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書評『’子’のつく名前の女の子は頭がいいーー情報社会の家族』

たしかに、日本全国から○○子ちゃん、が減った。

ちびまる子世代の私(1967年生まれ)の小学校のクラスの女の子は7~8割がた、○○子ちゃんだった。

が、2002年生まれの息子の小学校のクラスの女の子に○○子ちゃんは、一人もいない。

といっても、この本は、可南子ちゃんや桃子ちゃんは、彩香ちゃんや百花ちゃんより頭がいい、と本気で言っているわけではない。

メディア(テレビ)が人々の生活に与える(or 与えた)、無自覚的な恐ろしい影響について語っているのだ。

「近頃」の子供が「変わった」のは、なによりまず、親が変わったから、であり、親が変わったのは、昭和30~40年代に急速に始まったテレビ中心の家庭生活に原因がある、というのが筆者の意見である。

名前は自分で命名するものではなく、親からもらうものである。

「子」の付く名前を好まなくなったのは、若者ではなく、その親の世代である。

筆者は、それを、人々が、テレビで見た女性タレント風の名前を子供に付けるようになったせいだ、とする仮設を立て、その仮説を、名前を時代別に統計的分析することで、実証する。

メディア第一世代は子供時代、一日に2~3時間、テレビを見ながら成長した。こうした生活スタイルは、彼らに独特のコミュニケーション・パターンを作り出した。

それはメディア第一世代がすくすく育つのに、直接的には影響しなかった。彼らは、社会に適応し、就職し、結婚し、「まともな大人」になった。

問題は、メディア第一世代ではなく、むしろ、その子供であるメディア第二世代に強く現れることになった。

人間は何より、乳児期、幼児期に家庭内でのコミュニケーション、親による語りかけを通じて、世界との交わりを学んでいく。

テレビは、行間を読んだり、相手の様子を読んで情報を与える、ということをしない。受け手の状況にはお構いなしに、一方的に情報を流し続ける。

テレビ的コミュニケーションに馴れきったメディア第一世代は、子供が必要とする情報を与える代わりに、子供がすでに知っている情報ばかりを与える。

「試験で20点とっちゃった」
「だから勉強しなさいって言ったでしょ。いつもそうなんだから」

こうしたやり取りばかりを、親とすることで生まれたのが、情報をインプットしても、それを自力で加工してアウトプットに転換する能力を持たず、そこにある情報をただ消費するだけの若者たちである。

筆者は、放射能汚染の影響が、次の世代に現れるのと同じくらい、メディアの影響は不可視的で、長期的で、恐ろしいものだ、と言う。

原発事故の影響が当初思った以上の広がりを持つ今日、この言葉はいっそう、重みを持つ。

たしかに、私たちは、タバコや放射能や食品添加物の害には神経質でも、メディアの害についてはあまりに無自覚だ。

もちろん、「子供たちにあんまりテレビを見せないようにしよう、テレビは人を受身にするから」くらいのことは、考える。

だが、「すでに自分が汚染されているかもしれない」、とはなかなか思わない。

もしかしたら、自分自身が子供時代にテレビを見まくったため、子供に対するコミュニケーションがヘンになっているかもしれない、とは考えたくもない。

それが、メディア第一世代に共通した傾向があるとしたら、他人の歪みにも気づきにくい。

一般に、モノゴトの原因や成り立ちは、長期的で、複合的で、連鎖的で、当事者にははっきり自覚されないことが多いのだ。


子供を持つ、全てのお父さんとお母さんに。

“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045))/金原 克範
¥735
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朝鮮陶磁名品展ーー静嘉堂文庫


久しぶりにTSUTAYAに行ったら、「アジア」「韓流」「テレビドラマ」のスペースがものすごく大きくなっていて、「洋画」が小さくなっていて、びっくり。

とくに、韓流のテレビドラマのコーナーは巨大で、DVDコーナーの3~4割を占めている。

21世紀になってからの、エンターテイメント業界や、化粧品業界での韓流の進撃、日本文化への浸透は、ものすごい。


でも、日本人が朝鮮の人々の文物に惚れるのは、これが初めてじゃない。

まず、17世紀の、茶の湯の世界での「高麗茶碗」ブーム。

そして、浅川兄弟、柳宗悦などのインテリが牽引した、大正時代の、「李朝陶磁」ブーム。


いずれも、日本人が朝鮮の焼き物に惚れて、惚れて、惚れ抜いた。

で、日本人が惚れた朝鮮陶磁ってどんなものかを、一望できるのが、静嘉堂文庫 の朝鮮陶磁名品展。

ライオンシティからリバーシティへ

朝鮮半島は小さいから、朝鮮の陶磁は中国陶磁ほどにはバラエティに富んでいない。

だから、覚えるのもそれほど難しくない。

基本となるのは、三種類。

高麗青磁、粉青沙器と、李朝白磁だ。

どれも、中国陶磁の影響を受けて発展しているのだが、中国陶磁とは似て非なるもの。

親しみ易くて、素朴で、シンプルで、可憐で、飄逸で、モダンで。

ちょっと物悲しかったり、情緒的だったり。

井戸茶碗の枯れた端正な風格や、

秋草手の逍遥とした感じ、

刷毛目のモダンな感覚、

李朝中期の白磁壷の、湿ったなまめかしい肌合い。

伊万里や唐津などの、日本の陶磁器とも明らかに違う個性がある。

不思議なことに、朝鮮陶磁器にここまで入れ込むのは、世界広しと言えども日本人だけ。


ご他聞にもれず、私も朝鮮陶磁が大好き。

単に綺麗、というのではなく、心に浸み込んでいく感じがある。


ライオンシティからリバーシティへ
↑18世紀後半 李朝染付丸壷にアジサイを生けた

日本文化は、根底で朝鮮文化とつながっている。思った以上につながりが強いのだと思う。

朝鮮半島の文化の情緒は、日本人のツボに効く。

展覧会は12月4日まで。

ぜひ、一度、ご覧になってください。

静嘉堂文庫は、三菱財閥の岩崎家のコレクションを公開した博物館です。ちょっと不便な場所にあるけど、こじんまりとして、とてもくつろげる博物館で、お勧めです。

静嘉堂文庫
〒157-0076 東京都世田谷区岡本2-23-1
03-3700-0007
10時~4時半
(月曜日休み)






アヤーン・ヒルシ・アリ

世界的にかなり有名だが、日本では有名でない人は結構多い。


彼女の名前は、アヤーン・ヒルシ・アリ


ライオンシティからリバーシティへ

イスラムと戦うソマリアの黒人女性で、オランダ籍。オランダの国会議員だったこともある。


これが彼女の自伝。

もう、服従しない -イスラムに背いて、/アヤーン・ヒルシ・アリ
¥1,890
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真面目なタイトルと表装。日本人の日常からは遠い宗教、第三世界、政治やフェミニズムについてのイデオロギー色の強い硬い本だろうと、引いてしまいがちだが、内容はそうでもない。


文章が平易でストーリーが面白い。


残酷な氏族社会、父母との不和や、イスラム信仰と西洋文明のあいだでの気持ちの揺れが描かれた前半と、20歳でオランダに自分の意思で難民として移民してからの頑張り、自立、西洋的価値観への目覚め、イスラムとの決別、政治家となった経緯が描かれる後半のコントラストが見事。


さすがに、欧米でベストセラーになっただけのことはある。


でも、当然ながら、単なるシンデレラ物語では終わらない。


彼女の最終的なメッセージは、極めて政治的だからだ。「イスラムに対し、寛容の精神で接してはいけない。それは女性を虐待する宗教であり、改革が必要だ!」。


男女差別はイスラムの聖典であるコーランに明記されている。よってイスラム教の教義そのものが間違いで、イスラム教のせいで、中東やアフリカの発展が遅れている、と言う。


このような発言のおかげで、欧米のインテリの人々から支持を得た半面、原理的イスラム勢力から敵対視され、命の危険にさらわれながら生きている。


こうしたことは、日本人にはとても分かりにくい。

日本は歴史的にイスラムとの関わりが小さいし、一神教の信仰も根付いていないから、「イスラムと欧米文化の衝突」や、欧米社会の移民政策や、複雑な文化や政治の文脈をなかなか理解できないのだ。


私は、イスラムの文化は好きで、とても興味がある。


フランスやシンガポールで知り合ったモスリムの人たちは、皆、感じのよい人たちだった。


でも、イスラムがいいか、悪いか、言えない。宗教のことを深く考えることができない。


宗教だけではなくて、いろいろなことに対して、良し悪しが言えない自分がいる。


すぐ相対主義に陥って、「Aもいいけど、Bもいい」と考えてしまう。


たとえば、「昔の日本には男女差別があったが、その分、女性は守られていた。だから、今がいいか、昔がいいかは簡単には分からない」とか、「西洋社会にもイスラム社会にも、それぞれのやり方がある。だから、互いに干渉せず、寛容の精神で共存すればよい」とか、「太平洋戦争で日本はアジアに悪いことをしたが、アジアを解放した面もあった」とか、考えてしまう。


そのことを、これまでは、とりたてて悪いことだ、と思っていなかった。


あるいは、そのような考え方の癖を身に付けてきたのは、私個人の問題というより、受けてきた教育のせいかもしれない。


ヒルシの本を読むと、


(A)「なにかを自分の問題として、問題全体を臨場感を持って、しかも独善的ではないか注意しながら、真剣に、イエスかノーを問いかけながら考える」


ということと、


(B)「所詮、他人事であり、自分の生活の本質には関係ないから、適当に感覚的に、他人の言葉を使って考える」


ということの違いがいかに大きいか、分かる。

あまりに自分が直面した問題が大きすぎるために、何が本質的かは自明で、それに取り組むことが人生そのものとなっているヒルシ


そのおかげで、彼女は苦労の多い人生を送っているが、その分、彼女の言葉には力があり、その人生は他人に影響力を持つ。


価値判断するとはどういうことか?


一つの立場をとる、とはどういうことか?


この本は、読む人にこうした自問をさせる、良書だと思う。