「言われなければ、何もしない」世代を、「ゆとり世代」という。
指示があればその通りにする。しかし、ムダな事をしない=言われてないことはしない。
「好きでゆとりになったんじゃない!」「大人がそうしたんだ!」
誰だって、自分が好き好む、適した環境に必ずしも生まれ落ちるわけではない。
どの世代も、ジレンマを抱え、その時代を生きてきている。
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人生はムダなコトだらけだ。
今日見たYahooニュースをニュースを3日後憶えているか。楽しい動画は1年も見るだろうか。素敵なエピソードは、いったい何人に・どのくらいの期間、語り継がれるだろうか。
心に残らない事は「ムダ」だと、「自分」が判断している。
「得るものがあれば失うものがある」というが、少し違う。
得たものが大きく、心のスペースが空いていない時は、今あるものを捨てる「選択」をしてる。
捨てたもの4つなら、4つ分くらい空いたスペースができ、そこに「得たもの」が入ってくる。
1つと4つとでは「失った感」は大きい。しかし、今の「自分」にはそれが大事だと判断した。
自ら捨てる「選択」をしている。
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「ムダな事」とは、「やりたくない事」ではない。
「ムダな事」とは、「めんどくさい事」ではない。
「ムダな事」とは、「何もやらない事」だ。
やりたくない事を避け、めんどくさい事から逃げ、「出来る事」しかしない。
腕立て伏せしないと筋肉はつかない。ジョギングしないと身体は訛っていく。
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「ゆとり」という言葉でひとくくりにする無礼さも、「大人が」という言葉で正当化する行為いも、どちらも『思考停止』に過ぎない。
洗い物の最中「布巾でテーブル拭いといて!」と頼んでトイレに行く。しばらくして戻り、洗い物を再開しようとすると、拭いた後の布巾が流しに置いてある。
「①拭いたら・②洗って・③干す」この行程①②③=『テーブルを拭く』とせず、①のみを=『テーブルを拭く』のはず。家庭科の時間で習う事。
まさに「言った事だけをやる」だが、合理的に見えて断じてそうではない。屁理屈以外の何ものでもなく、小学校で習う事それすら出来ていない。
②③を済ませた布巾で、次の食事前後にテーブルを拭く。①のままの布巾をそのまま置いといてまた次に使うと思っているのか…そんなはずない。
①の後の布巾を②③するのは、結局自分。1行程しか出来ないんだったら、残り2行程自分がするんだったら、最初から自分でやったほうが良い。
「やりたくない事」をしないで生きていけるのは、誰かがその「やりたくない事」をやっているからだ。「めんどくさい事」も誰かがやっている。
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何もやらない事は、ムダな事だ。
「何もやらない」という選択をしても、「誰かがやっている」。
【むだ・無駄】
役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。
「ムダ」の意味を今一度読み返せば、一目瞭然。
何もやらない事は、『役に立たない』事だ。
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ムダかどうかは「やった後」に『決める』ことであり、
それが、必要だったかどうかは、死ぬまでわからない。