私は会社ではデスクワークをしています。
長時間デスクワークしたあと、トイレや席を立って歩きだしてしばらくすると
立ちくらみ、眩暈がここ数週間たまに現れて
歩きながら、何が真っ直ぐか視界がわからなくなる時がありました。ヤバいな、、とは思っていたけれど
どうすればいいのかもわからず、最近ではその様子に気づいた職場の方が「大丈夫?」と声をかけてくれる始末で
平気なフリをしたい私がムクムク顔を出す。
ありがとうございます、と同時に「ばれてしまった」という気持ち。
貧血とか整理との関係もあるのかな、、と婦人科を予約しよう!と心に決めて電話したら
そしたらその日のお昼。
またトイレにたったわたしはフラフラして、しゃがみ込んでしまいました。
異変に気づいたスタッフさんが駆け寄ってくれて職場がざわつく。大丈夫?大丈夫?と医務室に連絡入れてくれた方もいて、
医務室から車椅子で看護師さんが迎えに来てくれて
これだけで、騒然。ちょっとしたおおごとです。
医務室にいって採血。
少し休ませてもらっていたら、上司も様子を見に来てくださり
どうやらこの間に、夫にもれんらくをいてかれた方がいた様で
「ゆかちゃん、倒れて運ばれて1人では帰られへんわ!」と。
夫は東京勤務。きっと電話越しにどうしたらいいのかものすごく考えたんだろうと思う。
幸い、私の職場には今別の部署で弟も働いていて
上司から弟にも連絡が入り、迎えに来てくれた。
もうこの辺りから何も覚えてなくて、
会社の地下駐車場まで車椅子で看護師さんに送ってもらい、車に乗った。
どうやらそこから自宅近くの救急病院まで搬送してもらい、痙攣もしてたらしい。
即入院。
たまたま水曜日は脳外科の手術日で脳外科手術終わりの当直の先生がいらして、
私の症状を見てCT撮ってくださったそうな。
その時点で可能性をきっと色々考えてくださっていた様で
入院翌日から裏付けを取るための検査検査。そのおかげで3日目には
脳に腫瘍があることがわかり、1日でも早く手術が必要だと
家族も呼ばれて説明を受けた日には1週間後の手術が決まっていた。
おそらく侵食性も進行も早いものだと。
完治は難しく、抗がん剤の利用なども必要になってくるかもしれないこと、脳なので麻痺やらの可能性もゼロではないこと
手術してみなければわからないことだらけ。
分厚い同意書や説明があったに手渡される。
「これからの治療と病状について、お一人で聞かれますか?ご家族様も同席してもらいますか?」ドラマでまたことある様な話を聞いて
迷わず私は、ただがとではないと感じ
「同席してもらいたいです」と弟と夫と3人で面談室へ。
ct画像を見たときに変な予感はしたんですよね。
先生も神妙な面持ちで話を始める。少し、医学の番組に携わっていた夫もメモしながら
気になることを泣きながら質問している。
病名は脳腫瘍。
そして膠芽腫とも言われました。タチが悪そう。
当の私は現実が掴めていなかったのか、変に冷静で。あー、やばいな、そうなんだな
思ったより早く死ぬのかもしれないな
こんな毎日が送れなくなるのかな
家族に迷惑かけるな、どうしたらいいのかな
でも先生に委ねるしかない
自分の深刻さというよりは少し離れたことを考えていた。
頑張るのも挑むのも私だから、
むしろ私で良かったのかもしれない的な。
まだぼーっとしてる部分もあったけど
夫の説明を聞いている姿や、そこに出てくる言葉に
恥ずかしながら18年も一緒にいて、意外なこともあったり
普段言葉にしないけど、こんな風に家族を考えてからていたんだな
なんてことにもたくさん気付く。
びっくりしたのが、
僕は東京で働いています。東京にはいられない。
一緒にこれから長いこと妻と家族と闘って行かねばならないので、拠点を移さないと、、と
私の中で夫は仕事人間。
これは勝手な憶測ですが、単身赴任にはなったけど、彼のキャリアや頑張りが昨年形になってきたことを同じ会社の中にいる私は感じていたし、夫も見る方向が定まったのかなと思っていたところだったから
おこがましくもこの人のキャリアまで奪うことになるのかと思うと、奪うまで行かずともこんな言葉を出させてしまった
という変な罪悪感と、
咄嗟に「パパのキャリアまで、、」と呟く私に
「子どもたち誰が見るねん!」と間髪入れずに叱咤された。
そうなんよ。
3人の子供もいる。
当たり前の思考かもしれないけど、長い間の歴史で私はそんなことすら、夫が考えていることも見落としてきたんだな。
おかしな話だけど感謝の気持ちも湧いてきて
子ども達の成人も見れないかもしれない、とか
あの子達に心配かけるのはいやだ!とか次は欲が出てくる。
仕事はどうなるんだろう、家には帰る日がやってくるのだろうか
もう全部が真っ白。
とにかく、手術を受けるしかない。
可能性があることを選んで生きる選択をするしかない。
ありがたい事に実家の母も家に泊まり込んでくれていて、夫も大阪にいてくれて
家はなんとか子ども達も保てていて
でも末っ子はやっぱりとてつもない我慢をしているのは伝わってくる。
小学生は他の患者さんへの感染も危惧されていて、面会もできない。
もちろん、昼そのままにしてきた仕事も気になるけど
コーチング研修のことも気になって仕方ないけど
それ以上にやっぱり子ども達。
今は保てているけど、時間との勝負はやってくる。
あー情けない。
こんなときに、
新学期でまだ心細い思いをしているかもしれない子どもの話もゆっくり聞けないなんて、そのにまた心配を増やすなんて
私のよくない質の悪い自己対話が始まる。
どこか人ごとの様な話を聞いて、
でも夫に全幅の信頼を寄せているので同意書は全て預けてきました。
手術は受ける。
子ども達は任せておけ
弟、母、家族総出で乗り切ろう!
この三つは覚えてる。
記憶障害や麻痺、手術後これからどんな毎日が待っているのか誰もわからない。
弟が同席してくれたこともきっと夫には心強く
家族の存在に助けられる。
運ばれた週は、ベットに横になると
すぐに寝付けていたのだけど、眠りが補充されたのかだんだんなかなか寝付けなくなってきて
そうなると考えることは今後のことばかり。考えてもしょうがないけど、
やれるときにやっとけばよかった
そんな思考に苛まれる。
始まった大阪関西万博のニュースを見ても、
当然行くと思っていたのに
人増えるしめんどくさいな、、と思っていたけど
行けないかもと思ったら、行きたくなってきたり
勝手なもんです。
子どもが一緒に寝よう!って言ったときに
何をあんなに拒否ったのか。
洗濯物ぐらい置いてても良くない?今はそう思うけど、日々を回すのは必死だった。
今なら飛んで隣に寝に行きたい。
なんなら、病院のベットで抱きしめたい気持ち。
不思議なもんで、
5時に目が覚める私は、廊下きら「おはよう」という末っ子の声が聞こえた気がして
ありえないけどら廊下に出てキョロキョロしてみたり、そして落ち込んでみたり
いるわけないのに期待する。会いたいのは、抱きしめたいのは私のほうなんですよね。
まだ3日でこれは、危険。
まだ長くなりそうなので、家族がいてくれること、みんなが協力してくれている今にとにかく感謝しながら自分の身体を大切に思うことから始めます。
意識を自分に。コーチングしてるのに、
とっても苦手なことを痛感する入院生活。
気持ちの変化や弱音もこちらに吐き出していくかもしれません。