今回は公認会計士×プロコーチの塙健一郎が担当します。
日本語で文章を書いていると時々迷うのが当てはめるべき漢字。
例えば、「かえる」。
「変える」なのか、「替える」なのか。
(流石に「帰る」や「買える」と迷うことはまず無いですが)
私にとっては列挙に暇ない紛らわしい漢字の中に、「畏れる」と「恐れる」も含まれます。
両者は「おそれる」という読み方は同じですが、「変える」と「替える」が異なるように、両者の持つ意味、ニュアンスは異なります。
普段あまり気にしてませんが、改めて調べてみると、
「畏れ」は尊敬や崇拝の気持ちが含まれているどちらかと言えば「ポジティブな感情」を表すとのこと。
例えば、偉大なリーダーを見て「すごいなぁ、この人にはかなわないな」と感じるような感情。
一方、「恐れ」は危険や不安に対するネガティブな感情を表すようです。
例えば、「このプレゼン、失敗したらどうしよう」と感じるような「不安感」のことだそうです。
つまり、前者はポジティブな感情をあらわし、後者は「不安感」というどちらかというとネガティブな感情を含んでいる。
このように相反する感情に、なぜ同じ「おそれ」という発音が使われたのか。
答えは分かりませんが、自分の経験を振り返ってみると、偉い人の前で抱く「畏れ」というポジティブな感情が、結果としてこの人の前で失敗したらどうしよう、嫌われたらどうしよう、というような「恐れ」の感情につながっていたことは多々ありました。
そう考えると、これは単に私の経験からくる感覚には過ぎませんが、「恐れ」の感情が生まれる要因の一つには、誰かに対する「畏れ」があるのかもしれません。
「恐れ」はネガティブな感情です。
ネガティブな感情は萎縮を生み、想像力を狭め、判断を誤らせるとも言われます。
もちろん、他者に対する「畏れ」は敬意にも繋がる大切な感情です。
しかし、ネガティブな「恐れ」を生じさせるような、「過度な畏れ」はできれば避けた方が良い。
例えば、クライアントが上司を「過度に」畏れている場合、その上司の前で緊張し、自分の意見を言えなくなるかもしれません。
あるいは、子供が親を「過度に」畏れている場合、親の期待に応えようとするあまり、自分の本当の希望や夢を見失ってしまうことがあるかもしれません。
コーチングの場面でクライアントが誰かを畏れていると感じたら、一見それがポジティブに見えるとしても、感情をいったんニュートラルに引き戻してあげる。
そんな視点も重要なのかもしれません。