がんになった88歳の母親に夢、今からやりたいことを聞いた。
すると意外な応えが返ってきた。
沢山あるいらないものを捨てたい、という。
その潔さに惹かれ、自分も一緒にものを捨てることにした。
昨年の3月、遺品整理士で整理社の代表が講演会で
質問があるか、と言うので尋ねた。
まず、終活としての片付け、不用品、家財処分は、
近藤麻理恵、こんまりちゃんが言うような
片付けた後の未来に、ときめきがあるように思えない。
生前から不用品の片づけをする
できるのであれば、そうありたい。
また、自分から見て
必要ないだろうと思われるものを
母親に捨てろといっても捨てないし、
捨てられない
一方、だぶん、母親から見ても
自分は同様に見えているに違いない
だとすると、
どうやって踏ん切りをつけて
物は捨てられるのか?
その代表は、質問に応えられなかったが、
要は、片づけができるかどうかは心の問題である。
昔、同じマンションに住んでいた
大家さんは、脚が悪く高齢だったのだが、
しばらく、連絡がつかないので
消防団員が部屋のガラスを割って、
入ったところ、倒れて動けなくなっていた。
その部屋は、ゴミ屋敷だったそうだ。
高齢になって、一人で寂しい。
心が安定していないと片付けも掃除もしなくなる。
ところで、ウイキペディアによると
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略。人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する言葉である。
だから、終活は、子どもがいない夫婦、お一人様に限ったことではない。
より良く生きるということは
より良く死ぬること、だとも言う。
終活とは、潔くも立つ鳥跡を濁さず
後顧の憂いなく
人生に於いて有終の美を飾ることだろうか?
人一人が持っているものの数は、7万点だと聞いたことがある。
それだけものがあるとものの数だけ意識も奪われる。
なので、きっと生きているうちに
人生を総括しながら、少しづつでも片づけると
何ものにも執着しないで暮らせる。
やりたいことだけに集中できる。
きっと、すがすがしい日々を送ることができるに違いない。
もし、この感情が得られるのだとしたら心ときめく
昨日、その整理社の代表に来ていただいて7月1日から3日間で整理をすることになった。