んだら 生きて行けない と言うんです でも 一人でも 頑張って 仕事して生きていって欲しい」

「娘さん そう言ってるけど?」 

いきなり振られて 泣きまくってたワシは 鼻をかんだ

「この先ママが 居なくなっても 頑張ってやっていきます」と

みんなの前で 約束させられた

それから ケアの方向性 計測等を済ませ 明日から 毎日入ると言って

去っていく先生トリオを お送りする際 怖かったけど聞いてみた

「「とりあえずの一週間 経過を見る その間娘さんも休める?」って事はそれくらいの時期と言うことですか?」

「そうだね」

先生が帰られた後も あのドラマのワンシーンのような時間が

頭の中で くるくる 回っていた

それでもまだ もうちょい行けちゃうような気がして

やっぱり 準備なんて できないのです



行ってきました

まー 泣かされること想定内

17日の主治医に書いてもらった紹介状から 急変した現状まで

しっかり ケアマネさん 看護相談の姉さんより 伝達済みでした

最初は 主治医の紹介状から 今までの経緯を確認され 間違いないです と

で どうしたい?

ワシはこの面談に辺り 特に答えを用意してなかった

現状 思いのまま伝えようと 

そんで プロに 審議してもらおうと思ってた

もはや我が家には ジャッジが必要だったりして

現実目前にして 慌ててるくせに 現実見ないようにしてるパターン

何せ、直前にならないと 頑張れない人だから

海外旅行だって 前夜朝まで飲んで 朝シャンを 現地でするぐらいの 女

そして その女の 母親さん

直前まで ひっぱる ひっぱる

状態は ここ数日で急変してしまったけど

ここに面談に来ると決めた日には 正直そんな状態を 考慮してなかった

ただ、面談日数日前に いわゆる 危篤に等しい状態になり

実際目が離せなくなり そんな母親さんを一人置いて 仕事なんか行けるんだろうか?

在宅を選択したからには 朝起きたら・・・ とか 仕事行ってるうちに・・・ とか

それはしょうがないと思ってる って 言ったけど 

実際 そんな覚悟は し切れてない

それ以前に 永遠のお別れが 近い将来来る という事実だって

まるで 夢のような 感覚  覚悟なんてできない

どんなに手厚く介護したって 後悔は絶対残る

当初から 心にあったこの2つを

訪問先生達は 少しでもワシの気持ちが プラスに変わるように

プラスの思いの割合が増えるように 持って行こうとしてるように感じた

母親さんが居なくなることは 事実で 受け止めなければならない現実

それがかなり近い将来であること

そうなったときのワシが これでよかったと 思えるようにするのに

本当に 僕らが行くんでいいんだね? と

中3の時 将来なんて全く分からないのに なりたいものもないのに

どういう風になりたいんだ? って聞かれ 進路を決めなきゃ行けない時みたい

あの時は 別に決まりきらないけど とりあえず 努力しないでも行けるレベルの都立で

電車通学したいから って 進学校をきめたっけ(結果相当おばかで有名学校だったけどww)

でも そー考えると 進んでみて たくさんの良い友達に会えたしな

一生もんの 友達を あそこで得ることができた

やってみないと解らないよね

はたしてこの選択が あってるのか 間違ってるのか

ホスピス入院したら よかったのか 悪かったのか

それぞれ 良いとこと 悪いとこが あるだろう

それでもワシはやっぱり 家で過ごしたいという 母親さんを尊重したいとおもった

母親さんだって 家で過ごしたい と言うけど

苦しくなったり 痛かったりする時に 

ワシが大して助けにならないというリスクがあると言うことを

もう少し把握してもらいたかったりするんだけどね。。。

まぁ 何はともあれ 面談していくうちに 迷ってた気持ちは 確信に変わり

改めて 3人の先生に お願いした

仕事のことも 例えば 長期で休むことは難しいのか?と聞かれたけども 

時短勤務申請中だと伝えた

第一 申請出したあの当時(10月始め)は 

こんなにすぐ緊迫する時期になるなんて思ってなかったし

介護休暇制度もあるけど 収入は40%にさがるし いつまでになるのかか分からなかったから

生活できないかな とか

まだ 有給が20日近く残っていて 比較的取りやすい環境であることを伝えると

じゃあ 明日僕たちが行って 多分これくらいだろうって伝えたら それなりに動けるんだね?と

まるで 残りの有給で 事足りるような 感じに思えた

ってか なんとなく 自分でも 分かってた部分

ただ 認めたくなくて 直視できなかった部分

第三者に きっぱり仕分けてもらって 逆にすっきりするかもな

でも やだけどね 認めたくないけどね

しつこくあがく性格なんです ワシ

濃厚な面談を終え 帰宅し 看護相談の姉さん ケアマネさんに 電話した

姉さんは 不在だったから 伝言

ケアマネさんは 明日先生の往診時に 訪れると言っていた

3人で面談し 明日2人来てくれる流れを伝えると 驚いていた

かなりのVIP待遇らしい

そもそも 通常2ヶ月は軽く待つ面談を2週間後にセッティングしてくれて

更に 急変した状態に 3日縮めてくれて

通常 面談後1週間はかかる 初回の往診が 面談の翌日で

3人しかいない先生のうち 2人も来ちゃうなんて すごいことらしい

それも何もかも 姉さん ケアマネさんの 口利きがあっての事だと

ありがたく実感したよ

夜は 母親さんと語らった

面談のことを話し 最後に会いたい人とかいないのかなと聞いてみた

「いっぱいいるんだけどね。今はもう無理だね。 逆に連絡したら みんな来るって言いそう」

当たり前だけどね

とにかく いつどうなるか分からない状態であることを 一応受け止めた母娘

母親さんの かつての職場仲間に 電話してみた

幸いにも 主たる 3名に つながって

たっぷりお話できたね

ブログも 母親さんから 紹介して! とのことだったので 紹介しました

みんな驚いて 泣いていた

音信不通だった時間を 悔いて お詫びしていた

そんなこと いいんです 誰も悪いわけなんてないんです

最後に懐かしい声を聞けてよかったと とても喜んでいた

さて、 今日も無事朝を迎えることができました

訪問先生は 夕方訪れます

早いとこ 今の苦しいのが 楽になればいいな
先日の激痛の日を境に 著しい体力低下を見せる母親さん

口腔の荒れ 飲み込み力の低下がネックになり

朝8錠 昼4錠 夜7錠 8時20時2錠ずつ の内服が 困難になってきた

ヘルパーさんが 3回入ってくれるようになり 食事と薬をお任せしてるので

優先順位をつけて 何個かは こなしてもらってる

食事と言っても おかゆ5口 とか ゼリー3口とか

胸から下に落ちてかないんだよね 飲み込んだものがさ

そんな状態に試行錯誤してた矢先

日曜日夜 定時で帰ったけど なんか いつもと違う

もーろーとしてて 息が荒い

頭は異常に暑く 2個のアイスノンと 氷枕のローテも 追いつかないほど

やばいかも!! って過ごす夜は長いし

なすすべがない歯がゆさとで ドキドキだったー

でも 一服はするんだよね

頭もしっかりしてて ワシのもたもたに 苛立ってるし

「胸が苦しいんです! 助けてください! どーしたらいいですか?」

とか 聞いてきて イラつかせるし

「喉を潤すものをくださーーい!」とか 「氷枕変えてください!」とか 仕切ってるし

母親さんのイラついたその口調が ワシをイラつかせるという悪循環

明け方頃から 逝く気満々ぽい母親さん

「ありがとねー」を 何回も繰り返すパターンに 変化

そー来られると こっちも しんみりするんだよね

ワシらに 中間はないのだろーか

いつの間にか 朝が来て 呼吸が穏やかになった

とりあえず 落ち着いたのかな?

だがしかし 素人目のワシが見たところ 母親さんは 危篤に等しい状態に見えた

薬も飲めない 訪問医もまだ(水曜面談後スタートだがすぐ来るかは未定)

自分の見の動きを どこへ持って言ったら良いのかも正直分からなかった

姉さんに 訪問医が入るまでは 万が一のことがあったら 警察が介入することも聞いていた

訪問先生が入ってたら 家で先生が看取る事ができるんだって

ってか それ以前に これが 迷いながら決めた 在宅介護なんだね

全然だめジャン! 早速仕事とか行ってる場合じゃない感じだし

でも 今は落ち着いてるし ヘルパーさん3回だし 月曜だから看護師さんも来るし

何とかなるかな? とかもよぎったけど 

やっぱり無理ーーー

とりあえず 恒例の「明日に残した仕事」 と もしかしたら 休み明け(木曜から)

しばらく休むようになるかもなため 身辺整理の為 

朝のヘルパーさんが来たのを確認して 遅刻で会社に行くことにした

そんで とりあえず この状態にすべき事の指示を仰ぐため 訪問看護ステーションに電話

「氷はどお?」ったったそんだけの事が 目から鱗だった

そして これからのことを 相談しようと ケアマネさんに電話した

とりあえず 昼のヘルパーさん終わる前に 帰ろうと思ってる事を告げ

電話を切った

会社について あくせくしてたら ケアマネさんから電話

ケアマネさん→姉さん ケアマネさん→訪問医 連絡してくれたらしい

なんとか我が家への先生の入りを 早めようとしてくれたらしい

万が一のときの 掛かりつけ病院への受け入れを 提案してくれたらしい

「姉さんに電話してみて! 私は後で 様子見に行きますから!!」 と 言っていた

遅刻して行った会社だけど 相変わらず 「他人の事?興味ない、別に」な人種ばかりの店なので

あえて何も聞かれず

ホントは 長にも 事情を報告したくないくらいだけど そー言う訳にも行かないよね さすがに

そー言えば 2名体制の女子 相方さんが 転勤の為 リニューアルしたの 最近

前の相方さんも とてもとてもいい人だったけど

新しい彼女も かなり面識あるし 仕事できるし

正直 この状態での相方が 彼女で助かったと思ってる

一段楽したところで ヤニ場で 昨夜のこと 危篤に近い状態であること

これから 休み多いかもなこと ばーって伝えた

彼女は 「全然大丈夫だから!気にしないで!」と言ってくれた

かつて居た店と同じようなオアシスが 小さいけれども ここにもできた

帰りは ワシ用福祉送迎を依頼し 楽に帰った

帰りながら 姉さんに電話

「ケアマネさんから聞いた現状だと 適当には言えない事だけど まだまだ大丈夫だよ!(私流)」

前にも書いたけど、 こういう時は それでいいんです

急変したって 責めない

医療に携わる方の 大丈夫だよ に ほっとしたいんだ

とにかく 意識はっきりで おしっこ出てるうちは 段階のひとつの目安としてまだ

ってのがあるらしい? ぶっちゃけ なんでもいいんだけどね

飲み込み悪くて 痰が出てるようなら 肺のほうに飲んだものが入って 肺炎的なものになってしまってる 心配があるらしい

でも タバコ吸って えばって仕切ってるくらいなら 大丈夫と

救急時は ちゃんと救急車使って うちに来るんだよと 頼もしく言っていただいた

帰ったら、ヘルパーさんが まだいた

3人ローテの 唯一お目にかかってない方だった

母親さんが 一番好きな人

いつも この方を べたぼめ

1時間の中で 苦痛を感じる時間が 一度もないらしい

いつも 早く来て 時間過ぎまで居るらしい

そんな日々のお礼を兼ねて あいさつしたけど

「○さんはね 本当に楽しくて お話して時間が過ぎちゃうんですよ ここに来るのが楽しみでしょうがないんですよ 」って言ってくれた

ヘルパーさんは うるうるするんだね

看護師さんはしないからさ

「これからも よろしくお願いします!」ってお互い挨拶して 帰って行った

その後は 訪問看護さんと ケアマネさんが 訪れた

ほかの仕事もたんまりあるでしょうに 急変に駆けつけてくれるケアマネさん

母親さんは 拝んでたけどww





訪問看護さんとは、飲みにくくなった薬をどう飲むか?を検討したり

約10日は滞ってるお通じを促したりで時間が過ぎた

久々に、看護師さんに会ったけど、あんなに頼れる感じだったかしら?

訪問医スタートしたら、チェンジ予定なんだけど、惜しいことしたかしら?なんて

看護師さんももしもの時の事を心配していた

手順は聞いてますって答えたけど

実際身体が弱ってきて、急に本気の在宅介護に突入しつつある今

この選択があっているのだろうか?と常に悶々としてる

正直、ワシもしんどいし、何も出来ないことも実感した

えげつないバトルは、チョイチョイ起こるし

何より母親さんを一人にさせざるを得ない時間がある

看護師さんは言った
「誰でもそうなのよ。最後まで、この選択は正しかったのか?って迷い続けるの。覚悟だって、みんな出来ないんだから!」

当たり前の事だけど、しみた

とりあえず、落ち着いてる現状

明日はいよいよ、訪問医療面談です
幸いにも あれから 激痛も起こらず

食欲は低下傾向にありつつも 穏やかな日々が続いていた

水曜日の外来は 特にすることもなく

訪問看護さんに 処方を薦められた エンシュアりキット なる 缶入りドリンク

バニラ味ww

多分飲めない味だろうケド

かつてばーちゃんが 数年 鼻から管で入れてた栄養食が まさにそれらしい

口から飲める物だったんだね

24缶を処方され 

用もなく姉さんの所に行ってみた

「ちょっと寄っただけなんだけども」と言ったけど

「いこいこ♪」って そのまま面談室へ

とりあえず 一連の流れを報告した

あの激痛が起こった前夜は 一週間ぶりに排便があった(人生初のう○ち処理となる)

あの激痛が起こった直前は いつもより頑張って昼食を食べた

上記2点の状況から 上記2点が トラウマになった 母親さん

もともと 口腔の荒れがひどくなってきたのと 

食道も荒れてんのかな?飲み込みの力が低下傾向

一気に 噛まなくて良い 介護食なるものを セッティングした我が家

レトルトとかいろいろあんのねー ゼリーの栄養とか

ちなみにこの日 姉さんにゼリーと とろみ剤のサンプルを頂いた

mama.net を見ながら 話してると ケアマネさんが レトルト介護食のサンプルを持って

訪れていた

わざわざね 我が家の為に 持って来てくれるなんてね

今の我が家には オムツもいっぱいある 処理に使える布切れも 袋いっぱいある

取ってないのに 始末に活用する 新聞紙もいっぱいある

みんな ケアマネさんたちが 持って来てくれたの

「余ってる物だから 気にしないでねー」って

介護食サンプルも 手に入ったらすぐ 持って来てくれて

「○ちゃん病院なら そのすきに行って 一服してもらって来ますから~」 って

実は今回の急変に辺り 火曜日にミーティングが 開催された

そんで とりあえず 昼夕に増設したばかりの ヘルパーさんは

さらに 朝も30分 増設することになった

加えて 2年(弱)前の 入りたて時に 「申し訳ありませんが、入っているときは喫煙ご遠慮くださいますか?」って言われ

腹立たしくも 従った 喫煙問題

「ヘルパーが入る時に 喫煙のお手伝いをさせていただきましょうか?」 と

思いもよらなかった 申し出を 頂いた

高濃度の酸素マシーン周りは 火気厳禁だったし 母親さん自体の手元も

怪しくなってる今 ワシが居るときしか 安心できないな って思ってた矢先だったから

ありがたかった

さすがに母親さんも 「そんなこと 言っていただけるだけで ありがたいですー」

と 泣いた

遠慮してください が だいぶショックだった分

今回の申し出は かなり嬉しかったみたい 

母親さんの涙は 貴重なんです

って 回想シーンを 姉さんに報告した

「本当に 周りに良くしてもらってるんです。 ケアマネさんの担当だって 我が家だけではないだろうに。 まるで 我が家しか担当してないかのような 感じを受けるくらい良くしてもらってるんです。迅速だし じゃ 明日から朝もねって。 入ってくれるヘルパーさんも 母親さんが気兼ねないように 知った顔しか入らない。 みんな予定立てて入ってくれてる現状なんです。」

「あのね そう言うのって、知ってる?みんなね 帰ってくんの。いいケアマネさんに会えて いいヘルパーさんに会えて それって みんな 我が家がそういう風に過ごしてきたからなんだよ。ホントに困った今、今までのそういうのが 全部振り返ってるだけなんだよ。
ここで いろんな人見てて、ホントいろいろいるから。すごく一生懸命やってるのに、なんか巡り合わせの悪い人だっているんだから!なんでこのタイミング?ってのが続くわけ。やることなすこと裏目に出る。だから二人は 頼れる人を頼って 助けてもらえばいいんだよ。」

まーそんなことはないと思うけどね

こじつけだけどね

そー言う言葉だけでも 嬉しいんだ

「順調に 訪問医さんが入れば 後は在宅で 全部やってくれるからね

そーなったら うちには 来なくて良くなる訳だけど

いつでも来て良いんだからね!電話相談でも良いんだからね!」

暖かい思いを胸に 足しげく通った病院を後にした
サカノボルコト17日月曜日の主治医面談後

かなりの久々に、看護相談室を訪れた

思い返せば、21年の1月4日深夜

骨折の為ERに救急で訪れたあの日から

全てが始まった

5日は、強制精密検査

母親さんの誕生日8日には、第一回目抗がん剤スタート

平行して我が家は、看護体制を整える

それはそれは、目まぐるしかったよ

受け止めきれない現実と

どんどん進んでくいろんな事

あの頃はまじ辛かったょ

看護体制を整えるのに、司令塔となったのが看護相談室

主治医から、相談室に落とし、地域の福祉施設に落として頂いた

ほどなくして、ケアマネさんが決まり、今に至るんだけど

各部署の迅速さに、いまだに頭が上がりません

じゃ、明日からそうしましょ!ってヘルパーさんが、初めましてー♪と訪れたり

すぐに必要よね?って、その日の夜に、介護ベッドレンタルが設置されたり

携わる事がなければ知らない世界

日本の福祉制度も、まだまだ捨てたもんじゃない!

大幅に脱線したけど

久々に訪れたワシに、看護相談の姉さんは

「久しぶりねー!」と出迎えてくれた

最初は通院の度に立ち寄ったこのお部屋

一通り態勢整った後も、愚痴ったり、ただ、話を聞いてもらって、泣くだけのワシに

「いいの、いいの、全部ここで吐き出して」って

ワシが帰ります!って言うまで付き合ってくれる姉さん

半年位して、ブログやりだしてからは、ここで吐き出してたから

用事なく行くこともなかったけど

二年近く経つのに、覚えててくれて、嬉しかった

酸素の手配は、翌朝設置と言う事で、数分で終わり

現状からのさかのぼり話で一時間近く居てしまった

迷っていた進むべき道

ホスピス

初めて「ホスピスはもういいんじゃない?」って言ってくれた

「ぶっちゃけ もう間に合わないと思う

母親さんが家に居たいなら そうしてあげたらいいんじゃない?

会社も辞めろとまでは言わないけど そんな数ヶ月もかからないんじゃないかな?(やっぱそうなんだとか思ったけど)」

その後、ケアマネさん←→姉さん で 電話トークもしていただいたらしく

姉さん←→訪問看護施設 ケアマネさん←→訪問看護施設 で 電話トークもしていただいたらしく

あらゆる裏口効きで 面談日が 3日早まった

訪問看護施設は 面談しないと始まらない

その日まで ってか 先生が我が家に訪れるその日まで

平和な日々が続いてくれたらいいなと 願うばかりだった

翌日は 出勤日だったけど お休みを頂く事にした

3日後には経過報告で また一人訪れる

このまま このまま 行けるとこまで 

それが もっと長い 先でありますように



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