アメリカ旅行(8)経済力、幸せ、比較
訪問した国の印象を変えるのは、訪れた国の人々の暮らし向き、豊かさ加減だ。
それは絶対的なものではなく、自分自身の懐具合や円の為替レートによって大きく変わる。
東南アジア諸国の旅行が日本人に楽しく、心地好く感じられるのは、治安も良く、圧倒的貧困や不潔さがないのに加え、人件費が安いせいでさまざまなことが圧倒的に「お財布に優しい」からだ。
もし、タイのマッサージ料金が日本のマッサージ料金と同じで、バリのホテル料金が沖縄並みなら、これらの国の魅力はずいぶん小さくなるだろう。
そういう点では、去年の1ドル=80円のアメリカ旅行は物を安く感じたが、今回の1ドル=100円の旅行では、日米の物価は「ちょうど同じ」に感じられた。
だいたいランチが1人1000円、ディナーは気軽な店でお酒も飲んで3000円。要するに、日本とだいたい同じ値段で、何か、「ものすごく安い!」と感じたモノやサービスはなく、もちろん、アジア旅行と比べるとお財布には厳しかった。
人件費が高いせいか、文化要因のせいか、マッサージ店、美容院など、家族でやっている労働集約的なビジネスはアメリカには少ないように感じられた。一方、サンフランシスコのサウサリートなど、富裕層の住む住宅地やスタンフォード大学の豊かさぶりには圧倒された。
老後を東南アジアで生活するというのは現在の為替レートのままなら実現可能性があるが、残念ながらアメリカで生活するのは難しそうだと感じた。
アメリカは開拓フロンティアや一獲千金の時代がとうの昔に終わっている。生産や流通は極限まで効率化され、企業は集約化されている。そうした社会では、高学歴でないと所得の良い仕事にありつけない。そして良い仕事には高い教育が必要であり、アメリカの教育費はものすごく高い。だから、格差が広がっている。
アメリカには、豊かさから落ちこぼれ、生活保護や補償金によって生きる人々、例えば相対的に貧しいインディアン居住区に住む人々や都市のホームレスがいた。
絶対的に貧しい国であるバングラデシュのスラムに住む人々と、こうしたアメリカでメインストリームの社会から相対的に落ちこぼれた人々。どちらの方がより「可哀相」なのだろうか?
たとえばアメリカン・インディアンのナバホ族は確かに貧しい。でも、その歴史の最も過酷だった時代は過ぎ、今は、一定の自治権を持って、貧しいけれど豊かな自然の中で、ゆったりした生活リズムの中で伝統的な生活や家族の紐帯を維持して暮らしている。
こうした人々と、都会で孤独の中でお金をもたらす雇用を維持するために過酷な労働に耐えてストレスに晒されている人と、どちらが幸せなんだろうか?
あるいは、国を失って中国の圧政下に生きているチベット人と、アメリカのインディアン、どちらが不幸なんだろうか?
そんなことばかり私がツラツラ考えてしまうのは、あるいは、「世界には可哀相な人たちが沢山います。私たちは豊かな日本という国に生まれたことを感謝しましょう」と小さい頃から教えられて育って、いつも何かと何かを比較しているからだと思う。
でも、「誰がどれだけ幸せで、誰が可哀相か」を自分の尺度で比較しようとする精神は、実に傲慢で不毛だ。
幸不幸というのは、経済力だけで決まるものでもないし、他人との比較で決まるものではない。
そしてそれは多様な価値観に基づく主観的なものだ。
私は、お金がないことに不満かもしれない。お金持ちになりたいと思うかもしれない。お金持ちになればもっと自分は幸せになれると考えるかもしれない。
でも自分より恵まれた人から自分の生活スタイルを見下ろされて、「あなたは可哀相だ」「不幸だ」などと言われたら、「何をもって私を可哀相だと思うのですか?あなたは私の生活の本当の実態、何を楽しいと思って何を苦しいと思っているかを知らないでしょう?余計なお世話」と言うだろう。
また私の生活をチラっと見た外国人が、「この人より私は相対的に幸福だ」と感じたとしても、その人の感覚は、私の人生とは何の関係もない。
バングラデシュのスラムの人も、シンガポールで働くメイドやワーカーも、アメリカの居留区に住むインディアンも、国を失ったチベット人も、同じだろう。
そういう人たちを見て、知って可哀相だと思ったり、そういう人たちを見て自分の幸せをかみ締めることには何の意味はないどころか、有害だ。
他人を可哀相と思う気持ちは、他人との間に壁を作る。
それにしても、自分以外の人間の圧倒的な豊かさや貧しさを見てなお、壁を作らず、圧倒されず、比較しない心を保つのは実に難しい。
それは絶対的なものではなく、自分自身の懐具合や円の為替レートによって大きく変わる。
東南アジア諸国の旅行が日本人に楽しく、心地好く感じられるのは、治安も良く、圧倒的貧困や不潔さがないのに加え、人件費が安いせいでさまざまなことが圧倒的に「お財布に優しい」からだ。
もし、タイのマッサージ料金が日本のマッサージ料金と同じで、バリのホテル料金が沖縄並みなら、これらの国の魅力はずいぶん小さくなるだろう。
そういう点では、去年の1ドル=80円のアメリカ旅行は物を安く感じたが、今回の1ドル=100円の旅行では、日米の物価は「ちょうど同じ」に感じられた。
だいたいランチが1人1000円、ディナーは気軽な店でお酒も飲んで3000円。要するに、日本とだいたい同じ値段で、何か、「ものすごく安い!」と感じたモノやサービスはなく、もちろん、アジア旅行と比べるとお財布には厳しかった。
人件費が高いせいか、文化要因のせいか、マッサージ店、美容院など、家族でやっている労働集約的なビジネスはアメリカには少ないように感じられた。一方、サンフランシスコのサウサリートなど、富裕層の住む住宅地やスタンフォード大学の豊かさぶりには圧倒された。
老後を東南アジアで生活するというのは現在の為替レートのままなら実現可能性があるが、残念ながらアメリカで生活するのは難しそうだと感じた。
アメリカは開拓フロンティアや一獲千金の時代がとうの昔に終わっている。生産や流通は極限まで効率化され、企業は集約化されている。そうした社会では、高学歴でないと所得の良い仕事にありつけない。そして良い仕事には高い教育が必要であり、アメリカの教育費はものすごく高い。だから、格差が広がっている。
アメリカには、豊かさから落ちこぼれ、生活保護や補償金によって生きる人々、例えば相対的に貧しいインディアン居住区に住む人々や都市のホームレスがいた。
絶対的に貧しい国であるバングラデシュのスラムに住む人々と、こうしたアメリカでメインストリームの社会から相対的に落ちこぼれた人々。どちらの方がより「可哀相」なのだろうか?
たとえばアメリカン・インディアンのナバホ族は確かに貧しい。でも、その歴史の最も過酷だった時代は過ぎ、今は、一定の自治権を持って、貧しいけれど豊かな自然の中で、ゆったりした生活リズムの中で伝統的な生活や家族の紐帯を維持して暮らしている。
こうした人々と、都会で孤独の中でお金をもたらす雇用を維持するために過酷な労働に耐えてストレスに晒されている人と、どちらが幸せなんだろうか?
あるいは、国を失って中国の圧政下に生きているチベット人と、アメリカのインディアン、どちらが不幸なんだろうか?
そんなことばかり私がツラツラ考えてしまうのは、あるいは、「世界には可哀相な人たちが沢山います。私たちは豊かな日本という国に生まれたことを感謝しましょう」と小さい頃から教えられて育って、いつも何かと何かを比較しているからだと思う。
でも、「誰がどれだけ幸せで、誰が可哀相か」を自分の尺度で比較しようとする精神は、実に傲慢で不毛だ。
幸不幸というのは、経済力だけで決まるものでもないし、他人との比較で決まるものではない。
そしてそれは多様な価値観に基づく主観的なものだ。
私は、お金がないことに不満かもしれない。お金持ちになりたいと思うかもしれない。お金持ちになればもっと自分は幸せになれると考えるかもしれない。
でも自分より恵まれた人から自分の生活スタイルを見下ろされて、「あなたは可哀相だ」「不幸だ」などと言われたら、「何をもって私を可哀相だと思うのですか?あなたは私の生活の本当の実態、何を楽しいと思って何を苦しいと思っているかを知らないでしょう?余計なお世話」と言うだろう。
また私の生活をチラっと見た外国人が、「この人より私は相対的に幸福だ」と感じたとしても、その人の感覚は、私の人生とは何の関係もない。
バングラデシュのスラムの人も、シンガポールで働くメイドやワーカーも、アメリカの居留区に住むインディアンも、国を失ったチベット人も、同じだろう。
そういう人たちを見て、知って可哀相だと思ったり、そういう人たちを見て自分の幸せをかみ締めることには何の意味はないどころか、有害だ。
他人を可哀相と思う気持ちは、他人との間に壁を作る。
それにしても、自分以外の人間の圧倒的な豊かさや貧しさを見てなお、壁を作らず、圧倒されず、比較しない心を保つのは実に難しい。
アメリカ旅行(7)インディアン
長いこと、私はアメリカン・インディアンとアイヌを同じような人たちだと思っていた。
どちらも狩猟採集を生活手段として自然を信仰する素朴な先住民で、後から来た文明の進んだ征服民族に土地を奪われ、滅んだ民族と思っていた。
実際、訪れた北海道の白神で見たアイヌはすでに死んだ文化であり、学問や観光のために人口的に保存されているだけのように感じられた。
だがアメリカを訪れてみると、インディアンは違った。
今日、アメリカ国内のアメリカン・インディアンの人口は241万人。アメリカ人の100人の1人はインディアンなのだ!
今回、訪れた「ナバホ・ネイション」はアメリカ南西部3州にまたがる東北9県を足したほどの広大な地域に25万人の人口を擁し、警察や教育などの自治権を持つ地域で、族立のホテル、工場、大学、カジノがある。ナバホの人々はナバホ語をしゃべる。ナバホ・ネイションにナバホ族以外が勝手に住むことは出来ないし、ナバホ族と認定された人は連邦政府から補償を得ることが出来る。
居留地に住むインディアンの人々がメインストリームのアメリカ人より貧しいことは、国境を越えた途端、道路脇の家屋の建材が安っぽくなり、「ナバホ・ネイション」に囲まれた「ホピ・ランド」のホピ文化センターで見た、ぼろをまとって犬を連れてさまよう老人を見れば分かる。土地自体も、白人が住む地域より雨が少ない荒野だ。
だが、その貧しさは、例えばマレーシアの山奥で見た先住民オラン・アスリの、文明から隔絶された極端な窮乏生活とは違う。アメリカン・インディアンは「どちらかというと貧しい、でも文明生活を送っているアメリカ国民の一部」に見えた。どれだけ失業率が高くても、アメリカという世界一豊かな国に住む彼らの生活は、フィリピンやアジアの都市のスラムの暮らしよりはるかに良い。
ナバホ・ネイションには豊かな観光資源がある。
だが、キャニオン・デ・シェイーなどの大観光地でも、観光客がインディアンの格好をして写真を取れるような、フォークロアを見世物にするようなセッティングは一切、なかった。歌舞伎などの日本芸能や鰻などの食べ物が一義的には日本人のためのもので外国人観光客用ではないように、ナバホ文化もまず何より、ナバホの人々のためのものなのだ。ナバホの人々は物乞いもしなければ、押売りもしない。
モニュメント・バレーなどのナバホ・ネイションの代表的な名所では、「住民の生活に気を遣い、勝手に撮影したりしないで下さい」という看板が立っている。
そしてモニュメント・バレーの博物館では、太平洋戦争でナバホ語が米陸軍の暗号として採用され、ナバホの暗号部隊が八面六臂の大活躍をした一部始終が誇らしげに展示されていた。ナバホの人々は、土地を奪われた恩讐を超え、アメリカ合衆国国民としての意識を持ち、国に忠誠を尽くし、役に立つことを誇らしく感じるメンタリティなのだ。
帰国後、インディアンの歴史について読めば読むほど、「白人の強大な文明に侵略された、純粋で心優しい被差別民インディアン」という通り一遍のイメージも崩れていった。
インディアンには多くの部族があり、異なる言語と習俗があり、長い歴史の中で、インディアンの生活もさまざまに変化してきた。
インディアンの部族の中には、白人にあっけなく根絶やしにされた部族もあれば、白人の習俗を真似ることによって強大化した部族もある。また、ナバホ族はプエブロ族から陶器の作り方を習うなど、白人が来る前から、部族同士は互いに影響を与えてきたこともあれば、戦争もしていた。
ちなみに、ナバホ族は「羊を飼うインディアン」として知られているが、羊はもともとアメリカ大陸にはいなかった。羊とその利用方法をナバホ族に伝えたのはスペイン人で、それは17世紀のことに過ぎない。
インディアン・ジュエリーやインディアン・ビーズも、純粋なインディアン文化ではない。白人文化との接触の中で、わずかこの100年程度で発達したものだという。
ナバホの国民食と言われる、小麦のドーをラードで揚げた「フライ・ブレッド」も、ニューメキシコに強制移住させられたときに連邦政府が供給した小麦粉で飢えを凌いだのが起源だという。
↑フライブレッドにチリビーンズ、レタス、オリーブ、トマトを載せた「ナバホ・タコス」
天ぷらやカステラが、ポルトガルとの接触によって日本の食文化に定着したのと同じようなものか。
さらにナバホの人々の顔立ちは、純粋にアジアの黄色人種的というよりは、白人がずいぶん混ざっているように見えた。スペインからの植民者と戦う中で、混血も進んだのだろう。また彼らの正装は、西部劇に出てくる白人カーボーイの格好と似ている。衣服の習俗も、白人文化とインディアン文化の混淆が進んだのだろう。
かくして、「可哀相な少数民族のインディアン」という私の一方的なイメージは打ち砕かれ、インディアンは日本人同様、複雑な歴史を生き延び、グローバル化する現代社会の中で、さまざまな課題を抱えている世界のさまざまな民族の1つなのだということが分かったのだった。
どちらも狩猟採集を生活手段として自然を信仰する素朴な先住民で、後から来た文明の進んだ征服民族に土地を奪われ、滅んだ民族と思っていた。
実際、訪れた北海道の白神で見たアイヌはすでに死んだ文化であり、学問や観光のために人口的に保存されているだけのように感じられた。
だがアメリカを訪れてみると、インディアンは違った。
今日、アメリカ国内のアメリカン・インディアンの人口は241万人。アメリカ人の100人の1人はインディアンなのだ!
今回、訪れた「ナバホ・ネイション」はアメリカ南西部3州にまたがる東北9県を足したほどの広大な地域に25万人の人口を擁し、警察や教育などの自治権を持つ地域で、族立のホテル、工場、大学、カジノがある。ナバホの人々はナバホ語をしゃべる。ナバホ・ネイションにナバホ族以外が勝手に住むことは出来ないし、ナバホ族と認定された人は連邦政府から補償を得ることが出来る。
居留地に住むインディアンの人々がメインストリームのアメリカ人より貧しいことは、国境を越えた途端、道路脇の家屋の建材が安っぽくなり、「ナバホ・ネイション」に囲まれた「ホピ・ランド」のホピ文化センターで見た、ぼろをまとって犬を連れてさまよう老人を見れば分かる。土地自体も、白人が住む地域より雨が少ない荒野だ。
だが、その貧しさは、例えばマレーシアの山奥で見た先住民オラン・アスリの、文明から隔絶された極端な窮乏生活とは違う。アメリカン・インディアンは「どちらかというと貧しい、でも文明生活を送っているアメリカ国民の一部」に見えた。どれだけ失業率が高くても、アメリカという世界一豊かな国に住む彼らの生活は、フィリピンやアジアの都市のスラムの暮らしよりはるかに良い。
ナバホ・ネイションには豊かな観光資源がある。
だが、キャニオン・デ・シェイーなどの大観光地でも、観光客がインディアンの格好をして写真を取れるような、フォークロアを見世物にするようなセッティングは一切、なかった。歌舞伎などの日本芸能や鰻などの食べ物が一義的には日本人のためのもので外国人観光客用ではないように、ナバホ文化もまず何より、ナバホの人々のためのものなのだ。ナバホの人々は物乞いもしなければ、押売りもしない。
モニュメント・バレーなどのナバホ・ネイションの代表的な名所では、「住民の生活に気を遣い、勝手に撮影したりしないで下さい」という看板が立っている。
そしてモニュメント・バレーの博物館では、太平洋戦争でナバホ語が米陸軍の暗号として採用され、ナバホの暗号部隊が八面六臂の大活躍をした一部始終が誇らしげに展示されていた。ナバホの人々は、土地を奪われた恩讐を超え、アメリカ合衆国国民としての意識を持ち、国に忠誠を尽くし、役に立つことを誇らしく感じるメンタリティなのだ。
帰国後、インディアンの歴史について読めば読むほど、「白人の強大な文明に侵略された、純粋で心優しい被差別民インディアン」という通り一遍のイメージも崩れていった。
インディアンには多くの部族があり、異なる言語と習俗があり、長い歴史の中で、インディアンの生活もさまざまに変化してきた。
インディアンの部族の中には、白人にあっけなく根絶やしにされた部族もあれば、白人の習俗を真似ることによって強大化した部族もある。また、ナバホ族はプエブロ族から陶器の作り方を習うなど、白人が来る前から、部族同士は互いに影響を与えてきたこともあれば、戦争もしていた。
ちなみに、ナバホ族は「羊を飼うインディアン」として知られているが、羊はもともとアメリカ大陸にはいなかった。羊とその利用方法をナバホ族に伝えたのはスペイン人で、それは17世紀のことに過ぎない。
インディアン・ジュエリーやインディアン・ビーズも、純粋なインディアン文化ではない。白人文化との接触の中で、わずかこの100年程度で発達したものだという。
ナバホの国民食と言われる、小麦のドーをラードで揚げた「フライ・ブレッド」も、ニューメキシコに強制移住させられたときに連邦政府が供給した小麦粉で飢えを凌いだのが起源だという。
↑フライブレッドにチリビーンズ、レタス、オリーブ、トマトを載せた「ナバホ・タコス」
天ぷらやカステラが、ポルトガルとの接触によって日本の食文化に定着したのと同じようなものか。
さらにナバホの人々の顔立ちは、純粋にアジアの黄色人種的というよりは、白人がずいぶん混ざっているように見えた。スペインからの植民者と戦う中で、混血も進んだのだろう。また彼らの正装は、西部劇に出てくる白人カーボーイの格好と似ている。衣服の習俗も、白人文化とインディアン文化の混淆が進んだのだろう。
かくして、「可哀相な少数民族のインディアン」という私の一方的なイメージは打ち砕かれ、インディアンは日本人同様、複雑な歴史を生き延び、グローバル化する現代社会の中で、さまざまな課題を抱えている世界のさまざまな民族の1つなのだということが分かったのだった。
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アメリカ旅行(6)サンフランシスコ
カリフォルニアは、明るく能天気な場所というイメージだった。だから、初めて訪れたサンフランシスコの建物が、ヨーロッパ風に洗練されていて、その金融街は昼なお暗く、ちょっとウォール街に似ているのは意外だった。
サンフランシスコでは、マッサージ屋やら、携帯ショップやら、100円ショップやら、コンビニやら、派手な広告やら、猥雑で極彩色でアジア的なものが極度に少ない。
理髪店も重厚で品格がある。
サンフランシスコには大陸横断鉄道建設の労働力として連れて来られた中国人苦力の子孫が多く住む町だ。サンフランシスコのチャイナタウンは、シンガポールのチャイナタウンよりずっと大きい。
そこで代々、故郷の文化を守って広東語を話す中国人ですら、香港人や本土の中国人とは風合いが違うと感じた。白人優勢社会の中で人間の質が徐々に硬質になっていった感じなのだ。
ハワイの風はアジアに近かった。でも、カリフォルニアはすでに大西洋の向こうの遠いヨーロッパの香りがする。
サンフランシスコが美しく洗練されているのは、そこが1848年に始まったゴールドラッシュで発展し、以後、150年を超える繫栄の歴史があるからだ。町全体が石造りであり、地震には遭っても戦災には遭っていないから、東京よりずっと古い建物が残っている。
高級住宅地のノブヒル、そして近郊のサウサリートなどの町並みは息を呑むほど美しい。そしていい匂いがする。そこに住む人々は美しく、幸せそうだ。
それに対して貧しい地域は、ゴミと工場の臭いがする。人々は醜く、悲しそうだ。
東京ではどんな高級住宅地にも醜悪な建物が建っており、何かしらみすぼらしい要素がある。反対に、どんなに貧しい地域にも、それなりにこざっぱりした服装の人たちが住んでいて、小さな鉢植えや子供の遊ぶ姿に何かしらの風情が感じられる。
多分、アメリカで金持ちであることは、日本で金持ちであることよりずっと幸せなことで、アメリカで貧しいことは、日本で貧乏しいことよりずっと不幸だと思った。
私ももしアメリカに住んでいたら、お金持ちになろうとして今よりずっと貪欲だったように思う。
持っているお金の量によって、人生や生活条件があまりに極端に変わってしまうからこそ、アメリカ人は人種性別関わりなく、誰もが必死に貪欲にお金のために働いている。
日本にはどこか、「お金なんて沢山もっていてもしょうがない」という空気が流れている。「お金を持っていることは偉いことでも幸せなことでもない」というテーゼが小学生時代から徹底して叩き込まれる。
アメリカの社会の多くの部分が、お金に対して純粋な「必死さ」を持つ人々によって構成され、巨大な国内市場や証券市場の存在によって、そうした人々が夢をかなえる可能性が開かれている。
成功したい人々は自己責任で、自分の力で運を掴もうとする。そうした掟がアメリカ社会に日本にないキビキビとした雰囲気をもたらしている。
だが、そうした「必死さ」が生む競争から落ちこぼれ、人並みの生活をすることをすら諦めてしまった敗残者に対してアメリカ社会はとても厳しい。そうした人々は存在は無視され、目を背けられて透明な存在になる。
そうしたアメリカ社会の弱肉強食でマッチョな特質は日本社会の特質とまるで違う。
どんな社会にも歴史があり、その特質は歴史によって作られる。でも、日本人は学生時代、ほとんどアメリカの歴史を学ばない。「日本は長い歴史がある国だが、アメリカには歴史がない」というのが普通の日本人のアメリカ理解だが、どっこい、アメリカにはアメリカの複雑で独自の歴史があることを今回の旅行で痛感した。
そんなアメリカ史の重要な出来事、「ゴールドラッシュ」とは何だったかということは、帰国してから読んだ野口悠紀雄氏のこの本にとても面白く描かれていた。野口氏は、グーグルやアップルのような企業がカリフォルニアで生まれたのは故ないことではなく、失敗に寛容で、起業や挑戦を尊ぶカリフォルニア独自の気風が生まれたのは、遠くゴールドラッシュに起源があるという。そして、それを21世紀に伝える「タイムカプセル」の役割を果たしたのがスタンフォード大学だったという。
米国一の地銀であるウェルズファーゴの起源、スタンフォードの創始者であるリーランド・スタンフォードの生涯など、実にエピソード満載で面白かった!
さらにゴールドラッシュの前にもカリフォルニアには人が住んでおり、歴史があった。スペイン人による開拓の歴史があり、その前には先住民インディアンの歴史がある。
だから、「サンフランシスコ」「パロアルト」など、カリフォルニアのほぼ全ての地名がスペイン語起源だ。そして、ピーナツバターやピーカン・パイなど、ヨーロッパに存在しないアメリカの食べ物の大半は、インディアンが栽培していた北米起源の食材だ。
そんなこんなで新しく知った世界に興味は尽きず、帰国以来、西部劇を見まくり、アメリカ関連の本を読み漁っている。金融の仕事を通じて知った、「ファイナンスの本場」としての机上のアメリカとはまた違った世界が見えてきて本当に楽しい。
まだまだ、アメリカについて書きます!
サンフランシスコでは、マッサージ屋やら、携帯ショップやら、100円ショップやら、コンビニやら、派手な広告やら、猥雑で極彩色でアジア的なものが極度に少ない。
理髪店も重厚で品格がある。
サンフランシスコには大陸横断鉄道建設の労働力として連れて来られた中国人苦力の子孫が多く住む町だ。サンフランシスコのチャイナタウンは、シンガポールのチャイナタウンよりずっと大きい。
そこで代々、故郷の文化を守って広東語を話す中国人ですら、香港人や本土の中国人とは風合いが違うと感じた。白人優勢社会の中で人間の質が徐々に硬質になっていった感じなのだ。
ハワイの風はアジアに近かった。でも、カリフォルニアはすでに大西洋の向こうの遠いヨーロッパの香りがする。
サンフランシスコが美しく洗練されているのは、そこが1848年に始まったゴールドラッシュで発展し、以後、150年を超える繫栄の歴史があるからだ。町全体が石造りであり、地震には遭っても戦災には遭っていないから、東京よりずっと古い建物が残っている。
高級住宅地のノブヒル、そして近郊のサウサリートなどの町並みは息を呑むほど美しい。そしていい匂いがする。そこに住む人々は美しく、幸せそうだ。
それに対して貧しい地域は、ゴミと工場の臭いがする。人々は醜く、悲しそうだ。
東京ではどんな高級住宅地にも醜悪な建物が建っており、何かしらみすぼらしい要素がある。反対に、どんなに貧しい地域にも、それなりにこざっぱりした服装の人たちが住んでいて、小さな鉢植えや子供の遊ぶ姿に何かしらの風情が感じられる。
多分、アメリカで金持ちであることは、日本で金持ちであることよりずっと幸せなことで、アメリカで貧しいことは、日本で貧乏しいことよりずっと不幸だと思った。
私ももしアメリカに住んでいたら、お金持ちになろうとして今よりずっと貪欲だったように思う。
持っているお金の量によって、人生や生活条件があまりに極端に変わってしまうからこそ、アメリカ人は人種性別関わりなく、誰もが必死に貪欲にお金のために働いている。
日本にはどこか、「お金なんて沢山もっていてもしょうがない」という空気が流れている。「お金を持っていることは偉いことでも幸せなことでもない」というテーゼが小学生時代から徹底して叩き込まれる。
アメリカの社会の多くの部分が、お金に対して純粋な「必死さ」を持つ人々によって構成され、巨大な国内市場や証券市場の存在によって、そうした人々が夢をかなえる可能性が開かれている。
成功したい人々は自己責任で、自分の力で運を掴もうとする。そうした掟がアメリカ社会に日本にないキビキビとした雰囲気をもたらしている。
だが、そうした「必死さ」が生む競争から落ちこぼれ、人並みの生活をすることをすら諦めてしまった敗残者に対してアメリカ社会はとても厳しい。そうした人々は存在は無視され、目を背けられて透明な存在になる。
そうしたアメリカ社会の弱肉強食でマッチョな特質は日本社会の特質とまるで違う。
どんな社会にも歴史があり、その特質は歴史によって作られる。でも、日本人は学生時代、ほとんどアメリカの歴史を学ばない。「日本は長い歴史がある国だが、アメリカには歴史がない」というのが普通の日本人のアメリカ理解だが、どっこい、アメリカにはアメリカの複雑で独自の歴史があることを今回の旅行で痛感した。
そんなアメリカ史の重要な出来事、「ゴールドラッシュ」とは何だったかということは、帰国してから読んだ野口悠紀雄氏のこの本にとても面白く描かれていた。野口氏は、グーグルやアップルのような企業がカリフォルニアで生まれたのは故ないことではなく、失敗に寛容で、起業や挑戦を尊ぶカリフォルニア独自の気風が生まれたのは、遠くゴールドラッシュに起源があるという。そして、それを21世紀に伝える「タイムカプセル」の役割を果たしたのがスタンフォード大学だったという。
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米国一の地銀であるウェルズファーゴの起源、スタンフォードの創始者であるリーランド・スタンフォードの生涯など、実にエピソード満載で面白かった!
さらにゴールドラッシュの前にもカリフォルニアには人が住んでおり、歴史があった。スペイン人による開拓の歴史があり、その前には先住民インディアンの歴史がある。
だから、「サンフランシスコ」「パロアルト」など、カリフォルニアのほぼ全ての地名がスペイン語起源だ。そして、ピーナツバターやピーカン・パイなど、ヨーロッパに存在しないアメリカの食べ物の大半は、インディアンが栽培していた北米起源の食材だ。
そんなこんなで新しく知った世界に興味は尽きず、帰国以来、西部劇を見まくり、アメリカ関連の本を読み漁っている。金融の仕事を通じて知った、「ファイナンスの本場」としての机上のアメリカとはまた違った世界が見えてきて本当に楽しい。
まだまだ、アメリカについて書きます!