coarato  見えない手をつないで

coarato  見えない手をつないで

シングルマザー歴16年。子育てと仕事に励む中、最愛の娘を突然亡くしました。今も揺れる心を言葉にしています。

ただまた会えると信じて。

大切な娘を突然亡くし、深い悲しみの中で、気持ちの整理もつかないまま始めたブログです。
日常のこと、彼女との思い出、そしてこれからの生き方。

書くことで心を保ち、少しでも前に進めるように記録していきます。
同じように大切な人を亡くした方に届けばうれしいです。


しばらく雨模様が続いている。

 

今日も一日を通して雨。 いつの間にか散歩は私の一日の一部、欠かせない大切な時間になっていた。

 

傘をさして歩けばいいだけの話かもしれないけれど、

私のいつもの散歩コースにある橋は、車が通るたびに豪快に水を跳ね上げていく。

下手に通れば一発で全身びしょ濡れだ。

 

 

 

 

 

 

それだけはどうしても避けたい。

 

 

考えた挙げ句、近くにある市のスポーツセンターへ向かった。

100円で利用できるその施設は、平日ということもあってとても空いていた。

 

 2階にある小さな小ホールの体育館のようなスペースで、私は一人ぐるぐると歩き始める。

 

いつもは移り変わる景色を眺めながら歩くので、携帯を取り出すのも写真を撮る時くらいなんだけど

同じ場所をぐるぐると回り続けているとどうにも目が回りそうになる。

 

 「これは続かないな」と思い、YouTubeで本要約チャンネルを流しながら歩くことにした。

 

誰もいなかったので、少し大きめの音で聞きながら歩く。 ちょうど散歩にぴったりの長さだった。

 

フロアに人工芝が敷いてあったので、靴を脱いで裸足で歩いてみた。

 

 足裏に触れる感触が心地よく、じんわりと汗をかいたところで切り上げる。

 

 

家に帰り、温かいお風呂に入る。 

 

お昼過ぎからのスタートになったけれど、ここから私の新しい一日が始まる。

 

やっぱり人混みは避けたいし、今はあんまり人と関わりたくない自分もいる。 

 

でも、今日はそれがとても心地よかった。

 

誰もいない空間を独り占めできたのだから。

 

「いつかまた、人とたくさん喋りたくなる時が来るのかなぁ?」

 

 そんな疑問が浮かぶけれど、今の私はこの静かな距離感のままがいい。

 

時間というものは、一秒たりとも無駄にはできない大切なものだ。

 その貴重な時間を、私は小さなホールを歩くことに費やした。

 

 まさか私が、ただ「歩くだけ」のためにここへ来るなんてな、と自分でも少しおかしくなる。

 

走ることはできないけれど、歩くことを自分の運動にして、そのための時間を一日の中にしっかりと組み込んでいる。

 

 睡眠時間もそうだ。

上手くいかない日もあるけれど、自分をいたわるための枠組みを大切に思っている。

 

image

 

Panasonicの創業者である松下幸之助は、こんな言葉を残している。

「人と比較して他人の時間を生きる必要はない。自分には自分に与えられた道があり、それを大切に歩めばいい」

無理に人と関わらなくてもいい。

世間のペースに合わせなくてもいい。

 

 雨の日に100円で小さな居場所を見つけ、自分の足で一歩ずつ進んだ今日という時間は、誰にとっても代えがたい特別なものだ。

 

今、人間関係や日々の焦りで心が疲れてしまっている人がいるなら。

 

 どうか自分の心地よいペースを一番に守ってあげてほしい。

 静かで小さな歩みであっても、それはあなた自身を愛おしく生きている確かな証なのだから。

 

ありがとう。みんな。

ありがとう。L菜。 

ありがとう。私。

 

今日も一日、お疲れ様でした。

 

 

 


 

 

 

 

 

雨の日のウォーキングの代わりには、自宅で手軽に有酸素運動ができる

「その場足踏み」や「踏み台昇降」が最適です。

 

雨の日の室内代替運動

  • その場足踏み(室内ウォーキング)
    • 背筋を伸ばし、腕をしっかり振ってその場で足踏みをする。
    • 1分間に100〜120歩のペースを目安に、テレビを見ながら15〜20分ほど続ける。 
  • 踏み台昇降
    • 自宅の階段の1段目や高さ10〜20cm程度の台を使用する。
    • テンポよく上り下りを繰り返すことで、外を歩くのと同等の運動負荷をかけられる。 
  • 下半身の筋トレ(スクワットなど)
    • 太ももやお尻の大きな筋肉を動かすことで、代謝の低下を防ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日聞きながら歩いたYouTubeです↓

 

 

 

夜勤のあと、スマホに逃げたくなる日もある

 

 

夜勤のあとって、本当に生活のリズムが変になる。

 

夜勤前は、

「今日はこれをして、あれをして……」

なんて、一応考えている。

 

ストレッチもしよう。

筋膜ローラーもしよう。

できたら少し片づけよう。

 

そんなことを思っている。

 


 

でも、夜勤が終わって家に帰ると、そんな計画はどこかへ行ってしまう。

 

眠い。

 

でも、すぐには眠れない。

 

お腹も空いている。

 

でも、今から何か食べたらまた生活リズムが……なんて考える。

 

そして、気がつけばスマホを触っている。

 

ちょっとだけのつもりが、いつの間にか時間が経っている。

 

ゲームをしていたり、

動画を見ていたり、

SNSをぼーっと眺めていたり。

「私、また何もしてないな」

と思う。

 


 

本当は、もっと有意義に過ごしたい。

 

夜勤明けなんだから、寝ればいい。

 

身体を休めればいい。

分かっている。

 

でも、なぜかスマホを触りたくなる。

 

ゲームもしたくなる。

何も考えずに画面を眺めていたくなる。

 

そして、あとになって、

「またこんな時間までやってしまった」

と少し落ち込む。

 


 

以前なら、

「私って意志が弱いのかな」

と思っていた。

 

やることを決めても続かない。

 

計画どおりに過ごせない。

 

二度寝してしまう。

 

スマホを触ってしまう。

 

ゲームをしてしまう。

 

そういうことが重なると、

「何のために毎日過ごしているんだろう」

なんて、少し大きなところまで考えてしまう。

 

でも最近は、

「いや、そもそも夜勤明けなんだから、そんなにうまくいかなくても普通じゃない?」

と思うようになった。

 


 

 

人間の身体には、約24時間周期の概日リズムがあり、睡眠や覚醒、体温、ホルモンの働きなどにも関わっている。

 

夜勤は、その本来のリズムとは違う時間帯に活動することになる。

 

だから、夜勤をしながら毎日きれいに同じ生活リズムを保つのは、簡単なことではない。

 

もちろん、生活習慣を整える工夫はできる。

 

でも、

「計画どおりにできない=自分の意志が弱い」

と、全部を自分のせいにしなくてもいいのだと思う。

 


 

夜勤をしているだけで、身体はいつもと違う時間に働いている。

 

夜に仕事をして、

朝に帰ってきて、

昼間に眠る。

 

普通に考えたら、身体も、

「え?

今、寝る時間?

起きる時間?

どっち?」

 

となるよなと思う(笑)。

 

私だったら、なる。

 

いや、身体だから笑えないか。

 

でも、本当にそんな感じなのだと思う。

 


 

そんな疲れたときに、スマホを触りたくなる。

 

ゲームをしたくなる。

 

何も考えずに動画を見たくなる。

 

それも、少し分かる気がしてきた。

スマホを見ている間は、少なくとも、

「これからどうしよう」

とか、

「もっとちゃんとしなきゃ」

とか、

「私のこれからって何なんだろう」

とか。

 

そういうことを考えなくていい。

 

ただ画面を見る。

ゲームなら、次のステージのことだけ考えればいい。

 

それくらい単純な世界に、一時的に逃げ込める。

 


 

今の私には、そういう時間が必要な日もあるのかもしれない。

 

何かを頑張るためではなく、

何も考えないために。

 

前に進むためではなく、

いったん止まるために。

 

そんな時間があってもいいのではないかと思う。

 

もちろん、やりすぎて睡眠を削ってしまえば、次の日がつらくなる。

 

そこは自分でも分かっている。

 

だから、

「好きなだけやればいい」

という話でもない。

 

でも、

「またやってしまった」

と自分を責め続ける必要もない。

 


 

最近は、

「今日は疲れてるんだな」

と思うようにしている。

 

ゲームをしていたら、

「今日はゲームの日だったんだな」

くらい。

 

本当は、

「ストレッチもして、筋膜ローラーもして、部屋も片づけて、早く寝て……」

なんて、理想はいくらでもある。

 

でも、夜勤明けの私に、その全部を求めるのは少し酷かもしれない。

 

そもそも、夜勤明けの私に、

「さあ、充実した休日を!」

と言われても、

「いや、まず寝かせてください」

となる(笑)。

 


 

 

そして最近、もう一つ思うことがある。

私は今、

「これから何をしたいんだろう」

ということが、まだよく分からない。

 

だから、毎日の過ごし方にも、

「これを目指しているから頑張る」

というものがない。

 

それを、

「目的がないから、だらだらしてしまうのかな」

と思ったこともある。

 

でも、今はまだ分からなくてもいいのかもしれない。

 

目的が見つからない時期には、

目的のために一日を使うのではなく、

ただ一日を終えるだけの日があってもいい。

 


 

夜勤をして、

帰ってきて、

ご飯を食べて、

スマホを触って、

ゲームをして、

眠くなったら寝る。

 

そんな日もある。

何か大きなことを成し遂げたわけではない。

 

誰かに褒めてもらえるような一日でもない。

 

でも、

「今日も終わったな」

と思って眠れるなら、それでいい日もある。

 

今の私には、そういう日も必要なのだと思う。

 


 

たぶん私は、まだ「生きる目的」を探す段階ではないのかもしれない。

 

今は、

「今日はどう過ごそう」

くらいでいい。

 

夜勤がある日は、

「今日は身体を休ませよう」

でいい。

 

スマホを触りたくなったら、

「ちょっと逃げたいんだな」

くらいに思っておく。

 

逃げたっていい。

 

ずっと逃げ続けるのでなければ、

少しくらい、現実から離れる時間があってもいい。

 


 

そして、また戻ってくればいい。

 

スマホを伏せる。

水を飲む。

お風呂に入る。

眠る。

ストレッチをする日もある。

しない日もある。

筋膜ローラーを出す日もある。

 

出しただけで終わる日もある(笑)。

 

それでもいい。

 

完璧な生活じゃなくても、

自分の身体と相談しながら、その日をやり過ごしていけばいい。

 


 

悲しみを抱えながら生活していると、

「もっとちゃんとしなきゃ」

と思うことがある。

ちゃんと食べて、

ちゃんと寝て、

ちゃんと働いて、

ちゃんと前を向いて。

 

でも、そんなに全部ちゃんとできる人間だったら、そもそも私はこんなに悩んでいない(笑)。

 

だから今は、

「今日の私にできることだけ」

でいいと思っている。

 

夜勤明けなら、寝る。

 

疲れているなら、休む。

 

何も考えたくないなら、少しスマホを見る。

 

そして、できそうなら、ほんの少し身体を動かす。

 

そのくらいで十分な日もある。

 


 

L菜へ。

 

 

「ママ、またスマホばっかり見てるやんって思ってるだろうね(笑)。

でも今日は、ちょっと疲れてたんだ。

明日は少し早めにスマホを置けたらいいな。

……まあ、できたらね(笑)。

今日も母、ここまで来たよ。」

笑えるようになった私と、L菜がいない現実

 

 

最近は、人と話しているときに、普通に笑うことがある。

 

仕事でくだらない話をしたり、ちょっとしたことで笑ったり。

 

美味しいものを食べれば、

「これ、うまっ」

と思う。

 

そんな瞬間は、ちゃんと楽しい。

 

無理して笑っているわけでもない。

 

そのときは、そのときで、普通に笑っている。

 


 

でも、ふっと一人になると、

「ああ、L菜はいないんだった」

と思うことがある。

 

さっきまで笑っていたのに、急に静かな気持ちになる。

 

そして、

「L菜がいたら、今の話をしたら何て言ったかな」

なんて考える。

 

笑っていた私と、寂しい私。

 

どちらが本当なのか。

 

以前は、そんなことを考えたこともあった。

 

でも今は、どちらも本当なんだと思う。

 


 

人間って、意外と器用なのかもしれない。

 

悲しいままでも笑える。

 

寂しいままでも、ご飯を食べられる。

 

L菜に会いたいと思いながら、普通に仕事をする。

 

そして、仕事が終われば、

「今日、疲れた~」

と思いながら家に帰る。

 

帰ってから、好きなものを食べて、

「やっぱり美味しいな」

なんて思ったりする。

 

そんな普通の一日も、ちゃんとある。

 


 

それでも、L菜がいないという事実は変わらない。

 

楽しかったから、悲しみが減ったわけでもない。

 

笑えたから、もう大丈夫になったわけでもない。

 

ただ、その瞬間は笑っていた。

 

それだけなのだ。

 

だから最近は、笑った自分を見て、

「私、もう平気なのかな」

と考えることも少なくなった。

 

笑える日は笑う。

寂しい日は寂しい。

 

両方ある日は、両方ある。

 

それでいいのだと思う。

 


 

これからも、普通に笑う日があると思う。

 

仕事で誰かとくだらない話をして笑ったり、

美味しいものを食べて、

「これ、当たりやな」

なんて一人で満足したり(笑)。

 

そして、ふとした瞬間にL菜を思い出して、

「会いたいな」

と思う。

 

その全部が、今の私なのだと思う。

 


 

だから、笑っている私を見て、

「もう大丈夫なんだ」

と決めなくてもいい。

 

私自身も、

「笑えたから、もう大丈夫」

と決めなくていい。

 

悲しみがある私も、笑っている私も、同じ一日の中にいる。

どちらかを消す必要はない。

 

今日笑えたことも、

今日寂しかったことも、

そのまま今日の私として置いておこうと思う。

 


 

L菜へ。

 

 

「今日も母、普通に笑ったことがあったよ。

でもね、笑ったあとには、ちゃんとL菜を思い出すんだ。

まあ……母も、なかなか忙しいな(笑)。

今日もここまで来たよ。」

 

分かってもらえないまま、一緒にいる

 

 

先日、お茶を飲んでいた。

 

いつものように、くだらない話をしていた。

 

テレビの話をしたり、食べ物の話をしたり。

 

「これ、結構おいしいね」

なんて言いながら、普通に笑っていた。

 

そのとき、何気なくスマホを開いた。

 

たまたま目に入ったのは、L菜の写真だった。

 

ほんの一瞬だった。

 

それだけなのに、心の中の空気が変わった。

 

さっきまで笑っていたのに、急に静かになる。

 

顔には出していないつもりでも、自分では分かる。

 

「あ、今ちょっと違うところにいるな」

そんな感じだった。

 


 

相手からしたら、

「どうしたの?」

と思ったかもしれない。

 

でも私は、

「今、L菜の写真を見たから」

とは言わなかった。

 

「ううん、何でもない」

そう答えた。

 

本当は、何でもないわけではない。

 

でも、そのときは説明したくなかった。

 

説明すると、そこから話が変わってしまう気がした。

 

「娘さんのこと?」

「大丈夫?」

「まだつらいよね」

そんなふうに続いていくかもしれない。

 

それが嫌だったわけではない。

 

ただ、その瞬間は、

ただ少し静かにしていたかった。

 

それだけだった。

 


 

時々、

「言わなくても分かってくれたらいいのにな」

と思うことがある。

 

別に、何か特別なことをしてほしいわけではない。

 

励ましてほしいわけでもない。

 

正しい言葉をかけてほしいわけでもない。

 

ただ、

「今日はちょっと違うんだよ」

ということを、こちらが一から説明しなくても、なんとなく分かってもらえたらいいのに。

 

そんなふうに思う日がある。

 


 

普通に話していても、

心の中ではL菜のことを考えている日がある。

 

笑っていても、

ふと寂しくなることがある。

 

何でもない一言が、

妙に心に残る日もある。

 

たぶん、相手は何も悪くない。

 

そんなつもりで言ったわけではないことも分かっている。

 

だから、

「今の言葉、ちょっとつらかった」

と毎回説明するわけにもいかない。

説明したらしたで、

「そんなつもりじゃなかった」

となることもある。

 

きっと、本当にそんなつもりではなかったのだと思う。

 

だから余計に、難しい。

 


 

「分かってほしい」

と思う気持ちと、

「分かってもらえないのも仕方ない」

と思う気持ち。

 

この二つが、同時にある。

 

なんともややこしい。

 

自分でも、

「どっちなんだ?」

と思うことがある(笑)。

 

でも、最近は少しだけ、

人と人の間には、

どうしても届かない場所があるのだと思うようになった。

 

どれだけ仲が良くても。

どれだけ大切な人でも。

 

全部を分かってもらうことはできない。

 


 

そして、私だって同じだ。

 

誰かのことを、

全部分かっているわけではない。

 

その人が笑っているとき、

本当は何を抱えているのか。

 

「大丈夫」と言ったとき、

本当に大丈夫なのか。

 

そんなことは、分からない。

 

そう考えると、

少し寂しい。

でも、不思議なことに、

少し楽でもある。

 

全部分かってもらわなくてもいい。

 

全部分からなくてもいい。

 

そう思えると、

人との間にある「分からない部分」を、

無理に埋めなくてもいいような気がしてくる。

 


 

 

グリーフの中では、

悲しみがいつも同じ形で表れるわけではないと言われている。

 

昨日は普通に過ごせたのに、

今日は何気ない写真や音楽、匂い、言葉をきっかけに、

急に気持ちが揺れることもある。

 

それは「振り出しに戻った」ということではなく、

その日の自分の状態や、きっかけによって、

悲しみが違う形で出てくることがある、ということだ。

 

だから、

笑っていたのに急に黙ってしまった自分も、

「何でもない」と言ってしまった自分も、

どちらも私だ。

 


 

前なら、

「ちゃんと説明しなきゃ」

と思っていたかもしれない。

 

でも今は、

説明しない日があってもいいと思っている。

 

話したい日は話せばいい。

 

話したくない日は、話さなくてもいい。

 

「今日はちょっと違う」

と自分だけが分かっていれば、それでいい日もある。

 


 

もちろん、

本当に分かってほしいと思うこともある。

 

「今はそっとしておいてほしい」

「今日はL菜の話をしたい」

「今日はL菜の話をしたくない」

そういうことを、自分から言える日もある。

 

それはそれでいい。

 

言葉にできるときは、言葉にすればいい。

 

言葉にならないときは、

ならないままでもいい。

 

最近は、そんなふうに思う。

 


 

人との間には、

少し分からない部分が残っている。

 

私の中にも、

言葉にならないものがある。

 

相手の中にも、

きっと私には分からないものがある。

 

その間に、

小さな隙間みたいなものがある。

 

昔は、その隙間を埋めたくなったのかもしれない。

 

ちゃんと分かり合いたい。

ちゃんと分かってほしい。

 

そう思っていた。

 

でも今は、

その隙間があってもいいのかもしれないと思う。

 


 

分からないまま、

一緒に笑えることもある。

 

 

分からないまま、

同じお茶を飲めることもある。

 

 

私が急に黙ってしまったとき、

「どうしたの?」

と何度も聞かずに、

ただそのまま一緒にいてくれることもある。

 

それは、

「私の気持ちを全部理解してくれた」

ということではない。

 

ただ、

今はそっとしておいたほうがいい。

 

そんなふうに感じ取ってくれているだけなのかもしれない。

 

でも、それで十分なこともある。

 


 

全部分かってもらわなくてもいい。

 

全部説明しなくてもいい。

 

そして、

全部分からなくても、

人と人は一緒にいられる。

 

そんなことを、

最近少しずつ思うようになった。

 

人との距離は、

近くなったり、

少し離れたりする。

 

近づきたい日もあれば、

一人でいたい日もある。

 

それは、

人を嫌いになったからではない。

 

自分の中にあるものを、

自分で静かに抱えていたい日があるだけだ。

 


 

だから、

「今日は人と話したくないな」

と思う日があっても、

それでいい。

 

逆に、

「今日は誰かとくだらない話をしたいな」

と思う日があってもいい。

 

どちらも、

今の私なのだと思う。

 

人との間にできたものは、

壁だけではなかった。

 

言葉にできないものも含めて、

少し距離を取りながら付き合うことを、

私は覚え始めているのかもしれない。

 

まだ上手にはできないけれど。

 

まあ、人生何十年やっても、

人付き合いは難しい(笑)。

 


 

全部分かり合えなくてもいい。

 

全部説明できなくてもいい。

 

分からないところを少し残したまま、

一緒にいられる日がある。

 

今の私は、

それくらいの距離がちょうどいいのかもしれない。

 

そして、

「分かってほしい」と思った自分の気持ちも、

「分からなくても仕方ない」と思った自分の気持ちも、

どちらも否定しなくていい。

 

その間で揺れながら、

今日も私は人と関わっている。

 

それでいいのだと思う。

 


 

L菜へ。

 

 

「全部分かってもらわなくてもいいよね。

そんなの、到底無理だよ。

ママだって、
相手のことを全部分かるわけじゃないし、
分からないことだっていっぱいある。

しょうがないよね。

でもL菜には、

分かってほしいな。

……今もだけど。

きっと、わかってくれるよね。」

 

 

 

 

 

 

 

今日は、二度寝してしまって、10時に起きた。

 

ああ……。

 

うまくいかない(笑)。

 

「今日はこう過ごそう」って、なんとなく考えていたのに、予定どおりにはいかない。

 

計画的に過ごせない自分に、ちょっと悔しくなったり、がっかりしたりする。

 

でも、

まあ、しょうがない。

 

もしかしたら、これが今の私に必要なことだったのかもしれない。

そう思うことにした。

 


 

今日は夜勤。

 

外は雨。

 

だから、今日は散歩ではなくて、ストレッチと筋膜ローラーを中心にしようと思っていた。

 

……と思っていたのに。

 

また仮眠なしで夜勤に向かいそうだ。

 

最近、仮眠を取らずに夜勤に行くことが増えている。

 

「ちょっと寝たほうがいいよ」

自分でも分かっている。

 

分かっているんだけど、

なかなかそうならない。

 


 

 

最近は、携帯を見る時間も増えた。

 

ドラマを見たり、

ゲームをしたり。

 

気がついたら、

「え、もうこんな時間?」

となっている。

 

「寝なきゃ」

と思っているのに、やめられない。

 

これも、分かっている。

分かっているんだけど……

 

止まらない(笑)。

 


 

でも、ふと思った。

 

私は最近、

こうやって何かに没頭している時間が、

結構好きなんだな、と。

 

ドラマを見ている間はドラマのことだけ。

ゲームをしている間はゲームのことだけ。

 

その間だけ、

日常の重たいことを考えなくていい。

頭の中をぐるぐるしていることから、

ほんの少し離れられる。

 

「何も考えなくていい時間」が、

今の私には必要だったのかもしれない。

 

そう思ったら、

少しだけ携帯を見る自分に優しくなれた。

 


 

もちろん、

ずっと携帯を見ていていいとは思っていない。

 

寝不足にもなるし、

「また時間を使いすぎた……」

と思うこともある。

 

でも、

「こんなことしてる場合じゃない」

と全部取り上げてしまったら、

今度は心のほうが疲れてしまう気もする。

 

だから今は、

「今の私には、この時間も必要だったんだな」

くらいに思っておく。

 

楽しめるときは、

思い切り楽しめばいい。

 

ドラマも見る。

ゲームもする。

ゴロゴロもする。

 

そして、

「あー、またやってもうた(笑)」

くらいでいい。

 


 

少し前まで、

「ちゃんとしなきゃ」

と思うことが多かった。

 

早起きしなきゃ。

予定どおりに過ごさなきゃ。

運動もしなきゃ。

仮眠もしなきゃ。

もっと有意義に時間を使わなきゃ。

 

……「しなきゃ」が多すぎる(笑)。

 

それだけで疲れる。

 

だから今日は、

少し「しなきゃ」を減らしてみる。

 


 

さっきまで、

「曇ってきたし、散歩に行こうかな」

と思っていた。

 

でも、

今日はやめた。

 

散歩に行きたい気持ちはある。

でも、今日はゴロゴロする。

 

筋膜ローラーを少しして、

ストレッチをして、

あとは適当に過ごす。

 

今日はそれでいい。

 


 

今日は、

省エネモード、フェーズ2。

 

……いつも省エネやん、

というツッコミはなしで(笑)。

 

でも、本当に今は、

力を入れすぎないことが大事なのだと思う。

 

夜勤も、

「頑張って乗り切ろう」

ではなく、

今日のお仕事も、

無理をせず、

力を入れすぎず、

できるだけ省エネで。

無事に朝を迎えられたら、

それで十分。

 

それだけを目標にする。

 


 

そして今、

一番正直な気持ち。

 

「ああ……夜勤いきたくな~い」

(笑)。

 

もう、

これが今の私です。

 

二度寝して、

予定どおりにいかなくて、

携帯を見て、

ゴロゴロして、

夜勤に行きたくないと言っている。

 

でも、

そんな私でも、

今日一日をなんとかやっていく。

 

それでいい。

 

今日はそれくらいでいい。

 


 

L菜へ。

 

 

 

「今日の母、

かなりの省エネで生きております(笑)。

「ママ、いつもゴロゴロしてるやん」

って言われそうだけど、

今日はこれで許してね。

夜勤、行ってきます。」