草津温泉
厳寒の草津温泉に行った。
硫黄の匂いがして、にごった酸っぱい味のする熱いお湯。
お湯はコンコンと湧き続け、尽きることがない。
露天風呂を含む大きな二つの公衆浴場、旅館の浴場のほか、町の至るところに無料の小さな浴場がある。
お湯に浸かると、雪道を歩いて冷たくなっていた手足は温かくなる。そのうち、じわーっと汗が出てくる。
そんな火照った身体のまま雪道を歩くと、2月の冷たく張り詰めた空気が心地よい。
しばらくすると身体が冷えきって、またお湯に浸かりたくなる。
そうやって、寒さと温かさを繰り返し、繰り返ししながら、一日を過ごす。
温泉は、身体だけでなく心にも良い。
普段の都会の生活では、身の回りのほとんどすべてが人間が生み出し、加工したものばかり。
そんな人間が作った社会の中で、私たちは働き、消費し、憎んだり、羨んだり、得意になったり、望んだり、ちっぽけなことを考えながら生きている。
もちろん、温泉レジャーも、そうした生活における一つの消費活動に過ぎない。
けれど、温泉の圧倒的な水量、そしてお湯に溶け込んだ身体に良い成分は、人間が作り出したものではない。
地球の活動が生み出した温泉は、人間の存在と関わりなく、太古の昔からそこにあった。
人間は、圧倒的な恵みとしてそこに存在するものを、ただ、ありがたいものとして享受するだけだ。
その水は、節約する必要はない。沸かさなくてもいい。入浴剤を入れなくてもいい。
何も作りださなくても、恵みはそこにある。そして、その恵みは、良い人にも、悪い人にも、富んだ人にも貧しき人にも、求める全ての人に分け隔てなく与えられる。
そのことに安心する。
あまりにも豊かな草津の湯に、自分の日常の営みが相対化され、癒された。
硫黄の匂いがして、にごった酸っぱい味のする熱いお湯。
お湯はコンコンと湧き続け、尽きることがない。
露天風呂を含む大きな二つの公衆浴場、旅館の浴場のほか、町の至るところに無料の小さな浴場がある。
お湯に浸かると、雪道を歩いて冷たくなっていた手足は温かくなる。そのうち、じわーっと汗が出てくる。
そんな火照った身体のまま雪道を歩くと、2月の冷たく張り詰めた空気が心地よい。
しばらくすると身体が冷えきって、またお湯に浸かりたくなる。
そうやって、寒さと温かさを繰り返し、繰り返ししながら、一日を過ごす。
温泉は、身体だけでなく心にも良い。
普段の都会の生活では、身の回りのほとんどすべてが人間が生み出し、加工したものばかり。
そんな人間が作った社会の中で、私たちは働き、消費し、憎んだり、羨んだり、得意になったり、望んだり、ちっぽけなことを考えながら生きている。
もちろん、温泉レジャーも、そうした生活における一つの消費活動に過ぎない。
けれど、温泉の圧倒的な水量、そしてお湯に溶け込んだ身体に良い成分は、人間が作り出したものではない。
地球の活動が生み出した温泉は、人間の存在と関わりなく、太古の昔からそこにあった。
人間は、圧倒的な恵みとしてそこに存在するものを、ただ、ありがたいものとして享受するだけだ。
その水は、節約する必要はない。沸かさなくてもいい。入浴剤を入れなくてもいい。
何も作りださなくても、恵みはそこにある。そして、その恵みは、良い人にも、悪い人にも、富んだ人にも貧しき人にも、求める全ての人に分け隔てなく与えられる。
そのことに安心する。
あまりにも豊かな草津の湯に、自分の日常の営みが相対化され、癒された。
リークアンユーと言葉
リークアンユーは、生涯で4つの国家を歌い(イギリス、日本、マレーシア、シンガポール)、6つの言語(英語、北京語、福建語、マレー語、日本語、ラテン語)を話したという。
日本語で君が代を歌っていた、というのが驚きでもある。太平洋戦争中、日本が英領シンガポールを4年近く占領していたあいだ、リーは日本語を覚えざるを得なかった。
リークアンユーの祖先は客家出身の中国人だが、彼の母語は英語である。
政治家になるまでは、ハリー・リーという名前で呼ばれ、英語で弁護士業を営んでいた。中国語は出来なかった。より多くの有権者と触れるため、政治家になって、30歳過ぎてから福建語と北京語をマスターした。
その後、使う機会を失った日本語とラテン語は忘れてしまったという。自らが音頭を取って1979年に始めた「北京官語を話そう!キャンペーン」の後は、福建語も忘れてしまった。
↑これは、2011年の「Speak Mandarin Campaign!」のポスター。
シンガポールの言語環境はユニークだ。
基本的に、国民は誰でも英語を話し、それ以外に、中国語、マレー語、タミール語のどれかを話す。
この4つの公用語は、系統も、発音も、文法も、運んでくる文化も全然違う言葉だ。そうした異なる文化的背景を持った人々数百万の民が、小さな島に仲良く一緒に住んでいる。
それだけでない。なにせ、4人に1人は外国人という国柄だ。街にいるだけで、日本語、フランス語、タガログ語、タイ語、ロシア語。。。。あらゆる言葉が聞こえてくる。
語学好きの私にとって、シンガポールは快適だった。
英語はあくまで実用本位。イギリスやアメリカの英語と違って、ちょっと間違っても誰も気にしない。
リークアンユーの自伝や、シンガポールの歴史を読むと、この移民ごたまぜの都市国家において、国民の一体性を保ち、国を発展させていくうえで、いかに「言語」が大切だったかがわかる。
1965年の建国の時に、英語を実質的な公用語にしたが、国民の出身地の言語も捨てなかった(=学校ではマレー語、タミール語、中国語と英語のバイリンガル教育)。
1979年にマンダリン・キャンペーンを始めてからは、北京官語を重視する姿勢を強め、福建語や潮州語を公的なシーンから放逐した。
ちなみに、華人系シンガポール人の大半は、18世紀以降の福建省や広東省など、華南地方からの移民の子孫だ。だから、彼らの母語は、北京語ではなく、出身地方の方言だった。
それを、リークアンユーは、
...方言に愛着があるのは分かります。でも、世の趨勢は明らかです。北京官語が私たちの母語になるのです...(リークアンユー 2009年3月17日のスピーチより)
とあっさり言って、テレビ局やラジオ局での放送を全て、北京官語に切り替えさせた。
今日の若い華人系シンガポール人は「福建語」や「潮州語」をしゃべるお祖父母さんとのあいだに文化的な断絶がある。外からは分かりにくいが。
当たり前のようにバイリンガルを要求されるシンガポール人の子供たちの勉強はなかなかきつい。
そして、よほど頑張っても、やはり英語力は、英米の子供に叶わないし、中国語も本土の中国人並み
にならない、という。
それでも、シンガポール人は、実用的分野でそれなりのコミュニケーション能力が獲得できれば十分、と考える。そして、語学力を経済分野での競争の武器として利用する。
アジアのどの国よりも英語が通じる西洋的な国として、アメリカやヨーロッパに対しては、アジアの橋頭堡としての地位を確保している。逆に中国に対しては、欧米社会への扉を開く役割を演じて立ち回ろうとしている。経済面では、グローバル資本主義に完全に乗っかりつつも、欧米流に中国の人権政策を批判したりはしない。
徹底してプラグマティックな国なのだ。
...英語を実務言語としたことでシンガポールは急速に発展することが出来ました。シンガポールは英語が公用語なので世界中の教授や教師に来星してもらうことができ、その結果、教育も一流となりました....(リークアンユー 2011年4月23日のスピーチより)
...できれば両親は両方とも、英語ではなく北京官語で子供に話しかけると良いでしょう。どちらかが英語で話しかけると、子供は大人になって、北京官語で話さなくなってしまうから...(同上)
私たち日本人は、ごく自然に、父も母も、祖父も祖母も、そして、おそらく曽祖父母とも同じ日本語を話し続けるのが当たり前だと思っている。太平洋戦争が終わったとき、「日本の公用語を英語にしよう」という話があったことや、「漢字を廃止しよう」という議論があったことなど、今となっては、ぜんぜん、ピンとこない。
日本語を普遍的なものとして捉えて大切にする日本と、プラグマティックに言語を捉え、時代とともに父祖の言葉さえ捨て去るシンガポール。
国柄が違えば、言葉や文化に対する考え方も全然、違う。
ぜひ、コクリコのサイトで、リークアンユー顧問相の2009年のスピーチを読んでみてください。
→リークアンユーの北京官語を話そう!
リークアンユーのエイジング・アドバイス
知人からメールで送られてきた、シンガポールのリークアンユー顧問相のエイジングに関するスピーチ。
このスピーチはかなり有名で、いろいろなところに出回っているようだ。
わずか35歳で一国の首相となり、以後、一貫して政治の第一線で活躍。奥さんを一昨年、亡くしたものの(詳しくは、こちら をご参照)、未だに現役で、間違いなく20世紀最大のアジアの政治家として歴史に記憶されるであろうこの人。当年88歳。
今も世界を飛び回り、国内のみならず国際的にも影響力を維持しているリー顧問相。
どのように「老い」を捉えているだろうか?
それは、国家に対するアプローチ同様、実に、シンプル、合理的でプラグラマティックだ。
●若いときヘビースモーカーだったが、スピーチをしようとして声が出なくなったのを機に30代で禁煙。
●若いときビール腹だったが、写真を見て反省。ダイエットと運動でシェイプアップ。
●ゴルフ好きだったが、運動量を増やすため、中年になってから、水泳、ジョギング、サイクリングに変更。
リークアンユーは、定年退職後も、時計や貴石などのセールスマンの仕事を続けた父を回想する。リーの父は、忙しく人と会い、運動して元気に生き、94歳まで生きたという。
一方、リー自身は、自分の母親が死んだ73歳のとき、サイクリング中に突然、首に違和感を感じた。病院に行ったところ、頚動脈狭窄と分かり、当時はまだ珍しかった、ステント(血管を内部から広げる機械)を装着する手術をした。当時ステント医療技術がなく、そして、自分にエイジングの自覚がなく首の違和感を放っておいたら、母親と同じ年で死んでいたかもしれない、と言う。
80代の今はさすがに注意深くなっている。脳から足への神経伝達が遅くなったことで、急に振り返ると転びやすいという(ただし、2011年末にはこの症状が悪化、現在は歩行困難になっているとの報道がなされている)。
こうしたことをさんざん述べた後、リークアンユーがアンチエイジングの一番の薬、人生で一番大切なこととして挙げているのは、とてもシンプルなことだ。
それは、人と会うことだ。
人間は本質的に社会的な動物だから、人と会って、世の中で何が起きているかをキャッチアップしていないと、どんどん、ダメになってしまう。
定年退職し、社会から身を引くと、人はだんだんと活動範囲が狭まっていき、最後は、思い出の写真と、馴染みの家具と寝室だけが、自分の世界となる。
入院する老人に、医者は、環境の変化に戸惑わないよう、写真を持ち込むよう、アドバイスする。
それに対し、リークアンユーは言う。その瞬間を、少しでも後に延ばせ!少なくとも、私は思い出だけに生きるようにはならないぞ!と。
スピーチ締めくくりのフレーズは、スティーブ・ジョブズの言葉 にも負けないほど、感動的だ。
.....人間には挑戦が必要です。好奇心を持ち続け、挑戦しなさい、というのが、シンガポール人に対する、そして、世界中の人々に対する私のアドバイスです。もし、世界に対する関心を失い、世界の方からも関心をもたれなくなったら、あなたは、あらゆる刺激から切り離された真っ暗な地下牢に永遠に幽閉されることになるのです。それは、何よりも辛い罰であり、それに勝る拷問はありません。
リークアンユーは、間違いなく「世紀の賢人」である。とんでもなく知性的な人であり、怖い人でもある。でも、同時にちょっとヤンチャ坊主っぽいところがある。それが彼の魅力であり、良くも悪くもそういう彼の個性がシンガポールという国に反映されていると私には感じられる。
リークアンユーの言葉を聴いていると、たまらなくシンガポールが懐かしい!
「リークアンユーのエイジング・アドバイス」の全文(コクリコ独断偏見和訳)は→こちら
英語原文は→こちら