先日、まりこさん
のオープンカウンセリングに参加して。
参加するたびに、聴いてるだけでも、毎回いろんな学びとか気づきとか出てくるんだけど。
どの相談者さんの話も、自分にとっても意味があるなって思う。
その中で、
引っかかるワードがあった。
それが
冷たい母親。
(冷たい自分。)
無関心な母親。
(無関心な自分。)
私は、無関心(に見えた)な母親が、
その一面が、
すごく許せなかったんだよね。
自分が悲しくて傷ついたと感じたことがあったから。
だからこそ
自分のなかにもある『無関心』『冷たい』
も、受けいれ難かった。
「あー、あんなこと言って、冷たいかな。」
「こんな事をする私は、ひどいやつなんじゃないか。」
とか、要所要所で、出てくるんだよね。
疲れて電車の中で座ってて、高齢者の方が目の前にいるけど、疲れてて席を変われない自分に、
なんて私は冷たいんだろう
と、心がザワザワしたり
興味ない話には、モロに顔に出ちゃって、
なんて私は無関心でひどいヤツなんだろう
と、ザワザワしたりね。笑。
で、母親と向き合ったときに、
この『無関心』に関して、かなり怒りが出てくる自分が居た。
母親にも当時、泣きながら怒りをぶつけたんだけど、
そこから、母親が、そうせざるを得ない背景があったんだ。そうならざるを得ない背景があったんだ。って、段々と見えてきて。
無関心=愛情がない。愛されてない。
じゃない。んだなって。
で、今回のオープンカウンセリングで、
このワードに引っかかるってことは、
まだ受け入れられてない部分があるんだな〜。私。
って、感じたんだよね。
(そんな自分がダメだ、とかじゃなくて、そーなんだね。って感覚。)
自分が、冷たいなー、って思うとき。
「そんなことないよ!優しいよ!」
と自分に言うより
「え!そりゃそーだよね!冷たいよね( ̄∀ ̄)!無関心もあるよね( ̄∀ ̄)!そんな部分もあるよね!そんなデキた人じゃないよね( ̄∀ ̄)!!笑!
そんなヤツだよね( ̄∀ ̄)!!!」
って、認めたほうが、
『そうだった。私、そんなヤツだわ。笑』
って、心がラクになる。
で、結果として、
自分の冷たさを否定しているときより、自分の冷たさもちゃんと認めたほうが、自分の優しい部分も、認められるようになってくる。気がする。
もっと
冷たい自分。
無関心な自分。
を受け入れてあげよう。
その存在を、認めてあげよう。って思えた時間でした。
そもそも
冷たい。とか、優しい。
とかも、見る角度、見る人によっても
変わるよね。
『ちょっ…!
よりによってこのキャラ。。。!
なんでやーー!!!』
と、心の中でつっこんだ。
このキャラにあまり関心がない私は(嫌いじゃない。けど、一瞬、嫌いになりそうになった。笑)
どうせなら五条悟とか出てくれば良かったのに!!!と、思った。笑。(そこ
このとき、全然コーヒー飲む気分じゃなかったから、もっかいコーンクリーム缶を買い直して、これは持ち帰りました。