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ネット時代の年賀状

今から12年前。つまり、21世紀になったくらいから、個人用Eメールが普及し始め、さまざまな連絡にEメールが使われるようになった。

誰かの自宅に手紙を書いたり電話する機会は激減した。

個人情報保護法施行後は、組織の名簿が配られることもなくなったから、新しい知り合いは、携帯電話とEメールを知っているけれど、住所は知らない人という人がほとんどだ。

よって、私が年賀状を送る相手は、基本的に「20世紀」に知り合った人ばかりで、その枚数はどんどん少なくなっていく。

メールや、フェースブック、スカイプなどでのコミュニケーションに慣れきった身にとって、年賀状は、年に一度の手紙を書く機会。枚数少ないとはいえ、かなり面倒臭いのは事実だ。

はがきの購入、宛名住所の確認、自分の住所の確認、印刷、切手貼り、ポストへの投函。

書き損じたはがきを郵便局で交換する。

文面はさておき、そうしたアドミな作業に費やされる時間と手間そのものに辟易してしまう自分がいる。

年賀状とは、「ご挨拶」である。

ご挨拶とは、人間関係だ。

人間関係は、面倒臭い。

誰にとっても面倒臭いのだけど、あえてやることで絆を確認し、相互の信頼関係を深めていく。

それが大切だと認識している人が多いからこそ、年賀状の習慣は21世紀の今も続いているわけだ。

おそらく、先祖代々、人間は面倒臭いことばかりやりながら社会を存続させてきた。

年賀状は、太古の昔から続く、相互贈与の習慣の最期の遺物だ。

そもそも、それは、年始の物理的な挨拶回りの代替物だった。

日本人にとって、元日は、家でテレビを見たり、海外リゾートで過ごす日ではなく、晴れ着を着て、お年賀を手に、取引先やら親戚やらに挨拶して回る日だった。訪問を受ける家では、正月までに家中の塵を綺麗に掃い、御節料理とお屠蘇でにこやかに訪問客をもてなした。子供が訪れればお年玉をやった。

それは、訪問する側にもされる側にも、お金と時間がかかる、面倒臭い行事だっただろう。

盆暮れの挨拶、冠婚葬祭に村の祭礼。

近代以前の人々は、経済力が乏しいなかで、今の人と比べものにならないほど儀礼に時間とエネルギーを注いでいた。挨拶や儀礼は、世界とのコミュニケーション方法そのものであり、そうしたものを抜きにして他人と関わったり、情報交換したりということはなかったに違いない。

神様に捧げモノをし、祈りを捧げ、代わりに神様の加護を期待する。

親戚や取引先に、限りなくモノを贈りあい、挨拶し合うことで、世界の中の自分の立ち位置を確認し、信頼関係を刷新し、ネットワークを強化していく。

サンテクジュペリの星の王子 様に出てくるキツネは王子様に、「毎日、同じ時間に僕と君は会う。会う前から、僕は嬉しい。そういうことの繰り返しで、君は僕にとって特別な人になり、僕は君と友達になるんだ」、と言っていた。

信頼関係とは、一緒に長く時間を過ごすこと、お互いに、相手が関係に手間隙かけることを期待し、自分も相手の期待に応え続けることで生まれる。

一緒に何かを体験する。それが、できないときは、お金を使う。モノを贈る。関係へのコミットメントを表明ししつづける。

突き詰めて言えば、人間関係とは、その人のために、どれだけ自分の資源(時間、お金、エネルギー)を費やし、あるいは、その人からそうして貰ったか、ということで深さが決まるものかもしれない。

それは、21世紀の今も、基本的には同じなのだと思う。

ネットのおかげで、バーチャル空間が飛躍的に広がった。訪れたことのない外国の状況を知ることができるようになり、知らない国の知らない人とチャットするようになった。ネットで買い物し、情報収集し、政治について議論する。

無駄な外出や支出が減り、生活が合理化され、便利になり、豊かになった。ネットがなかった10年前の生活が思い出せないほどである。

すでに経済取引や情報交換は、かなりの部分、ネットだけで完結することが増えている。社会関係でも、フェースブックでの友達数や、「いいね!」のヒット数が、人間関係の尺度だったりする。

ネットは、ほぼ無コストで他人とコミュニケーションを取ることを可能にし、地球の裏に住む人々にもいとも簡単にメッセージが届けられるようになった。

アップした今日の夕飯の写真に世界中に住む友人から瞬時に「いいね!」のクリックが集まれば、自分が世界とつながっている幻想を持つことができる。

でも、「いいね!」が、信頼関係を生むことはない。

「いいね!」を押してくれるだけの友達に、困ったときの相談を持ちかけたりはしない。「押してくれてありがとう」とも言わない。

一対一の信頼関係が生まれるのは、手間隙をかけたときだけである。

人間関係とは、一方的な情報発信でもなければ、コストのかからない簡単なあいづちでもない。無数の無駄や虚礼の積み重ね、何も言わずに同じ時間に身をゆだねた体験だけが、人と人のあいだの信頼という目に見えないものを作り上げるのだ。

「大事なものは目に見えないんだよ」と、キツネは王子様に言った。

私自身、すべては、目の前にあるリアルな世界で時間と手間をかけて人と関わることから始まる、ということを忘れていたかもしれない。今年の反省だ。

なんて、くだくだ思いつつ、今年ももう、店じまい。

読者の皆様一人一人には、リアルの年賀状を出せませんが、今年一年、読んでくださった方は、本当にありがとうございます。皆様のおかげで、楽しくブログを続けることができました。

また、よろしければ、来年も遊びにいらしてください。




ライオンシティからリバーシティへ
新川に出たお正月の門松を売る屋台。年末の風物詩。








横田夫妻とダライ・ラマ

金正日死去のニュースにともない、久しぶりに、このご夫妻の姿をテレビで見た。

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めぐみさんが拉致されて、24年がたつ、と言う。

ご夫妻は、「北朝鮮は、めぐみを返してほしい、状況が変わって欲しい」と、繰り返す。

ご夫妻は、決して、声を荒立てて北朝鮮を攻撃的に非難したり、弱腰の日本政府に不満をぶちまけたりはしない。

ご夫妻は評論家でもタレントでもない。ひたすら、娘を取り戻したい、という思いだけで、プライバシーを晒し、全国を奔走して、世論への訴えかけを続けている。

マスコミを通じて見るお二人の様子は、いつでも、家族を大切にする、ごく普通の節度と良識ある市民そのものだ。

フツーの人々が、不条理な事件で人生を狂わされれたことは明らかで、だからこそ、身体を挺してただ一つの訴えを続ける姿が、「この事件が自分の家族に起きていたら私はどうしただろう」と人々に思わせ、胸を打つのだ。

ほぼ全ての日本人が、拉致問題の早期解決を望み、めぐみさんをはじめとする生存者が生きて帰国することを望んでいるだろう。

なのに、拉致問題は、解決せず、めぐみさんは帰ってこない。

横田ご夫妻を見て、私が思うのは、この人だ。

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ダライ・ラマ14世は、世界の宗教指導者の中では、ずば抜けて知名度が高く、敬愛されている人物である。誰よりも世界中を駆け巡り、さまざまな人々と対話をしている。

会った人は誰もがその人格に感銘を受け、その教えに耳を傾けるようになるという。

1989年にはノーベル平和賞を受賞している。

多くの政治家、科学者、宗教者が、会談を望み、彼の主張に耳を傾けようとする。

日本では、年間10冊以上も、ダライ・ラマ法王関連本が出版される、空前のブームである。

ダライ・ラマ法王の人気のおかげで、チベット仏教や文化に対する理解も深まっている。

それほどの人気者のダライ・ラマ法王だが、彼の使命は、世界に仏教の教えを広めることだけではなく、国際世論に対し、チベット問題への関心喚起を続けることにもある。

というか、亡命元首のプライオリティとしては、もともとはそちらが高かったはずだ。

世界中にチベット愛好家が増える一方で、肝腎の母国では、中国人の入植が進み、チベットのアイデンティティは危機に晒されている。今年に入り、僧侶が何人も焼身自殺している。

もし、世界中の人々に「中国は、ダライ・ラマ法王のチベット帰還を許すべきか、チベットに真の自治を許すべきか」というアンケートを行ったら、おそらく過半数はイエス、と答えるだろう。

なのに、ダライ・ラマ法王は母国に帰れない。本土の自国民が置かれた困難な状況に具体的に手を差し伸べることができない。

拉致問題が解決しないのも、チベットに自由が戻らないのも、それが国際問題だからだ。

日本の世論は北朝鮮を動かさないし、世界の世論は中国を動かさない。

「内政」と「外交」は違う。

外交や軍事が司る国際社会は、多数決の民主主義社会ではなく、「力」の社会だ。小学校のときに習ったように、「皆で他人の立場を思いやって話し合う」ことで物事が決まらない。

横田夫妻やダライ・ラマ法王の行動の成果はずば抜けたものだ。

横田夫妻は、日本人が国家と何かということを身近に考えるきっかけを作った。ダライ・ラマ法王は、世界中の人々の心を癒し続けている。

それでも、彼らは、自らの一番の望みを叶えることができない。

叶わないからこそ、彼らは、世界に向かって語りかけを続ける。

その姿が胸を打つ。

パラドクス、皮肉はあまりに大きく、その姿に、この世を生きるということの厳しさを見る。













ラ・パレットの閉店

時の流れで人が変わっていくように、街もまた、生き物であり、変化する。

佃・月島界隈は、変わらないようでいて、変わりつつある街だ。

大好きだった佃の魚屋さん、魚芳の閉店 から1年。2011年の暮れ、今度は、このお店が閉店した。


ライオンシティからリバーシティへ


ライオンシティからリバーシティへ

閉店のお知らせの、店主の律儀そうな字が悲しい。

商店街から離れた立地で、正直な値段で、正直なパンを焼き続ける地元のパン屋さんだった。

結構、にぎわっていたから、閉店理由は経営不振ではないのかもしれない。

閉店を惜しむ人は多いと思う。

行き着けの店の閉店は、自分の身体の一部が消えていくようで、とても寂しい。日常品を買う店は、主婦にとって、どんな場所よりも馴染み深い場所だから。。。。