見た目が9割9分 | デザインは筋肉だ

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洋皿の上にある焼き鮭と、和皿の上にある焼き鮭、アルミホイルの上にある焼き鮭。味付けはすべて同じだが、見た目が違う。バターの香りは同じだが、見た目が違う。ナイフとフォークで、お箸で、手づかみで。食べ方を変えるだけで、意味も変わる。レストランか家かキャンプか、「いつ何処で」食べるかでも味が違う気がしてくる。

尊敬する人の助言と、カフェで偶々聞こえてきたチャラい社長の格言が、全く同じ。だとする。中身は同じなのに、意味が違う気がする。なぜか後者は気に食わないから前者からの意見だけだとその助言を受け入れる。ブログ→ツイッター→インスタと、文字が少なくなり画の割合が多くなっている。読むより見る、文字より画になった。

つまり、見た目で判断することが多くなった。読むより見る・だから、見出しの記事合戦となり、節操のない見出しに(そんな馬鹿な)ではなく(えそうなの)と面白半分にクリックする、記者の思う壺。綺麗な洋皿に、趣のある和皿に、ピカピカのアルミホイルにと、器を磨けば、焼き鮭(自分)が相手にどう見られるかが決まる。どの場所で輝くか、自分の器にあった場所があるはず。

焼き鮭(自分)をどう見せたいか。

「自分は、他人にどう見られたっていい。自分は自分さ」

結局人は、見た目を気にしてしまうのかもしれない。