何もしない日を、少し好きになった|グリーフの中で変わった時間の過ごし方 | coarato  見えない手をつないで

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シングルマザー歴16年。子育てと仕事に励む中、最愛の娘を突然亡くしました。今も揺れる心を言葉にしています。

ただまた会えると信じて。

今日は何もしなかった。それでも一日だった

 

何もしない日を、少し好きになった

 

夜勤明け。

 

今日は本を借りに行くんだ。

 

そう思いながら、朝から少しだけ気持ちが軽かった。

 


 

以前の私は、

予定がないと、

なんとなく「何かしなくちゃ」と思っていた。

 

休みの日なら、

掃除をして、

買い物に行って、

用事を済ませて。

 

せっかくの休みなんだから、

ちゃんと使わなきゃ。

 

そんなふうに思っていた気がする。

 


 

一日を無駄なく使うことが、

ちゃんと生活していることのように思っていた。

 

だから、

何も予定がない日には、

「今日は何をしようかな」

と考えていた。

 

何もしないまま一日が終わると、

「今日、何してたんだろう」

なんて思ったりもした。

 


 

 

でも今は、

少し違う。

 

予定のない日があっても、

それほど焦らなくなった。

 

 

朝起きて、

「今日はどうしようかな...」

と思う。

 

そして、

そのままお茶を飲んだり、

本を読んだり、

スマホを触ったり。

 

気が向いたら掃除をして、

気が向かなければ、

しない。

 

そんな日もある。

 


 

昔の私が見たら、

「何がしたいの?それでいいの?」

と言いそうだ。

 

たぶん、

ちょっと落ち着かない顔をする。

 

いや、

かなり落ち着かないかもしれない。

 

掃除機をかけていない床を見つけたら、

そちらのほうが気になって、

結局掃除を始めてしまうかもしれない。

 

私という人間は、

なかなか簡単には変わらない。

 


 

それでも今は、

「まあ、今日はこれでいいか」

と思えるようになった。

 

それは、

L菜がいなくなって、

私の時間の感覚が変わったからかもしれない。

 


 

L菜と一緒にいた頃は、

何もしない時間も楽しかった。

 

一緒にテレビを見たり、

くだらない話をしたり、

それぞれスマホを触っていたり。

 

特別なことなんて、

何もしていなかった。

 

でも、

その「何もしていない時間」が、

私は好きだった。

 

ウキウキしていた。

 

ワクワクしていた。

 

一緒にいるだけで、

時間そのものが楽しかった。

 


 

今は、

一人で過ごす時間が増えた。

 

静かな時間が居心地よくなった。

 

最初は、

その静けさが寂しかった。

 

というより、

寂しいという言葉では足りなかった。

 

静かな部屋にいると、

L菜がいないことだけが、

大きく浮かび上がってくる。

 

何も起きていないのに、

何もないことが、

ものすごく苦しかった。

 


 

あの頃は、

「何もしない」なんて、

とてもできなかった。

 

何かをしていたほうが、

気持ちを紛らわせられることもあった。

 

でも最近は、

少しずつ、

静かな時間の中にいる自分にも

慣れてきた。

 


 

何もない日。

 

何も起こらない日。

 

特別なことをしなかった日。

 

そんな日が、

今は思っていたより居心地がいい。

 

 

以前なら、

「今日は何もしていない」

と考えていたところを、

今は、

「今日はゆっくりしていた」

と思うようになった。

 

同じ一日なのに、

言葉が変わると、

少し見え方も変わる。

 



 

グリーフの中では、

気持ちが毎日同じように変化するわけではない。

 

少し落ち着いたと思った翌日に、

突然悲しさが押し寄せることもある。

 

「こういう段階を順番に通れば、

悲しみが終わる」

という決まった道筋があるわけでもない。

 

アメリカ心理学会も、

悲しみ方には個人差があり、

「正常な期間」が決まっているわけではないと説明している。

だから、

昨日より今日が少し楽だったからといって、

明日も同じとは限らない。

 

逆に、

また悲しくなったからといって、

振り出しに戻ったわけでもない。

その日、その時の自分に合わせて、

過ごし方が変わってもいい。

 

私はそう思うようになった。

 

(参考:American Psychological Association「Grief: Coping with the loss of your loved one」2020年1月1日/2026年9月10日確認)


 

だから、

これからは、

「今日は何をしたか」だけじゃなく、

「今日はどう過ごしたか」

も大事にしてみたい。

 

たくさん予定をこなした日もいい。

 

誰かと笑った日もいい。

 

遠くまで出かけた日もいい。

 

そして、

何もしなかった日もいい。

 

 

ご飯を食べた。

 

お風呂に入った。

 

眠った。

 

窓を開けた。

 

空を見た。

 

お茶を飲んだ。

 

本を少し読んだ。

 

それだけの日もある。

 

それだけだけど、

ちゃんと一日だった。

 


 

「何もしなかったな」

と笑えるくらいの余白が、

私の毎日の中にあってもいい。

 

むしろ、

今の私には、

そういう余白が必要なのかもしれない。

 


 

これから、

何か大きな生きがいが見つかるかもしれない。

 

見つからないかもしれない。

 

まだ分からない。

 

でも、

今はそれを急いで探さなくてもいいと思っている。

 

まずは、

今日一日を、

少し心地よく過ごす。

 

それくらいからでいい。

 


 

予定をいっぱいにしなくてもいい。

 

何かを達成しなくてもいい。

 

悲しい日には、

悲しいままでもいい。

 

何もしたくない日は、

何もしないままでもいい。

 

その日の私に合わせて、

少しずつ暮らしていけばいい。

 


 

そして今日は、

夜勤明け。

 

本を借りに行く。

 

たぶん、

静かなあの場所へ。

 

本を何冊か選んで、

また家に帰ってくる。

 

それだけ。

 

でも、

今の私には、

それくらいがちょうどいい。

 

 

何もしない日を、

少し好きになった。

 

そんな小さな変化も、

これからの私の暮らしの一つとして、

そっと残しておきたい。

 


 

L菜へ。

 

 

「今日は本を借りに行ってくるね。

静かな場所で、

少しゆっくりしてくる。

L菜に聞かせたい絵本も、

また一冊選んでくるね。

今度は何にしよっかな……」