地方によっては、霜月から正月の春にかけて、
「花祭」といって地域の人びとがエネルギーを爆発させる祭りがある。
そして、巨木や巨石、森(モリ)や小川などに
”小さき神々(精霊)”が宿っているとして神楽を行うのである。
また、その前に、お供え物をし、
お祀りする”しきたり”があるのだそうだ。
美作國 一宮 中山神社の参道にある樹齢800年の欅
『万葉集』の巻二の高市皇子(たけちのみこ)が亡くなった時の歌に
原文では「神社」と表記しているが、これを「モリ」と訓(よ)んでいる。
では、何故「神社」と書いて「モリ」と訓むことができるのか
それは、もともと「モリ」だったところに神社の神殿ができていったことに由来する。
上野誠著『日本人にとって聖なるこのとは何か 神と自然の考古学』
人為や精神と対立する«自然(nature)»という概念は、古代にはなかった。
モノにも心があると考える古代思考の世界においては、«自然»という概念はなかった。
自然とは、「山川草木」「山河大地」のことである。
そして、自然と人とは常に一体のものであり、
自然(環境)なしには、人は生きていけない。
都会を離れ、自然の中にいると
言語化し難い、エネルギーを感じ
氣が高まってくるのがわかる。
写真:蓼科高原 神湯の森
そして、自然界のあらゆるもに
精霊が宿り(アニミズム)
人は自然と共に人は生きていくものである。
また、生物、無機物を問わず
※¹仏性(愛そのもの、宇宙意識)を持っている。
なので、生き物だけでなく
山も川も仏性である。
そう道元は言っている。
また、
①古来、日本は多神教でその神々は妬みし、罪も犯す存在である。
②多神教とは、無限に神が生まれ続ける文化構造で偉大な神ではなく
それは、「小さき神々(精霊)」と呼び得る神だろう。
③存在を認識できるすべての事物が神となりえる宗教の場合
山、岩、木など、あるいは人さえも、すべてが崇拝の対象物となり得る
著書『日本人にとって聖なるものとは何か』より
人間の静かなる中心(核)は
無限の可能性そのものであり、愛そのものである。
神(宇宙、宇宙意識)そのものの
分け御霊(わけみたま)を頂いていて、
神の分けみ魂(たま)の容れ物
という考え方がある。(神人合一)
けれども、人間だけがそうであると奢ってはいけない
万物、悉(ことごとく)有るもの宇宙全体が仏性なのである。
自然は、日本人にとって
聖なるものなのだから
思うわず人は手を合わせるのであろう
大自然の力のまえに人の子は
何をかおもはむただ祈るべき
ー 柳原白蓮
『日本の宗教が、その根底にあるものはすべて同じ(仏性がある?)で、万物生命教と言うべきもの』であるならば、
万物に利他ではない他利のこころ(「真我」)があることになる。
そういう前提であると、ご加護があり、結果、お陰様でと感謝することになるということだろうか。
※¹仏性とは、すべての人が持っている、
仏になれる生まれつきの性質、
また、仏とは仏教の聖者、また、怒ること知らぬ慈悲(愛が)深い人のこと