★プ-ポ (vm) Pupo

本名エンツォ・ギナッツィ(Enzo Ghinazzi) 1955年9月11日フィレンツェの南東20kmにある山間の小さな町ポンティチーノ(Ponticino)生。自作自演歌手、作詞家、作曲家、テレビ司会者。

 

 

 

活動期間:1975年 – 現在

所属レコード会社:Baby Records, CGD, Discomagic Records, Ariola Records, Pull, Jolly e Universal Music Group

サンレモ音楽祭出場6回:1980年第3位、83年26位、84年4位、92年参加曲(本名エンツォ・ギナッツィとして)、2009年10位、2010年第2位、

サンレモ音楽祭出品8曲:1980年第3位、81年5位、6位、83年26位、参加曲、92年参加曲、2009年10位、2010年第2位

式サイトhttp://www.pupo.tv/

 

 

 父のフィオレッロ(Fiorello)は郵便配達人、母のイレーネ・ボッツィ(Irene Bozzi)は主婦でした。祖父サンティ・ギナッツィ(Santi Ghinazzi)は詩人(Il Poeta)とあだ名され、両親は地元合唱団で指導をする家庭に育ちました。

 

 彼は1970年、将来(4年後)結婚する少女アンナ(Anna)と出会っています。結婚後、オルヴィエート(Orvieto)で兵役に就くため学校を中退し、その頃25才の若さで癌で亡くなった母親の叔母クララに捧げる最初の曲“Primavera,”を書いています。この曲は公開されることはありませんでした。

 

 エンツォがプロ歌手になる経緯は良く判りませんが、74年エジプト系イタリア人フェデリコ・ナッジャール(Federico Naggiar)がミラノで設立したベビー・レコーズ (Baby Records)と契約しました。

 ナッジャールはバブルガム・サウンド後の新しい音楽を作るという望みと、他社で埋もれた才能を見つける嗅覚、外国生まれの歌手、イタリア人に外人風の芸名を付け英語で歌わせる商才が備わっていました。こしてベビーは新感覚の音楽で民族系レコード会社の新興メジャー・レーベルとして94年まで活動を続けます。

 

 ナッジャールは新興会社のエンツォを芸名プーポ(Pupo)と名付けた自作自演歌手としました。プーポとは俗語で男の子の赤ちゃんのことです。関西弁で言うと『ぼんぼん(坊ちゃん)』でしょうか?確かにで顔もベーブ顔です。

 ベビー・レコーズの新人男性歌手に『プーポ』と名付けたのは並々ならぬ思いが込められていたとも考えられます。

 母親からも芸名について何か言われたようで、途中で改名しようかと思ったようですが、ビッグ・ネームになってしまいました。

 

 75年に出したプーポのデビュー曲は彼自身とジュゼッペ・ティンティ(Giuseppe Tinti)が作った“Ti Scriverò”で、翌年週間ランキング48位(在位2週)のマイナー・ヒットででしたが、着実に実績を作りました。

 

BR-0012 (1975年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Ti Scriverò/La Compagnia

             BR-0012

 

 翌76年に第2作、アンジェロ・ラ・ビオンダと作った“Come Sei Bella”を出しました。76年週間ランキング41位(在位9週)とデビュー曲を上回る成績でした。(新人デビュー曲が曲がりなりにもヒットした場合、2作目がデビュー曲より良い成績はなかなか出せないものです)

 

BR-023 (1976年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Come Sei Bella/Ma Cosa È Stato

 BR-023

 

LPX-013 (1976年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Pupo  ‎– Come Sei Bella

RB-238 (1979年 Record Bazaar ‎– CGD Messaggerie Musicali) Pupo  ‎– Dolcemente

LSM-1099 (1984年 Record Bazaar ‎– CGD Messaggerie Musicali) Pupo  ‎– Ti Scrivero'

1.Come Sei Bella

2.Ma Cosa E' Stato

3.Io

4.La Compagnia

5.La Nostra Avventura

6.Ma Ci Vorremo Bene

7.Ti Scrivero'

8.Noi Adesso

9.Ritornera' L'Estate

10 Dolce Bambina

   

LPX-013                      RB-238                      LSM-1099

 

 着実に実績を出しているプーポは異例の早さでファースト・アルバム「Pupo  ‎– Come Sei Bella」が制作されました。廉価盤シリーズですが、2度リイシューもされています。編曲は“Come Sei Bella”を除き、75年ベビー・レコーズ入社のD.D.サウンド(La Bionda)、ラ・ビオンダ(La Bionda)の弟アンジェロ・ラ・ビオンダ(Angelo La Bionda)が当たっています。なおアンジェは“Come Sei Bella”の曲作りに参加しています。

 

 この頃からベビー・レコーズ所属のパオロ・バラバーニ(Paolo Barabani)など様々なアーティストのために作詞家や作曲家として楽曲の提供を始めました。

 

 シングル盤3作目は77年にラ・ビオンダ兄弟が作った“Io Solo Senza Te”を出しました。77年の週間ランキング35位(在位9週)とどんどん良い実績を残していきます。

 

BR-036 (1977年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Io Solo Senza Te/Due Bicchieri

BR-036 BR-049

BR-049 (1977年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Sempre Tu/Grazie Perchè

 

 同年もう1枚シングル盤、パオロ・バラバーニ作詞作曲の“Sempre Tu”を出します。こちらは翌78年年間ヒット・ランク86位に入る成績を残しました。年間ベスト100に入ったのは初めての経験でした。“Io Solo Senza Te”はプーポとラ・ビオンダ兄弟の共作です。

 

 “チャオ”はデビュー曲“Ti Scriverò”のジュゼッペ・ティンティとダニエレ・パーチェ(Daniele Pace)が作った曲です。翌79年年間ヒット・ランク41位のミドル・ヒットとなりました。

 

BR-068 (1978年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Ciao 79#41/Gabriella

BR-068  BR-083

BR-083 (1979年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Forse/Cercami Ancora

 

 79年のシングル盤はパオロ・バラバーニとダニエレ・パーチェが作った“Forse”でした。この曲は初めての音楽祭、第16回夏のディスク・フェスティヴァル出場曲です。この年6月23日に開催された夏のディスクは順位を付けないガラ・コンサート形式でした。プーポの“Forse”はこの年の年間ヒット・ランク23位になり、大ヒットでした。

 

 この成功で年後半にセカンド・アルバム「Pupo ‎– Gelato Al Cioccolato」が発売され、彼のアルバムは初めて同年年間ベスト・セラー74位になり、アルバム歌手としても認められるようになり、プーポの代表アルバムとみなされます。

 

LPX- 32 (1979年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Pupo ‎– Gelato Al Cioccolato

74321-87250・2 (2001年 RCA – BMG Ricordi) CD Pupo ‎– Gelato Al Cioccolato [0 74321 87250 2 9]

1.Forse

2.Atomino

3.Gabriella

4.Io Solo Senza Te

5.Ti Ricordi

6.Gelato Al Cioccolato

7.Cercami Ancora

8.Sempre Tu

9.A Volte

10.Ciao

LPX- 32  74321-87250・2

 

 新人歌手プーポも5年経ち、順調にヒットが出せるようになったので80年サンレモ音楽祭出場の声がかかります。プーポ自身とパオロ・バラバーニにドナテッラ・ミラーニ(Donatella Milanii)が加わった共作の“恋人たち”は表彰第3位で、80年年間ヒット・ランク19位の大ヒットになりました。

 

BR-50209 (1980年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Su Di Noi (恋人たち)/Lucia

BR-50209  BR-50221

BR-50221 (1980年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Cosa Farai/Firenze S.M. Novella

 

  サンレモ音楽祭で好成績を上げた後に出すシングル盤は難しく、多くの歌手は次のヒットを出すことが出来ず失敗してしまいます。この曲“Cosa Farai”は80年ヴェネチア国際音楽祭金のゴンドラで優勝し、年間ヒット・ランク39位となりました。サンレモ曲を超えるものにはならなかったものの、大ヒットであったことは間違いありません。

 

 “恋人たち”と“Cosa Farai”の入ったサード・アルバム「Pupo ‎– Più Di Prima」が制作され、このアルバムも80年年間ベスト・セラー23位になり、カンタウトゥーリのとして確固たる地位を築きました。

 

BR-56010 (1980年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Pupo ‎– Più Di Prima

74321-89027・2 (2001年 RCA – BMG Ricordi) CD Pupo ‎– Più Di Prima [0 74321 89027 2 7]

1.Cosa Farai

2.Più Di Prima

3.Su Di Noi (恋人たち)

4.Piccola Tu

5.Un Nuovo Giorno

6.Bravo

7.Firenze S.M. Novella

8.S.Francisco

9.Innamorata

10.Lucia

BR-56010  74321-89027・2

 

 81年サンレモ音楽祭にプーポは出場しませんが、2歌手に楽曲を提供しました。1曲目は

80年早々にフォニット・チェトラから移籍してきたリッキとポーヴェリ(Ricchi e Poveri)に“愛の理由(Sarà Perchè Ti Amo)”を、また同僚でありプーポへも多くの楽曲を提供しているパオロ・バラバーニには“ホップ・ホップ・ソマレッロ(Hop Hop somarello)”を提供しています。

 

 彼とダニエレ・パーチェ、ダリオ・ファリーナ(Dario Farina)の3人共作した“愛の理由”は5位入賞し、81年年間ヒット・ランク6位のメガ・ヒットになりました。

 

BR-50232 (1981年2月 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Sarà Perchè Ti Amo (愛の理由)/Bello LAmore [リッキとポーヴェリ]

  BR-50232

 

 “ホップ・ホップ・ソマレッロ”も彼とバラバーニ自身、ジャン・ピエール・レヴェルベッリ(Gian Piero Reverberi)の3人共作で6位入賞し、同71位になる成功でした。

 

BR-50228 (1981年2月 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Hop Hop Somarello (ホップ・ホップ・ソマレッロ)/Balliamo Vuoi [パオロ・バラバーニ]

            BR-50228

 

 前年優勝したヴェネチア国際音楽祭に“Lo Devo Solo A Te”で出場しましたが、前年のような成績は残せませんでした。

 

BR-50251 (1981年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Lo Devo Solo A Te/Lidia A Mosca

BR-50251  BR-56026

BR-56026 (1981年 Baby ‎– CGD Messaggerie Musicali) Pupo ‎– Lo Devo Solo A Te

1.Lo Devo Solo A Te

2.Perchè È Così

3.Chissà Se Domani

4.Nashville

5.Volano

6.Non Mi Arrendevo Mai

7.La Storia Di Noi Due

8.Lidia A Mosca

9.Burattino Telecomandato

10.Ti Sembra Facile

 

 前出の“Lo Devo Solo A Te”、ナッシュヴィルの街に捧げた曲“Nashville”と共に“Non Mi Arrendevo Mai”、” Burattino Telecomandato”は第4作目のアルバム「Lo Devo Solo A Te」に収められ、“Lidia A Mosca”等はソ連(現ロシア)で大ヒットします。アルバムは82年年間ベスト・セラー68位になります。

 

 

 

プーポの国内盤はありません、プーポ 2は1983年サンレモ音楽祭の後に続きます