お盆だから帰ってくるの? 毎日想っている私が思うこと

お盆の過ごし方に、正解なんてあるのかな?
お盆。
仕事から帰ってきたら、家の中から笑い声が聞こえてきました。
お盆で姉が帰ってきているからです。
なんだか、家が久しぶりに賑やかです。
何もなかったところに、明かりがついたような感じ。
誰かがいるって、それだけで家の空気が変わるんだな。
そんなことを思いながら、少し離れたところでその笑い声を聞いていました。
そして、ふと思いました。
「お盆なんだな」
職場でも、お店でも、どこでもお盆という言葉をよく見かけるようになります。
迎え火。
送り火。
キュウリやナスで作る精霊馬。
お供え物。
お墓参り。
ご先祖様が帰ってくる。
そんな言葉が、あちらこちらから聞こえてきます。
そういう話を聞いていると、
「私は、どうしたらいいんだろう」
と、少し考えてしまいます。
L菜が亡くなってから、2度目のお盆です。
去年は、まだL菜が亡くなってから数か月。
お盆のことを考える余裕なんて、ほとんどありませんでした。
ただ毎日を過ごすだけで精一杯だったと思います。
今年は少しだけ、考える余裕があります。
それで、いろいろ調べてみました。
お盆は、地域や宗派によって時期や風習が違います。
迎え火や送り火をしたり、キュウリを馬、ナスを牛に見立てたり。
「早く帰ってきてもらえるように馬で来てもらって、帰りはゆっくり牛で帰ってもらう」
そんな意味が込められているといわれています。
なんだか、昔の人の優しさを感じます。
「行きは急いでね。でも帰りはゆっくりでいいよ」
そんな感じでしょうか。
ただ、調べていて知ったのは、
お盆の過ごし方は、宗派や地域によってかなり違う
ということでした。
私の家は浄土真宗なので、一般的に知られているお盆の風習とは少し考え方が違います。
へえ。
そうなんだ。
同じ「お盆」でも、考え方が違うんだな。
そう思いました。
そして、ここで私は少し迷いました。
じゃあ、
私はどうすればいいんだろう。
キュウリとナスを用意したほうがいいのかな。
迎え火は?
送り火は?
お供えは?
お墓参りは?
……と、考え始めると、なんだか急にやることが増えてきます。
お盆って、意外と忙しい。笑
でも、ふと考えました。
私は、毎日L菜のことを想っています。
朝起きたときも。
ご飯を食べているときも。
仕事から帰ってきたときも。
何か面白いことがあれば、
「L菜がいたら、これ見て笑ったるかな」
と思います。
悲しいことがあれば、
「L菜に話したいな」
と思います。
ブログを書いているときだって、結局L菜に話しかけています。
そう考えると、
「お盆だからL菜が帰ってくる」
という言葉に、少しだけ違和感があるのです。
私の中では、
L菜は、お盆だけ帰ってくるわけではないから。
もちろん、
お盆に亡くなった大切な人を想う。
それは、とても大切なことだと思います。
普段は忙しくて、なかなか思い出す時間がない人にとっても、
「お盆だから、ちょっと立ち止まって思い出そう」
という時間になるのかもしれません。
そういう意味では、お盆という節目があることは、優しい文化なのだと思います。
そして、ご先祖様のことも少し考えました。
正直に言うと、
普段からご先祖様のことをずっと考えているわけではありません。
ごめんなさい
毎日のことで精一杯で、
「そういえば、ご先祖様のこと……」
と思うことなんて、そう多くはありません。
でも、お盆という時期になって、
「そういえば、私もここまで命をつないでもらってきたんだな」
と、ふと思いました。
だから私は、
ご先祖様には、ちょっと軽く感謝するくらいでいいのかなと思っています。
大げさなことをしなくても、
心の中で、
「私やL菜をここまでつないでくれて、ありがとう」
と一言つぶやく。
それだけでも、
普段は思い出すことのなかったご先祖様に気持ちを向ける、ひとつのきっかけになるんじゃないかな。
「ちゃんとしなきゃ」
と思いすぎると、
悲しみの上に、また新しい「しなければならない」が乗ってしまいます。
私は、それは少し違う気がしています。
グリーフの中では、亡くなった人とのつながりを、亡くなったことで全部終わったものとしてではなく、心の中で新しい形に変えていくという考え方があります。
思い出すこと。
話しかけること。
「こんなときL菜ならどうするかな」と考えること。
そういうことも、大切な人とのつながり方のひとつなのだと思います。
私は、たぶん毎日それをやっています。
だから、
「お盆だから何か特別なことをしなきゃ」
とは、もう思わなくてもいいのかな。
もちろん、
キュウリとナスを飾りたい人は飾ればいい。
迎え火をしたい人はすればいい。
お墓に行きたい人は行けばいい。
好きだったものをお供えしたい人は、そうすればいい。
そういう形が心を落ち着かせてくれるなら、それは大切なことだと思います。
反対に、
何もできない人がいてもいい。
お盆だからといって、無理に何かをしなくてもいい。
お墓に行けなくてもいい。
お供えができなくてもいい。
泣いて一日が終わってしまってもいい。
私にとっては、
L菜を想うことに、
「お盆だから」
という区切りはいらないのかもしれません。
今日も思う。
明日も思う。
何でもない日に、ふと思い出す。
それでいい。
今年のお盆。
私は、特別なことをたくさんするつもりはありません。
仕事もあります。
お盆休みも、普通に過ぎていきます。
その中で、
姉が帰ってきて、
家の中に笑い声があって、
少し賑やかになった家で、
L菜のことを思う。
それくらいでいいかなと思っています。
もし、C菜と一緒に何かしたくなったら、
小さなお盆のお祭りみたいなことをしてもいい。
好きなお菓子を並べてもいい。
冷たいものを食べてもいい。
キュウリとナスを作ってみてもいい。
「L菜、どっちが馬でどっちが牛だったっけ?」
なんて言いながら、
二人で笑ってもいい。
たぶん、そんなお盆でもいい。
宗教には、それぞれの教えがあります。
宗派によって、お盆の考え方や過ごし方も違います。
だから、「これが正しいお盆」と一つに決めることはできません。
私自身も、宗教のことをすべて理解しているわけではありません。
ただ、
L菜を大切に想うことまで、決められた形に合わせなくてもいい。
今の私は、そう思っています。
そして、ご先祖様にも、
「いつもありがとう」
くらいの気持ちを向けておこうと思います。
たぶん、それくらいが今の私にはちょうどいい。
難しいことは、よくわからない。
でも、
ここまで命がつながってきたこと。
その先に私がいて、
その私のところにL菜が生まれてきたこと。
そう考えると、
「ありがとう」
と言いたくなります。
家の中から聞こえてくる笑い声を聞きながら、
「L菜がいたら、ここにいたんだろうな」
と、ふと思いました。
悲しかったけれど、
なぜか少しだけ温かい気持ちにもなりました。
悲しみは、なくならない。
でも、その悲しみの隣に、
家族の笑い声があってもいい。
お盆の灯りがあってもいい。
冷たいアイスを食べてもいい。
少し笑ってしまってもいい。
きっと全部、
L菜を忘れたことにはならないから。
今年のお盆も、
私は私のやり方で、
L菜を想おうと思います。
特別なことができなくても、
ちゃんと大切に想っている。
それだけは、変わらないから。
L菜へ。

「今日は家の中が賑やかだね。
お盆も、普通の日も、ママの中ではいつも一緒だね。
今年のお盆も、特別なことはしないけれど、いつものように一緒にいようね。
いつものように、ここで一緒にいよう。
そして、明日も、くだらないこと話そうよ。」
※記事内のお盆の時期・迎え火・送り火・精霊馬については、2026年8月12日時点で確認できる浄土宗・浄土真宗本願寺派の公式情報をもとにしています。お盆の時期や風習には地域差・宗派差があります.