ご訪問ありがとうございます
『頑張らない』を楽しむ♡ゆるみんブログへようこそ
\ 初めましてのあなたさまへ /
宜しければこちらのプロフィールから
お読み頂けると嬉しいです
↓↓↓↓↓
プロフィールをお読み頂いて、ありがとうございます。
父への願い
ケアマネ研修の最終日、研修会場を出ながら携帯を開くと、着信履歴がありました。
(あっ着信。 なんだ、母さんからかぁ…。)
プルルルル♪ プルルルル♪
私:「なに?」
母:「お父さんがね、散歩に出たとこで電柱に頭をぶつけて救急車で運ばれたのよ。」
「一応、あなたにも伝えておこうかなと思って」
(一応って…… なに? )
私:「どんな様子なの?」
母:「救急車の中で鼻歌を唄ってたくらいだから大したことないと思うよ」
「あなたも忙しくて大変なのに、ごめんなさいね」
私:「そう、じゃあね」 (ふぅ~…)
母の言葉を信じることはしないで、一度帰宅した母を連れて病院へ向いました。
父は、ICUの隣のHCUで静かに眠っていました。
(やはり母さんの話とは違う…)
私は瞬間心の中で(1週間… かなぁ…)と思ったのです。
何故ならすでに父の顔色はうっすらと黄色くなり始めていたからです。そのことにまだ気付いていない母には言いませんでした。
(いや、そうじゃない。言わなかったんじゃなくて)
(私はいつでも、本当のことは、母さんには言えないからだ…。)
2年前から父の受診に私が付き合うようになった頃には、既にだいぶ腎機能が低下していたようで、いつ透析患者になってもおかしくない状態だったようでした。幸い、先に認知症の確定診断がでたので、食べることが大好きな父は、好きなものを好きなだけ食べていました。本当に、順番が逆でなくて良かった
母と会話はしているけど、私は本音を話さない。(それは恐らく、私が身に付けた防御術だ)
私は勝手に母の気持ちを推測して、こう思っていました。
もう暫くして、夫の死を迎えるであろうこの人の、傍に寄り添うのが、私の役目だ。
それが私にできる母孝行だと。
見合いで結婚したこの二人は、愛し合っているという夫婦関係ではなかったけど、それでも50年以上を共に過ごしてきた夫婦。私から見ると「夫婦の役目を果たしている」というように見えたけど、それなりに良く一緒にいた。
父が認知症の確定診断を受けてからも、その前も随分と父さんに振り回されてきた母さんを、あの時の私は(かわいそう)と思っていたのかもしれない。
(でも、それは違っていました。可哀想などではなかったです。)
当時はまだ母も運転をしていましたが、こういう時はできれば高齢者は運転などしない方がいい。そう思ってほぼ毎日、私が母を乗せて通いました。出来るだけ母と一緒に過ごして、話を聞くようにしていました。でも母が、「ありがとう」「あなたのお陰で本当に助かる」
そう言う度に、どんどん苦しくなっていくのです。
4~5日すると、私に異変が…。
苦しい。自分が壊れていく感覚。遠くからなのか、近くからなのか分からない、「声」のようだけど、別に誰かの声が聞こえる訳ではない。
「もう限界、いいかげんにして」
「このままじゃ、本当に壊れるよ」
それは私の「本心の声」でした。
その日は母さんに小さな嘘をついて、私は一人で父さんに会いに行きました。
あの日から一度も目を開けていない…。
ふざけた鼻歌も唄っていないし、いつもイビキが煩(うるさ)かったのに、今はお行儀よく静かに眠っている…。
ドラマや映画に出てくるような、カッコイイ親父ではなかったし、認知症のボーダーライン(※注)の時期が長かったから、散々迷惑もかけてもらった。
(※注:すでに脳内では初期の委縮が始まっていて、それまでの性格より怒りっぽくなったり、判断力が雑になったりすることがあるが、本人も周囲の人も、まだその段階では認知症とは判断できない。)
それでも私のことを、娘として可愛くて仕方がないというのは、充分過ぎるほど、感じさせてくれる人だった。
育ち盛り食べ盛りの頃に終戦を迎えた父にとっては、家族に美味しいものを食べさせることや、娘に小遣いをあげることが幸せだったに違いない。静かに眠っているその父に、私はもう迷惑をかけられることも小遣いをもらうこともない。そんなことを頭の中で想いながら、
大好きな娘が一人で会いにきたと言うのに、口も開こうともしないで、ただ寝ている父さんに私は言ってやりました。
「これが最後だから、一つだけ私のお願いを聞いて」
「私の辛いことを、全部一緒に持っていって」
と。言ったあとに(ずいぶん、ひどい娘だね)と泣きながら、ひとりで笑ってしまいました。
翌日、病院のからの連絡で父を迎えに行きました。
旅行以外で家を明けたことがない父が、一週間ぶりに実家に帰ってきました。
白い着物を着ている父は少しだけ品があって、趣味で民謡を唄っていた頃のようで、なんだか嬉しそうにも見えました。
「86年間お疲れさまでした。ずっと私の味方でいてくれてありがとう。ゆっくり休んでください。」
納骨の日…
私:「行かないよ」
母:「なぜ?」
私:「土に埋めるところなんて、見てもしょうがない」
そう言い放った自分にびっくりしました。
母からそれ以上は追及されなかったことにホッとして、泣くこともなく、ただ無心の中に父を感じていました。
心の声が叫んだあの日から、何かが動き始めていたのかもしれません。
【連載:03】へ つづく
最後までお読みくださって、ありがとうございました。
介護職で働く方、ご家族の介護をされている方、子育てや親子関係で悩んでいる方、子育てが終わって ” おひとりさま ” をさみしいと感じている方、自分をもっと幸せにしたいと思っている方、そして経済を健康にしたい方、ここにはそんな、いろいろな人生をがんばっていらっしゃる方々が、訪れてくださっています。
これからも ” 自分関係がバラバラ” だった頃のゆるみんが ” 愛の自分関係” になるまでを連載でお届けしたいと思います。
と、その前に・・・
\\2つのランキングに参加してみました//
ポチっと応援していただけると、
とっても励みになります
↓↓↓↓↓
ポチっと、ありがとうございました