ライオンシティからリバーシティへ -15ページ目

人生のパッチワーク

2008年8月にシンガポールに住んでいて雲南地方に旅行した後にこのブログを始めたけれど、読み返してみれば、徐々に書く内容が変わってきている自分がいる。

シンガポールに住んでいたころは、目の前に展開する、新しい世界に驚きながら、夢中になって、「面白いこと、不思議なこと」を追い続けてていた。

シーク寺院雲南のチベット寺院スリランカのアーユルヴェーダ

ペナンの食べ物 や、シンガポールの欧米人社会

熱帯のスケートリンクシンガポールという国の不思議

アジアの文化、歴史、宗教に開眼した私は、帰国したとき、これからも、「シンガポールで出会った世界」を追求し続けていこうと決心していた。

古美術とサンスクリット語の勉強をはじめ、アーユルヴェーダや東洋美術の知識を深め、広く浅かった知識を深め、できれば、そうしたことを何らかの形で仕事に出来れば、などと、考えた。

ところが、帰国して1年が過ぎ、東京の現実に馴染むほど、シンガポールに住んでいたときの「感覚」はどんどん、薄れていく。動機も、興味の対象も、どんどん、変わっていく。

あるいは、シンガポールは、所詮、ロングバケーションに過ぎなかったのかも、とも思う。

ちなみに、シンガポールに行く前、2005年から2007年まで、私は、白金台と大手町 、というブログを書いていた。

当時、東京の金融機関にフルタイムで勤めていた。当時の私は、大手町と白金台の往復ルーチンが人生の大半だった。

無味乾燥な生活のなかで、何か楽しいことを、と思って始めたブログだった。

人間、住む場所や仕事が変わると、頭や心の内容が随分、変わる。

たった5年の自分の変化に驚くほどだ。

必ずしも私という人間の質が変わったのではない。住む場所や仕事や、付き合う人の種類により、インプットする情報が変わり、それによって、その時々の興味の対象や思考の内容が移り変わってきた、ということだ。

たった5年でもそうなのだ。

10年前、15年前、20年前の私の環境と頭の中は、さらに違っていた。

20年前には、フランスで国際結婚して、小さなコンサルタント業を営んでいた。

15年前は、やっぱり、フランスで独身で、欧州株を売っていた。

10年前は、日本の外資系金融機関で、債券アナリストをしていた。

まるでカメレオンのようだ。

それぞれの時代、いろいろな人に出会った。

目を閉じれば、10年前、、それぞれの時代の住んでいた部屋に匂いや、買い物をしていた店のディスプレーまで鮮やかに思い出すことができる。

一つ一つにあまり連関のない経験の断片のすべてが、私の歴史だ。

一つ一つはまるで別の体験なのだが、やはり、Aの体験がBの体験を導き、BがCを導き。。。というように、すべての展開は、因果関係を持っている。

あるいは、私の後半生にするべきことは、楽しみや新たな興味や学習の内容を外に求めていくことではなく、前半生のさまざまな体験を統合しようと努力することかもしれない。丁寧にパッチワークをする職人のように。。。。




















それで、帰国後は、古美術の勉強、


兜町の250円弁当

ウォール街では、富裕層に対する抗議デモが起きているというのに、

日本のウォール街こと、兜町はこのありさま。

ライオンシティからリバーシティへ

11時になると激安お弁当の販売がはじまり、11時半には、証券マンの行列ができる。

東証を中心に発展し、バブル時代に栄華を誇った兜町、茅場町地域は、もう、20~30年も、ゆっくりとした衰退の道をたどっている。

というのも、株価(日経平均)が、こんな感じだから↓
ライオンシティからリバーシティへ

私自身、この街で、1993年に格付けアナリストとして職業生活の一歩を踏み出した。

そう、当時の日経平均は、2万円をちょっと割れたくらいの水準だった。今の、2倍以上。

私がこの街で働いているあいだ、地下鉄サリン事件が起き、阪神大震災があった。そして、この街を離れる直前に、北海道拓殖銀行がつぶれ、三洋証券が破綻し、そして山一證券が破綻した。

ソフトバンクは、まだ、パソコン雑誌を売る、海のものとも山のものとも知れない会社だった。楽天のショッピングモールも、ユニクロのポロシャツもなかった。

スターバックスも、グーグルも、携帯電話もなかった。

明らかにバブルは崩壊し、日本の衰退は始まっていた。世の中の潮目の変化を感じさせる事件がたくさん起きていたにもかかわらず、当時の証券業界はまだまだ今より明るかったように思う。

いろいろな流れが交錯していた。

日本株は振るわなかったが、その分、「グローバル化」、「金融テクノロジー化」という新しい流れがあった。外国債券投信やREITのような新しい商品が次々生まれていたし、邦銀や保険会社が不良債権問題で打ちひしがれているあいだに、自国の好景気を背景に、外資系金融機関が続々、東京に進出し、証券業界の雇用の受け皿を果たした。そのうち、デリバティブや証券化といった米国発の金融技術や、ファンドビジネスなどが入ってきて、大きな市場を作った。

バブルが崩壊しても、投資意欲を失っていない個人投資家は多く、新自由主義の流れのなかで、「貯蓄から投資へ」という意識も盛り上がった。新しい金融商品が次々に開発され、市場に投入された。

長期的な下落傾向のなかでも日本株はたびたびミニブームが起きた。投資家は、日本経済の本格回復への期待やら、エマージング市場の成長期待やら、さまざまな期待を胸に兜町に手数料を落とし続けたのだ。

だから、兜町の中心プレーヤー、地場証券会社の証券マンたちもまた、過去の蓄積をテコに、もろもろを逆風にもめげず、なんとか生き延びてきた。

でも、2008年のリーマンショック後の兜町の情況は、あまりにむごい。

隅田川から霊岸橋を渡り、茅場町から大手町を通って皇居まで自転車で駆け抜けると、まだまだ活力を保つ大手町に比べ、兜町の零落ぶり、右肩下がりぶりがヒシヒシと身に迫ってくる。

シンガポールのホーカーの2ドル(120円)のチキンライスはちっとも哀しくなかった。

でも、兜町の250円のお弁当は、あまりに哀しい。

250円のお弁当市場を作り出しているのは、将来に対する希望のなさと、極端な不安だ。

兜町よ、よみがえれ!










オジサンと宗教

プレジデント12.5月号 の見出しは、こんなふう。

ライオンシティからリバーシティへ

プレジデントは、都市で働く40~60代のサラリーマンが読む雑誌だ。

電車の中で、プレジデントを開いて聖書の言葉を学ぶオジサンの姿って、ちょっとキモイな。。。。

スポーツ新聞や週刊誌との競合のせいか、たしかにビジネス誌は昔からあんまりビジネスっぽくない特集をしていた。

一番、硬派で企業記事が多い「日経ビジネス」も、ページを開けば、意外と多彩な内容。

「東洋経済」や、「エコノミスト」や、「プレジデント」は、「日本の給料」とか、「(子供の)大学偏差値」「蓄財の知恵」とか、いわゆる、「オジサンたちが自分の立ち位置を確かめるため」の情報記事が多い。

英エコノミストのような、真面目な国際関係の記事や、突っ込んだ経済分析記事は、日本では驚くほど少ない。

それでも、ここまでベタに「宗教」を特集するビジネス誌は、私の知る限り、初めてだ。

たぶん、アメリカでも、フランスでも、シンガポールでもインドでも、メジャーなビジネス誌が「宗教」を特集するなんて、ありえない。

ビジネスの場に宗教を持ちこむのはタブー、という世界の常識も、なんのその。

日本でも、昔はブッダだの、キリストだの、という形而上のことは、「理」で成り立つビジネスには持ち込まない、という良識があったと思う。

オジサンたちは、少なくとも背広を着ているときには「信仰」を語らなかったものだった。

メジャーなビジネス誌が冗談ではなく、本気で、宗教を特集するということは、サラリーマンの関心事が、経営哲学や歴史や自己啓発ではあきたらず、いよいよ、スピリチュアル、宗教にシフトしつつということだろうか?

思いおこせば、佐藤優のような神学部出身のキリスト教知識人が寵児となり、神学解説書を書いたり、スマナサーラ師や小池龍之介のような仏教僧侶の本がベストセラーになったり、といったことも、10年前にはなかった、21世紀の日本の新しい現象だ!

戦後日本人の信仰の中心は拝金主義と会社中心主義だったから、私たちの大半は、子供の頃からなんの宗教教育を受けていない。ごく自然に、無意識に、会社中心主義、拝金主義を信仰の中心としていたのだと思う。

でも、会社が日本人を守ってくれる時代はとうに終わり、拝金主義の信仰もかなり色あせつつある。

それでも人間は何かを信じなければ生きていけない。サラリーマンだってそれは同じだ。

似非スピリチュアルにはまる女子供を馬鹿にしていたはずのオジサンたちもいよいよスピリチュアルな世界に接近中。

でも、「ブッダ」と「聖書」を平然と並べて悪びれないプレジデント誌は、まるでヘンなカルト宗教の機関紙みたいだ。

それに、これを買って、「仏教的悩まない方法」と「キリスト教的赦し」に癒されて「開運スポット」に出かけるオジサンって、やっぱりなんだか、気持ち悪い。