そうそう変わるもんじゃねえな (前略、ドイツにて。あらため) -12ページ目

そうそう変わるもんじゃねえな (前略、ドイツにて。あらため)

ゆるーく日常をつづります。と言いながら、6年ぐらいほったらかしにしていたブログ。2018年に入ってから思うところあって復活したけれど、とりあえず三日坊主の危機は脱出。でも、あまり更新しないなぁ。

 

ええと、「三角の距離は限りないゼロ」の新刊がそろそろでるなぁ、ということで、 ちょいと岬 鷺宮さんの過去作品の読みなおししようからとおもって、読みました。

 

たぶん、3回目か4回目の読み直し。 この作品を読んでいない人向けの紹介/おすすめのための感想というよりは、 読んだことのある人向けの感想です。読んでいない人にはついてけない端折り方だと思います。   (ごめんなさい)

 

ということで、自分向けの備忘録です。

 

 

 

 

 

 

 

 自分を変えようとwebラジオで配信する後輩女の子(御簾納/サキ)と、自分の趣味を否定されるのが怖い先輩男の子(長谷川)の高校生の恋心を、当人達の視点も交えて、ラジオのリスナー視点でもサキのことが見守れる良作でした。

 

 普段、ラジオ番組を聞いていて、アナウンサー/ナビゲーターさんのトークは、話題から脱線しないメッセージだと感じています。話題から脱線しないトークというのは案外難しく、まさに小説のようにしっかりとした大筋がないと、聞いていて不安になってしまいます。

 

 小説の中で、サキのwebラジオトークを読んでいると、サキの気持ちが浮足立っていても、サキは毎回大筋を作ってからwebラジオの時間を迎えていることがリアルというか、小説とも親和性が高いな、と感じました。

 

 サキがwebラジオでリスナーに向けて、先輩(長谷川)に好意を抱くに至る経緯の説明をしたときに、サキが長谷川に紹介した作品(名作/小説)に対して長谷川が感想を聞かせてくれたこと、その解釈がサキの感じていた名作に対する解釈への違和感を言い当てたこと、そしてそれがサキが長谷川に好意を抱くに至ったことだというストーリーはリスナー目線で言えばきれいな大筋があって非常にわかりやすい「サキが先輩に好意を寄せるに至ったストーリー」で、リスナーもみんな納得するストーリー。ただ、それをリスナーにまじって聞いていた当事者の長谷川から見たら「サキの解釈は美化しすぎ」というのがいかにも長谷川らしいなとも思いました。

 

 そして、先輩がサキの思っている解釈とは違うのかもしれないというコメントをwebラジオを聴いている1リスナーとして投稿する長谷川(RN ハセリバー)の再解釈(?)に、サキも言葉を止めて思考し、理解を示しながらも、それでも先輩(長谷川)のことに好意を持つにいたった大切なイベントであることは変わらない、という思いを再認識することからも、解釈は1つではないことと同時に、解釈に正解がないことをサキはよく判っているということを示していると感じました。

 

 その一方で、長谷川との公園での出来事で、自分の殻を破り先輩にアプローチしていきたいとwebラジオで公言したサキが、図書委員の作業の延長で長谷川の部屋を訪ねたいと切り出したときに長谷川から色よい返事がない中で何度食い下がっても最後まで拒否されたことで、失恋したと勘違いした部分も、解釈が1つではないと判っている敏い子(サキ)でも、感情に左右されてしまうことが、前段との対比になっているのかな、と思いました。物事の解釈とは、自分にとって一番合理的な解釈を選ぶのかもしれないですね。それが先輩に恋心を抱くに至る解釈であっても、失恋したと確信するための解釈であったとしても、です。 

 

 そんなサキに「失恋した、殻に閉じこもっていたほうがよかった」、と思わせた原因は、長谷川がDTM/音楽創作趣味を知られたくないためにサキを自分の部屋に招けなかったことだったわけですが、その長谷川が他人に趣味を知られることを怖がる原因が、動画サイトなどで活動しているアマチュアの先人たちの作品/楽曲につけられている否定的なコメントを見て楽曲の発表に躊躇しているというのは、webでの発表や第三者に意見を聞く上での懸念であり、それがサキに部屋を見せたくない直接の原因になるのか、というと、半分ぐらいは正しのかもしれませんが、本当の理由はそこじゃなくて、(作品には書かれていないけれど、)第三者からの悪意のある否定され方の原体験があるのではないかな、と感じました。

 

 悪意のある否定され方の原体験は何なのか、作品の中では言及がないので、読者が考えるしかないわけですが、例えば友達に楽器を弾いたり楽曲作ったりすることを楽しげに語ったら全否定された、というようなトラウマとかがあるのかな、と(私は)想像しながら読みました。

 

もちろん、この辺りは作品に書かれていないので、完全に一読者の想像でしかないけれど、サキを部屋に呼ぶ場合に片づけなければいけない機材の数や、寄付の本を引き取りに行った時の公園での出来事に自分のやらかしに恥ずかし悶えた長谷川のギターテクニックの描写(列記だけですが)を、思い付きで弾けたりする状況(アドリブでも弾けてしまう状態)を察するに、長谷川のギターキャリアは1年2年というレベルでは無いと考えます。小学生ぐらいから趣味でやっているのかな、と仮置きすると 長谷川の態度は秘密主義にこうなるだろうな、と理解しやすかったです。中学ぐらいになると、吹部とかの音楽系部活動もあるので、楽曲製作やDTMを趣味としてやっていてもそこまで友達にdisられることはないけど、小学生って、ほら、ちょっと人と違うことをやっていると馬鹿にしたり容赦なく否定する生き物ですからねぇ。 

 

 しかし、サキが週末に部屋を訪問したいといって断るかねぇ、長谷川君(笑)

 

部屋片付けに1日かかるレベルの自宅DTM環境って、8チャンネルのアナログMTRの環境でアナログシンセ音源で音を重ねていた時代とかならわかるけど。。。それでも、なりふり考えず押し入れに押し込めば2時間かからないでしょ(笑)。

 

そしてサキが失恋の報告と、最終回を示唆したwebラジオのOA中に、長谷川がサキにOA中の公開電話を要求。 自分の秘密をサキに説明する覚悟をした長谷川、添付の楽曲を聞いたサキの感情の変化を、webラジオのリスナー目線で読むことができて面白かったです。

 

ただ、長谷川がOA中にサキのことを実名の苗字で呼んでしまっている記載がいくつかありますが、これは長谷川の不器用さからくる天然なのか、長谷川がなりふり構っていられないと思った結果、頭の中から実名バレへの配慮が消えてしまった結果なのか、それとも作品の校正ミス(謎)なのか。。。。

 

 リアルにOA中の配信にサキの実名バレはだめでしょ先輩。   ってことでちょいと長谷川君のヤラカシ感がありますが、でも作品に出てくるサキの配信を聞いているリスナーのみなさん、優しいから大したことにはならないのだろうけど、コメント欄は炎上しない代わりに生暖かいコメントがあふれかえって盛り上がりそうですね。 

 

という感じで、最初から最後まで何回読み返してもリスナー目線で楽しめる作品でした。

 

真空管アンプの出力管を6F6(メタル)からスロバキアのJJの6V6Sに変更してみました。

 

というのも、当面出力管はRCAの6F6が10本、Philips ECGの6L6GC4本、GEの6L6GC 6本あるので、私の寿命が終わるまでは、6F6系/6L6系の出力管の保守調達には困らないのですが、6V6系は手元に状態の良い球がそろっていないことと、JJの6V6Sは、ロシア系の6V6互換管の流れとは違って、比較的新しい独自設計と聞いているので、一度触ってみようと思った次第です。

 

JJの6V6Sを発注するにあたって、我が家のアンプはプッシュプルのステレオ構成なので、

MQ(マッチドクアッド)1組である必要はなく、MP(マッチドペア)を2組でもいいのだが。

とりあえず使っているうちに特性が変化してきた時のことを考えて、最初から4本で程度がそろっていたほうがペアを組み替えやすいだろうと思ったのだ。

 

ということで、静岡県のテクソルさんでMQで4本注文しました。4本で1万3千円ぐらいなので、価格としては妥当だと思っています。 

 

テクソルさんの球の選定測定条件は、箱に貼ってあるラベルを見る限りでは、3極管接続条件のVP=VSg=250V、VC=-12.5Vで測定して、プレート電流44.6mA2本、44.9mA2本、gmは3.7~3.8なので、神経質な人から見たらMP2組に近いかな、という感じです。

 

出力管以外の真空管は、手持ちの前段/反転段は6SN7互換のロシア管にしました。

 

このご時世「ロシアの管を使いました」、というのも「アレ」かな、

と思いますが、はるか昔に手に入れた真空管について、

今更使わないとか、捨てるという発想はない。

 

手元にあるものを使って自分の望む特性が得られるのであれば、

ストックから引っ張り出してきて使う、ただそれだけ。

 

今回は6SN7の差動反転回路の無入力時の+側とー側の電圧差が7Vぐらい

にしたかったのだけど、手持ちのロシア管が恐ろしく希望の特性に揃っていた次第。

 

出力管をメタル管から久しぶりにオールGT管に変更したので、

部屋の照明を落として写真撮ってみました。

 

JJの6V6Sはカーボンスートではないので、ビジュアル的には明るい室内でも

暗い室内でも真空管アンプっぽいヒーターの光に包まれたビジュアルですね。

 

 

左チャンネルの出力管の拡大写真。蛍光(青い光)が少し出ていますね。

チェレンコフ光でもなければグロー放電でもありません。電子の残滓ですね。

 

アンプの電源を落とすと、プレート電圧が無くなるので、カソードから飛び出した

電子が行き場を失って、管の中でふわっと蛍光が踊ります。

 

 

通電10分ぐらいの状況では、バイアスは-19.0V, プレート電圧355V、スクリーングリッド電圧275Vの設定で、プレート電流は4本とも33.1~33.5mA付近でそろっていましたが、1日かけて10時間ほど使い込んでみた結果、プレート電流が徐々に増えてきています。その結果、プレート電流が33.1mA~34.2mAまでばらついている状態です。もう少しエージングしてプレート電流が落ち着いてから、ペアの選びなおしをしようかな、と思っています。

できれば2本のプレート電流のばらつきを0.5mAぐらいの幅に抑えこみたいところです。

 

最終的にプレート電流を35mA狙いでバイアスを調整するつもりですが、結果、6F6よりもバイアスが浅くなりそうです。

 

音は、6F6よりも低音域が太くなった感じがします。あとでデータとってみようかな。

あとは、もう少しバイアスを浅くしてプレート電流を稼ぎたいところです。

2022年の夏アニメの中で図抜けている作品というと、「リコリス・リコイル」 

かなぁ、と。

 

すでに6話まで放送が進んでいますが、設定やネタがこれでもかってくらいに

詰め込んであって、伏線の張り方と回収、そして丁寧に次の伏線まで張って

あって、話のテンポ(スピード感)も、非常によくて、久しぶりに推せる作品です。

 

各話の感想はアニメ感想サイトに任せておけばいいとして、

50過ぎたおっさん目線で見たリコリコのEDとOPの構成について触れたいと思います。

 

まず、EDの曲の始まりが、ストーリー(Bパート) の最後にかぶせてあるのは、

、City Hunter(。。。。古いなぁ)のEDの手法っていうか、、、 大好きです。

 

こういうBパート → EDへの流れは、テレビアニメ作品ならではの見せ方だと思っています。

 

で、EDの中盤はご丁寧に、本日の話の要点を抑えた、フォーカスの緩くなったモノクロな映像。

最終回とかのEDでロングバージョンにして回顧録的にスチル映像を流すケースも好きですが、

この作品はED中盤のカットに何を選んだかもたのしみで、作品が丁寧に作られている感が

あっていいですね。 毎回最後まで見たくなりますね。

 

あとは、OPについては、一番最後の部分のちさと→たきなの軽い挨拶のケツキックからの、

たきな→ちさとのフルスイングのケツキックの映像は、じゃれあう二人の仲の良さを感じさせる

秀逸さがありますが、私はその映像に至る前のちさととたきなの私服のカットを交互に

切り替えながら回り込むように映す描写からのバストショットでの首を傾げたポーズに至るまでの

流れにやられていますね。

 

OPはちさととたきなの見せ方に、こだわりが感じられて好きです。特に、映像の目線(カメラワーク)と、私服のちさととたきなの振り向きや目線、特にちさとは人の目線や周りの動きに敏感な人の職業病というか、単なる無邪気な女子高生っぽくないんですよね。 足長おじさん(!)を探しているのでしょう。

 

少し話がそれますが、コロナ前の時期の私は、仕事でいろいろなクライアントにプレゼンをしていましたが、自分の会社(または自分の所属組織)がちょいと複雑なために、顔写真入りの組織図とかを作って説明していました。

 

組織図の写真を更新したいから、と、関係者に「写真を送ってくれ~」と求めると、ほとんどの日本人は身分証明写真みたいに白背景で顔が正面を向いた写真を送ってきます。一方でヨーロッパ系の人に写真を求めると、微妙に、斜めからのポーズ付きの写真が送られてきます。バストショットでも、目線だけカメラ目線で、ニコっと笑って歯を見せているけれど、体は正面から少し振って、顔も若干正面からずらしている写真を送ってきます。

 

で、OPの話に戻るけど、TopSecret印の押された リコリスの組織内の記録写真っぽい撮影でも、今のちさとの資料だけ3面写真の正面写真が、顔を少し横向きにして正面を向いていないしポーズまで入れているのが、日本っぽくない。一方でまじめなたきなや、フキは正面向きのすまし顔(日本人っぽい証明写真)だったりと、OPの映像を視ていて、ちさとの何気ない振る舞いがことごとく日本人っぽい価値観で育っていない印象になるのです。

それを踏まえて、OP最後のケツキック見ると女子高生っぽい「じゃれあい」は、「女子高生の制服とは都会の迷彩服」であり、女子高生であることは人の多い街中で最も目立たない存在に擬装している状態に説得力を持たせる動作なんだな、と、妙な納得をしてしまうわけです。